2014年12月31日水曜日

太陽の力、そしてバランス。




この秋に迎えたトパーズファミリー。思い切った石との出会いは、やはり大きなエネルギーシフトを齎します。明日、新ワークをリリース予定なのもこのファミリーが来たことで開いた事だったし、今月初めの江ノ島、ショップの5年越しのトップ画像の変更、そして3日前に無事に終えたセイキムレイキのセミナーも・・これらファミリーの存在感あればこそでした。

その流れの中で、画像を用意してタイトルを決めてから、もう一月近く。こちらのブログはそうなりがちなのだけど。今は今の自分の自由な筆で、書いてみようと思います。年末のご挨拶も兼ねて。。

関連記事(メインブログ:世界樹の木影で『陰陽を越えて、すべてなるものへ』

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陰陽の法則は、宇宙の普遍法則ではなく、ソーラーシステムや宇宙の層が変われば、自然界の元素ももちろんのこと、エネルギーの仕組みも変わるのだろうと、前にも書いた記憶がある。水といっても(科学的な意味ではなくエネルギー的な意味において)、地球の水と金星の水では違う。。遠い宇宙へ行けば尚更のこと。

カレッジのための学びで、自然界の四元素は「宇宙の生命の木に最初に現れる四つの封印である」という記述に出会いましたし、さらに四元素の元になっているというインド哲学のトリグナ、三つの「物質自然」のサットヴァ、ラジャス、タマス、これらも「この世界」を束縛しているものであるというような表現を見かけて、「そうだよなあ」と思う最近。

つまり、宇宙のどこへ行っても同じ自然法則、更には物質と非物質をとりまく状況や仕組みはみんな違う。私たちからすればただ光がある、みたいな世界もあれば、音だけが静かに鳴っているというような世界もあることと思う。

そして私たちの地球の歴史。いろいろ・・一般で言われる短い歴史ではなく、メタフィジでいう本当の歴史。数百万年規模の・・・その間だって、地球をとりまく自然および人間、高次、地中、天空のありようは色々だった。そして私たちに関係するのは、今とこれから、何が必要かということ。

与謝野晶子のいうように日本の主祭神が女神アマテラスだからという訳ではなく(アマテラスのオリジンは男性神。ただ伊勢にあるエネルギー、本当の国土の母神は白山姫と思う)・・・これからの時代の女性たちがどうあるべきかということを考えていくと、今、男性社会、左脳的物質主義社会が崩壊する段階で、女性的な時代への移行が既に始まっている。そこで生きる私たち、女性たちは、受動的であってはいけない。でもまだ、DNAや家庭から影響を受けた受動のエネルギーが染み付いている人も多いと思う。

月は太陽を受けて光っている。地球への影響は大きい。でも、地球の周りを回っている。太陽は恒星であり、自らが燃えることで周囲にあるソーラーシステムの惑星およびその周囲を巡る衛星たちを動かし、生かしている。

先に何かがあり、そこへの反応として生きている時間。そこにあるものを観察して、評論したり何かの具材にしたりする(・・ことを女性は好みがちだけれど/笑)。直ぐ側にある手が届くものに囲まれて、遠くにある世界を忘れて過ごす・・地球の大きさ、世界に住む人々のこと、地球の先にある本当の広がりの存在を、頭や心に通すことのないまま、受動的に生きる。テレビやメディアに囲まれ、「見ていること」に慣れてしまって過ごす。女性に限らず、歯車の中に在る男性たちも然り。

分離意識、そこから生まれる競争、支配と利己・・・男性性の側面のネガティブな力が、主に地球の最近の歴史を回して来た。そんな中でも根強く芽生え花を咲かせてきた芸術文化は、女性的なエネルギーと言える。肉体の性別のことではなく、エネルギーや、脳の機能のこと。

だいぶ余談な気がするけれど、これを書いていて思い出したことをひとつ。
何年も前にテレビで、瀬戸内寂聴さんと、ほかお二人の文化人の女性(どなたか忘れてしまった)が「源氏物語」について対談をしていて。源氏に出てくる女人たちを様々に評論しているのだけど、その中で、「朝顔の斉院」のことを寂聴さんが「ほんっとにつまらない女よね」と酷評されていたのがとても印象的で・・

朝顔の斉院、朝顔の君とはどういう人かというと、源氏とは確かいとこで、少し年上。初恋の人とも言える幼なじみだけれど、再三の源氏の求婚を最後まで退けつづけている。ウイキペディアを覗いたら、こんな風だった。

源氏が若い頃から熱をあげていた女君の一人で、高貴の出自のため正妻候補に幾度か名前が挙がり、正妻格の紫の上の立場を脅かした。姫君自身も源氏に好意を寄せているが、源氏の恋愛遍歴と彼と付き合った女君たちの顛末を知るにつけ妻になろうとまでは思わず、源氏の求愛を拒み続けてプラトニックな関係を保ち、折に触れて便りを交わす風流な友情に終始した。朱雀帝時代から斎院を長く続けたため婚期を逃し、そのまま独身を貫き通して出家、物語の表舞台から消える。

これを、羨ましいとは決して思わないけれど(私は明石上が好き)、「つまらない女」とも思わず、むしろ賢い女性だと思っている。生まれも宮家で、長年、斎院として神の社で巫女として仕えている生活をしていて、心の清さ、気高さがあったのだろうし。当時、源氏もよくやっているように、女性の意志にかかわらず男性がエイっとモノにしてしまうことも多かった中で、毅然として距離を起き続けた彼女の態度こそ、「能動的」であり、自らの意志を通した、その時代では珍しい女性の姿ではないかと思う。

そんな「つまらなさ」ならば、あっぱれだと。。思う。寧ろ幼いうちに源氏に引き取られ源氏のいいなりにしか生きられなかった紫上のほうが、余程、お気の毒。ほとんどの女性が出家していく源氏物語を書いていた紫式部は、紫上を育てた先に最愛の妻にする源氏のあれこれを描きながら、きっと本当は、朝顔のような女性を「カッコイイ」と思っていたのではないかしら。余談でしたが、女性性を考えるのに、源氏物語もよい具材になる。本当に色んなタイプの女性が登場する。源氏は「影」でしかなく、当時の制度や風習の中で憂いを抱えて迷いながら生きている影。それにきっと作者は源氏を自分の分身のように思っていたのではないかな。自分の中の男性性、ツインソウルのような気分で書いていたに違いない。

なので、数年前に製作された源氏映画で、実は紫式部がボスである藤原道長の愛人で、道長への恨み節で源氏を描いたという設定は、本当に・・本当に・・違うと思う。あの物語にはもっと能動のエネルギーを感じるし、紫式部の男女を越えた人間愛のようなものも感じる。男気がないと、あんなものは頭の中で展開できないし、アウトプットするパワーにも繋がらない。恨みから、真の芸術、真の価値あるものは生まれない。・・・と、熱く語ってしまった。


男性性が持っている支配・征服への欲求から、女性は受動的であるほうが良いという概念が固定されてきたと思う。対等なバランスで男女が在るという想定をすれば、必要な女性性のあり方はまったく違ってくる。まず、ありき。男性と同じように、まず、在る。同じように考え、行動する。足りないものを補い合う。そのために必要なパーソナリティとなれば、もう個々の相性、愛情、価値観や性質に拠るということになる。そうなっていくと、あれ?男性らしさ、女性らしさ、の概念も見失ってしまうし、最後には人間愛、人類愛となる。

そこに行き着くと、じゃあ今のような結婚制度は必要なのか、分からなくなる。そうして話は、多くの人々の理解の域を超える層へと発展してしまう。そもそも、結びつくとはどういうことか、と。なぜそれが必要なのか、と。究極的なことを言えば、エネルギーだから必要なのだと思う。

自然界の四元素でさえ、この世界を特徴づけ、人間を物理自然に「縛り付ける」封印としての法則なのだから、ましてや、男女の社会的なあり方となれば、もうほんの表層、その短い時代に生まれて続いているに過ぎない概念、思い込みとも言える。そんな呪縛にまだ、囚われている人が多い。そして日本は第二チャクラ的な男女バランスは割ととれているのかもしれないけれど(男性が女性的)、精神の面でのバランスはかなり世界でも遅れている。その原因はと考えると、恐らく第三チャクラ的に、女性の自立感が弱いのだと思う。

だから、日本の女性にこそ必要なメッセージ。「女性は太陽だ」
第三チャクラ、太陽神経叢を鍛えて、自分という軸を常に持っていないと、まず男性ありき、そこに合わせる・・というと聞こえはいいけれど、自分で選択し責任を引き受けるという大人としての自己の擁立から逃げていることになるだけ。「社会」もある意味「男性」だ。対社会でも・・そこにあるものを受容して、合わせていくことが美徳だとは、この先の時代は思わずに行きたい。

そうかと言って、男性の真似をしてはいけない。偏らずに、新しい時代を拓く為に右脳的感性が主導権をとる賢い女性性の創造的パワー、産み出す力、育む力、調和する精神を、まだ社会の呪縛ゆえにその先が見えにくくなっている男性たちに、「教えてあげる」ことが出来るような、心の強さを持つ。そして、説得力を付加するには、それなりの中味を造らなくては、男性たちには聞いてもらえない。女性の弱みは感情的であること。アストラル体をメンタル体が凌ぎうまく統御し、サットヴァが主導するラジャス・タマスの程よいバランスを造っていこう。。

太陽を第三チャクラに。
揺るぎない自分をつくろう。内なる恐れや、どこからともなくやってくる分離エナジーに負けずに。

創造しよう。創造は、太陽の力。どこの宇宙の層へ言っても、源である太陽は育む力=母。

男性も女性も、自分らしく在ればそれでいい。ツインバランス。

自分を制限するものを一つ一つリセットし、「ただ在る」ことで産み出される自分という力、そんな力が重ね合わされる他者との対等なバランス感覚と共同創造を、楽しんで行ければいい。

Love and Gratitude,

元旦のご挨拶、新ワークの紹介をメインブログにて予定しています(遅れたらスミマセン、、)
http://sekaijunokokagede.cocolog-nifty.com/blog/

能動的に自分らしく輝ける、太陽のような2015年を! 

2014年12月30日火曜日

仕事納め セイキム初セミナー


28日のセイキムセミナー2にて。とてもお天気の良い日で、午前中から部屋にさんさんと降り注ぐ太陽に、皆さんは光のオーブ写真を撮ろうと夢中に。かなり長いこと、撮影会がつづきました。楽しそうな姿、見ていて私も楽しく和みました。

ミツロウキャンドルの灯りや、サロンの石たちに歓んで下さる姿もそうですが、女子だなあ・・・と、女性ならではの嬉しそうな場面、情緒面を共有して楽しそうにされている様子は、ほんと、表現形はどうであれ(穏やかな大人の感情表現であれ)、心はずっと乙女というか、女子高生のまま変わらないような喜怒哀楽に素直な女性ならではの世界に、自然に微笑む私です。

と、まるで自分はおじさんのような目線ですが・・そんな女性ならでは、のサロンの空気に浸っているのもこの仕事をしている中での、喜びのひとつでしょうか。セッションやセミナーで必要な時間を消化したら、ハイさようなら・・という仕事の仕方は、私はとても出来ないなあ。

逆に言えば、普段は忙しく生きて来て、どちらかというと男性的に過ごしているので(世帯主、事業主)サロンでの皆さんの女子っぽい(特に石を囲んでの/笑)ひと時が唯一、それらしい部分を使う時間なのかもしれません。正直なところ、日常生活の中でそういうことに使う時間のゆとりは無くて(笑)。仕事の中で生きている時間がすべてと言っていい。だからこそ有り難い、サロンでの何となくの時間を私も楽しんでいます。

セイキムセミナーや、瞑想会からの色々、マニアックなお話はメインブログ「世界樹の木影で」に綴りました。宜しければご覧下さい。

提供する側として・・
お客様に歓んでいただくためのコンテンツや空間を造ることは勿論、自分自身の公共性というのでしょうか、上記のように自分にとってもこの仕事は楽しいひと時であるという部分と、やはりお仕事としての「務め」にすっと戻れる自分で常にありつづけることは、今年を通してのテーマだったように思います。それらしい言葉でいえばやはり「無条件の愛」ですが・・・

目に見えない世界を扱うヒーリングサロンだからこそ、見えないエネルギーを見えるものとして常に計測できているスキルのようなものは、ヒーラーにとっては必要だなと思います。メソッドではなく「一般論」でもなく、自分が持っている定規で計測した結果を常に信じて、行動や選択に変えていく。人間の心が無いわけではなく、傷付くこともある。すべて自分の中から来るとは分かっているけれど、戸惑うこともある。けれど何があろうとも自分の定規を持ち続ける。。。

来年はどんな年になるかな。
「公共性」を更に高め、純化にいそしむ年になるかな。目標も持たず、到達点も考えず、ただ淡々と、宇宙のフローの軌道の上に現れてくる輝きを、形にしていくことにいそしみたいと思います。

2014年、お世話になりました。

Love and Gratitude,

2014年12月16日火曜日

白い鳩


Unconditional Love

風に色が見えるとき 世界は私の中に在る
金色 銀色 刹那色 
世界の夢である私 私は世界を夢に見る

虚空に拡げた腕が 目の前の地球(ほし)を抱きしめる
桃色 水色 檸檬色
すべてが完全であるように 時が私の一部になる

風たちが騒ぐ

解き放った白い鳩が また戻って来た
止まる枝が見つからずに

ハートの小部屋から旅に出た 幸せの白い鳩
愛の証 明日への翼 無垢な羽搏き

止まる枝が見つからず 帰ってきた
少し羽を痛めて 白い翼をすり減らして

大丈夫
構わないよ
何度でも 戻っておいで

私のハートを 運んで欲しいから
傷付いたら、何度でも癒してあげるから
ただ反復するように また翼を磨いていこう

風たちが色づく

浅葱(あさぎ) 薄紅 ラベンダー
世界の夢である私 私は世界を夢に見る

毎日 白い鳩と語らう 私のハートに住む
無垢な愛の証


青野 芹
http://seripoem.exblog.jp/



二日前、スカイプセッションが終った後、ひとりで過ごすサロンでのひととき。
思索するというよりは、空っぽでただ、空や色や、セッションで見えた美しい風景や、そこで働いてくれたエンジェルたちのエネルギーの余韻を味わう。

ミカエル、ラファエルのエンジェルリンク、2本立てという同じ組み合わせが二日続いた。ミカエルはノンジャッジメント。自分も他者も裁かず、ジャッジしない無条件の愛の意識をもつことを促される。ラファエルは勇気と癒し。選択で迷ってもラファエルがくれるたいまつが道を照らし、前に進む勇気も彼が促してくれる。そのプロセスで起きる癒し。

同じ二本立てが2日つづくと、自分にもその余波が起きるかな。いやいや、ノンジャッジメントも勇気も、それにより起きる癒しも・・既にもう自分の一部。マスターしたということではもちろんなくて、いつも、天使たちの教えは、身体の中に在る。

そして鳩を飛ばすのだ、今日も。

ハートの中に居る、天使の愛の証である、白い鳩。



Love and Grace,

Amari