2015年7月27日月曜日

創造は天地の間を吹く風

15julyshiiregdn

アルガンザの徒然

止まることのない、流れ続けるような近年の状況、エネルギーにもかなり慣れてきました。エネルギーワークで日々、エネルギー補給が出来ていると、それに合わないものはどんどん剥がれて外れて生活の中から消えていくし(食生活や行動など)、エネルギーワークがちゃんとその人の肉体、エーテル、アストラル・・・と、影響を着実に拡げていけていれば、生活も現実も良いほうへ変り続ける。体質も変る。自分自身の気づきが促されるから、それにより選ぶものも変るし、意識も広がり、世界も広がっていく。。。

レイキ(臼井)などはカジュアルに流布し過ぎてしまい、興味本位で受ける人も居るのかもしれませんね。なのでたまに「伝授は受けたけど全く使えていない」という人が居て、レイキから人生が変ったような人にとってはそれは驚きだったりもする。エナジーワークは、エネルギー存在である私たちのすべてにアプローチする直接的な方法で、そのメソッドを身に付け乍ら、肉体(健康面)、感情やメンタル(生きやすさ)、現実の変化という形で結果を実感していくもの。それが、伝わり切れていないのが現状かもしれません。

でも・・時代の流れでよりよい気づきへ、多くの人が向かうのだろうと思う。もう8年くらい前かな、すこしだけお世話になった方が、

「エネルギーワークは一番早い。本人が身に付けて実践していける点でもいい。エネルギーから変えていくのだから、究極。」と仰っていました。その方はもともと医療関係者から、現代医療にうんざりしてしまい(薬の多用など)ホリスティックの道へ。アロマのトリートメントなどボディワークや、ヨガ、アーユルヴェーダ、そしてレイキをされていました。

ちなみにヨガやアーユルベーダというインドの伝統は、私はやっぱり、行き着く先だなあと思っています。というのは、エネルギーの世界、ニューエイジ思想・・を辿っていったら神智学へ行き着き、それを紐解くと、やはり地上に既に昔から降りていてそのまま残っている、「神智学に近いもの」はインド思想、インド哲学やその一部であるヨガやアーユルヴェーダ等々なんですもの。。。

その方の言葉は、「・・ただ、今の時代、とつぜんエネルギーでヒーリングしませんか、といっても受け入れられない人々も沢山いる。だから私は、それ以外の癒しを行なっているんです」と。。。続きます。それは尤もですね。同じ頃、エナジーワークでとてもお世話になった先生とは、

「これからの時代、今たくさんあるヒーリングも淘汰されて、本当に未来の人類に必要なものだけが残る。」と語り合っていました。それからもう大分たちますが、そのような変化変動がこれから来るのだろうと思います。同時に、エネルギーワークの広まり方、実践の仕方も、見直しが必要で、より実直に誠実に、伝わるよう整理されないといけない。

特別なワーク・・・ではなく、人間がエネルギー存在であることを思えば、きっとこれはレムリアとか、多次元的な世界に在ればごく自然な「身体と心の健康」にまつわる知恵だったろうと思うのです。そういった事だけではなく、いつも感じるのは、「頭の柔らかさ」が必要であるということ。本質にピピっと意識を開けるような。でもそれが最初から不思議なほど出来ている人たちも居て、経験上、そういう人たちは『自然派』の方が多い。

そういう方々だから、自然なものに囲まれていたいと考えてライフスタイルが変るのかもしれないし、その逆かもしれない。現代の風潮とか、時代から受けとって埋め込まれているようなものを飛び越えて、ススっと本質に入っていける。。そういう頭と感性の柔らかさも必要だなあと思います。

さてさて。。仕事をしながらそんなことを感じている今日この頃ですが、カレッジでは出来る限り、神智学という高次目線の人間&宇宙論から、それを分かり易く地上の言葉に変えたニューエイジ思想を中心に、地上的な要素と結合させながら、皆さんの肉体にそれが根付き、多次元オーラ体にそれが響き、アドバンスでは意識が広がり世界が変るように、イメージし、進めています。

現在進行中の3期も、もう残す所1回の講座で中級課程が終わり夏休みに入ります。3期の皆さんは真面目で誠実な空気が最初からとてもありました。そして爽やか。宿題の基礎トレを「次回までに3回はやりましょうね」と遠慮がちにいつも言っているのですが、最近になると『毎日やっています』という方がとても多くて、私がありがたくもびっくり!そして影響されて、私も日々のワーク時間が増えました(笑)。基礎をしっかりと実践して感じていけるのはとても大事なこと。

「楽しくて仕方ない」「楽しみでワーク時間に入る」・・そういう言葉を聞いて、私もかつてを思いだしました。そうだった、そうだった、生活スタイルから以前はそれが出来たというのもあるけれど、たぶん最初の頃は、2時間くらいは毎日、瞑想を中心としたワーク時間をとっていました。純粋にエネルギーが気持ちよくて、身体もどんどん変っていくし、精神的な気づきも、霊的なインピレーションもそこから来るので、楽しくて仕方なかった。。。それを思いだしていました。そして改めて感じたのは、日々エネルギーを動かす時間をとっている人は、やっぱり安定感がある。

遠慮がちに日頃は言っていますが、本心から言うと、

『エネルギーワークをやっています、という自覚のある人は、毎日一時間はワークしましょう』

実は・・というかみんな分かっているかもしれないけれど、楽器の練習やバレエなどで『一日さぼれば3日遅れる』という言葉があるじゃないですか。。そこまでは言わないけど(強迫観念はよくないけれど)そもそも私たちが、仕組みの違う3次元世界で日々を生き、ストレス==満員電車や電波、電磁波などの物理的および、精神的==に晒され乍らの環境に居る訳なので、それを外すことでまずは一手間、そして高次のエナジーを迎え入れること、更には自分を良い状態に保つこと、というテーマがありますので、毎日ワークをしていたほうがアップダウンが少なく、自分が楽なのです。

いつも言うような「メタフィジ筋」を付けていく・・というプラスを加算していくことを考えると、やはり毎日・・が良いと思います。気づきであっさりと問題が解決することも多いし、体調もよくなる。実践あるのみ。せっかくのツールですから。

そして、もちろん、生活全体をエネルギー的に良い環境、良い質に変えていくことで自分とのエネルギー作用をさらに気持ち良いものへ変えていくことが大切で、とくに、空間。清潔さは勿論のこと、エネルギーの通りが良いような住空間づくり。クリスタルはそこで力を貸してくれるし、セージの薫香や、音をうまく使ったり、植物や、天然素材など。

レイキやエナジーワークは『自然療法』なので、自分や家族、生活全般、食や健康などすべてを変えてくれる知恵でありメソッドです。余りに分かり切った気分でいて、普段こういう話はそういえば余り書いていませんが、そういうものを自分のベースにして生活や健康や人生に響かせて行った先の、魂の深遠な世界、創世記、アースワーク・・・ということです。アルガンザでは今年はとにかく、基礎を再びお伝えしたり、提供したりしながら、らしさを更に伸ばして拡げて、多次元ワークを充実させて。

カレッジは中級で肉体とオーラ体づくり。上級ではそれを続けつつも意識を拡げていけるよう構成していますが、3期アドバンスにはまた違うまとめの盛り上がりが来そうな気がしています。そして石巫女は、これから準備しますが、クリスタルヒーリングではないです・・まったく新しい事をしたいと思っています。まさに石の巫女・・という。

そうだ、セイリオス先月の勉強会も、とても良かったと自画自賛しています。エントリーしていたけどやっぱり今回は・・というご連絡が直前に4件あり、変って数日前に、そして当日にも「出ます!」という方がいらっしゃって、相変わらずセイリオスは、直前まで分からないなあ(結果、当日は参加者5名で実施)。瞑想については今回から、こちらで事前に用意しての1時間の「ヴァージョンアップ瞑想」。なので、流動性がワークの時間に持ち込まれることはなく、私としてはとても安心感があります。ワークの前後の時間を使って、参加者がそれぞれのアースワークな話を報告してくれました。このバランス感はとても良くて、ようやく・・という感じ。

ただ、やっぱり大きなエネルギー同士が集まってくるような所は、どうしてもアースワークゆえにあるし、寧ろそれは必要なことだろうと思うので(大きなものを対処にワークしている集まりゆえに)、心構え的なもの、そして私自身に言い聞かせるためにも、『セイリオスのための祈り』のようなものをさっそく作りました。次回はその言葉とエネルギーとともに、実践したいと思います。後半の盛り上がりの、アチューンメント的な要素を毎回、変えて行きますが、今回は「乳海撹拌」の以前遠隔グループで提供した『ライトグリーン』を使いました。

当時よりも今回は意味がわかり、とても良かったと思います。スピリットとオーヴァソウルとの三位一体、現象化のシステムの奥にあるものへの「魂の栄養」としてのライトグリーンの光。現実と霊の次元のギャップを埋める潤滑油として、ワーカーをヴァージョンアップさせるワークになったと思います。自分にもとても効いて、理解も深まったので、これを『顕現のトリニティ』として、『乳海撹拌』のメニューに加えることにします。『豊穣のラクシュミ』と『天地創造』の間に受けて頂く形。これにて、乳海ワークは、豊穣・顕現・創造  と、創造性のラインがビシっと揃った感じがしています。

現象界の裏からの顕現の仕組み・・は、まだ、やっとこれから時代が追いついてくるのかもしれない。今後の時代の変化で、やって下さる方々の下地が出来てくるタイミングもあるのかもしれない。その時にはまた、伝授コースを整理しますね。

話は変わりますが、今回の石の仕入れのテーマの一つが、虹・・レインボーでした。
虹が大好きな人もいますが、私はまあそんなに、レインボーだからと仕入れでこだわる事はこれまで無かったのですが、何か明らかに今回は、無意識層からそれが来ていました。深読みすると、アルクトゥルスかな?と。虹の出現にはアルクが関係しているとリサ・ロイヤルさんが仰っているし、チャクラの七色も、ヒトのエネルギーの原型としてやはりアルクトゥルスでデザインされたのではないかな。

透明と虹の組み合わせは、アルクの気配を感じます。レインボーが!といって手にとり、選んできたクリスタルが幾つかあるので、リュミエールでご紹介していきます。

アルクといえば、ハイウェアとしてスタートした「アルクトゥルス・アストラルレストレーション」。これ、私自身も2つ、パターンを伝えてゴロっと30分横になる、という形で自分にやってみたのですが、振り返るとそれで感情的なものが浮上していた、そしてどうやらスッキリ越えてしまったという事に気づきました。特に最近のひとつは、先週、なぜか古い出来事を思い出すような刺激が数日に渡って起きていて、浸っていたのですが・・・夕方、カレッジの後に入っていたハイウェア枠で、スカイプでお客さんと話したら、まあ、まったく同じ。自分と同じだな〜と言う事を語られました。凄いタイミング。

お客さんにワークさせて頂いた後、自分もゴロっとロフトで横になり(何となく)30分したら「ハタ!」と目が醒めたんですね。起きたとき「ここはどこ?」という感じで、自分がヴァンダームへトランスミットしていたんだと気づいて。そうしたらば、スッキリ。変に現実味を帯びて浮上していた、ヒーラーをする中で新たにシミシミと出来て蓄積されていた感情作用が、消えていました。おお、ありがたや。自分のワークとはいえ、貪欲にどんどん使おうという訳にはいかないので(笑・上から来た時だけ受けとります)また流れがあれば・・と。

昨日はソウルインテグレーション、レコンの2本立てでした。アルク系ワークのエナジーは本当に独特で、とくに私に降りてくる通常の形はアルテミスの波長のようです。これまで、エネルギーの状態がとても良くてなおかつ必要な時にしか、セッション時以外はアルテミス(アポロンも)は流れ込んで来なかったのですが、ここ2週間くらいでしょうか、それが日常的な流入になっている。精妙な細流のようで、意識を拡げてくれるようで、「すっきり爽やか」なパーソナリティに移行を促してくれる感じ。アルク系は本当にそうなのでしょうね。7次元だから、5〜6次元の法則的なものから更に自由なのでしょう。

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今月下旬はカレッジ卒業生の方とサロンでお会いする事が多くなっています。そして横の繋がりが動いていたり、ネットワーク、グループエナジーが動いている時期なのかな。昨日は、アルガンザのセッションを初めて体験することになる卒業生の方がいらっしゃいました。お元気かな?と思っていたのですが、卒業式後にまた大きな変換点があったようで、雰囲気がとても変っていて驚きました。同じクラスのヒーラーさんをしている方のセッションを受けたそうで、それが大きな脱皮になったようにお見受けしました。そしてご本人にいわく、それがアルガンザセッションを受けるための、前段階として必要なプロセスだったと。

本当にそんな感じがしました。本源的な部分、今生ずっと自分の中にあった引っ張る力を、認めて受けとめて解放したようなプロセスがあったのか、エネルギーが自分自身に無駄のない、引き締まったようなセンタリングでお顔立ちまで変ったような感じがしていましたが、昨日のセッションでそれが更に縦軸の構築と、「では・・次はソウルの記憶やカルマを手放し、スピリットとの統合へ向かって行きましょう」という、境界を越えていくようなイニシエーションを感じました。

とても嬉しく有り難かったのは、その方から、「生きている限り進化成長しつづけたいとようやく最近、固まった」という言葉を聞きました。「生ききりたい」とも。。素敵。そして私もいつもそう思っていまして、そのスタンスを共有できるものとして、サロンやカレッジをやっています。それでも、人として社会や他者と共存する時間の中で揺れもありますし、アップダウンもあり、自問してしまう事だってあると思うのですが・・そういう言葉をはっきり聞けるのは、とても嬉しく、安堵感と感謝が湧いて来ます。「生きている限り進化」これはまさに、アルガンザの周波数なんです。

卒業生の皆さん、1期生も、2期生も、コミットメントと、本当に?本気ですか?貴方はスピリットで生きるのでしょうか、それとも地上人類のレベルに残りますか?というテーマを感じておられる方が多くて、すでに越えている方、越えようと奮闘中の方、現実との擦り合わせの中で葛藤している方、まだ勇気が出せないかも・・という方もいらっしゃるかもしれません。これはきっと全体に言えることでしょうね。

そしてもう、こういう言葉をブログに綴らなくても良い時代が来るような気がしています^^ 越えるとか越えないとか。自然に別れていく、一瞬一瞬が選択であり、その都度世界が別れていく気がする。自分が放っているオーラ、チャクラの輝きや、思考や感情のエネルギー、魂の光・・・意識の指数。それらが現実化現象化するスピードもとても速い。みんなが乗っている潮流の、流れがとても早くなっている気がします。

とはいえ、焦っても逆効果。グラウンディング。センタリングして自分に『静かに』集中。「がんばろう」と言ってしまうと、何か苦しいようなイメージを持ってしまう人が居るようで、「苦しむ必要ないよ」ということになってしまうのですが・・・(日本のスピリチュアル独特の風潮だと思います)・・・苦しむ、つまり摩擦を生み出しているのは自分のエゴセルフの声や感覚であり、それを手放してしまえば苦しいことなんて何もなく。でもそうして葛藤するのは、人間が人間であるからなので。

それを、良いとか悪いとかジャッジすることなく、ただ受け入れる。摩擦があれば苦しい時もあるかもしれない。でもそれさえ自分の一部。そもそも、どうして生きているの?地球で生きることってつまり何だろうか?変化変容し愛に帰っていくことは、魂にとって喜びではないだろうか。魂が歓べば、自分も幸せが顕現する。深くからの安堵感でいつも存在していられる。「葛藤する」こと自体、もう越えていこうよ。。。。。

そしてこういう言葉を、きっと今後はもう、ブログに書かなくて良くなる。
そんなことを感じながらの、2015年の夏なのである。

エネルギー状態が健全で、なおかつ人に良い波動を振りまく事が出来て、天と地のバランスがとれている人は、「朗らかなオープンさ、清々しい輝き」と「清潔感」が溢れています。よく「透明感」と言いますが、透明感ってたとえば凄く繊細で純粋な若い少年少女なんかも醸し出していますが、ただ透明なだけではポキっと折れてしまうのですよね。清々しい風が吹いているようで、魂の生命力がしっかりと輝いている、そのためには、現実世界でどんな風に生き、自分の力を使っているかもとても大切な要素、その人の強さということになります。自分自身の力を地上でちゃんと動かし、天と地と繋がって、オープンかつセンタリングして(オープン過ぎずに)生きる。何かに寄りかかったりせず、自分の足で大地に立つ。人としての在り方の上に初めて、高次の光との共鳴が起こります。そんなヒトを目指していきたいものですね。

Love and Grace, 
Amari

2015年7月25日土曜日

高次(光)とは取引できない


自滅の木
その枝にあるのは、空虚感、疎外感、無関心、人間関係のいざこざ、etc.
その根にあるのは、恐れ、不安、怒り、嫉妬、不信、敵意、罪悪感、自己憐憫

自己認識の木
その枝にあるのは、生きがい、健康、喜び、やる気、満足、寛容さ、実行力、創造力
その根にあるのは、慈愛、友愛、ゆるし、愛、感謝、親切、温かさ、信頼

     
     by The Book of Peace / Mother Teresa




thanks to: 清水紀子(訳)/メトロポリタン出版

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「もう少し状況がこうなったら、〜できるんだけど」
「周りがもっとこうなってくれたら、〜を始めよう」
「〜が整ったら、実行するべく動き出します」

人はとかくそう思いがちですが、状況が変わるのをただ待っていて、それが自分が動き出さない理由だと思い込んでいたら、いつまで経っても何も変化はおきない。適当な時期やタイミング、時流や各人の運気のようなものは確かにある。けれど、外側で何かが変わるまで、自分から準備することをせずに居たら、いつまでもずっと、今ある世界と仲良し。

時期を、タイミングを見る・・・のであれば、
その間、せっせと準備をする。自分磨き、環境や、人間関係。知性や体力、生活力、責任感、大人としての自立。すべて、創造のために必要な要素。活力を養うために、食や日々の生活を見直す必要があるかもしれないし、知性が足りないと思えば磨くのは今の時代は簡単。

住環境の持っている波動が、自分が他者と会った時に醸し出す空気感となる。
本に囲まれている人は知的な感じがするし、花や動植物を愛でている人は優しい印象を与える。

日々、環境や自分を磨いていくことは出来る。
読書をすれば、自分が深まるし、落ちついた空気が生まれる。
ネット検索ばかりでは、周波数の高い知性は身に付かない。

もし・・・

『恐れ、不安、怒り、嫉妬、不信、敵意、罪悪感、自己憐憫』

が自分の中にあるのなら、それを解放していくことに意識を向けよう。
そのためのツール、メソッドを習い、習ったら毎日実践。

自分が放っているものを、宇宙は還す。
創造、顕現のトリニティ。
そこに計算の狂いはなく、現実・外見(容姿の形態の善し悪しではなく)・日々の心や身体に、数字が現れる。そこから自分を知り、見つめていくことを厭わず。変えていくことを恐れず。

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高次(光の側)とは、取引、駆け引きは出来ない。
あるものを鏡で還すだけ。

もし、取引や駆け引きが、成り立ったかのように現実が自分の思うように動いたなら、その「高次」は光ではない可能性が高い。「高次」は、地球の三次元よりも高い次元というだけで、それがイコール「光」とは限らない。あなたの中に住むエンティティや、浮かばれないご先祖からの負の「三位一体」もあり得る。あなた自身の「ハイヤーセルフ」=高次の自己も同じくで、必ずしも善だけではない、カルマをもった揺れ動く存在であることも考えられる。

創造は、自分の心がスタートを切る。
他者や、状況が整うのを待つのではなく。
取引、駆け引き、待機は無意味であり、かえってカルマを産む。負のスパイラルの始まり。

マザーの言う「自己認識の木」がすべてを物語る。
創造は、まさにそんな根っこから始まり、そんな枝として具現化する。

見てみれば分かる。
自分に何が足りていないかを。何を足せば、自分が幸せになれるか。

高次(光)はすべてを見透かす正確で狂いのないコンピューターシステム。
根っこと、枝と・・・心と頭の中にある、「取引/駆け引き・感」をたまに見直してみよう。
幸せを実感でき、感謝とともに生きられるように。

「あなたはあるがままで」
「もう修行は必要ない」
「あなたはそのままで完璧」

・・・という言葉が、スピリチュアル界に満ちていることこそ、光に向かわせないためのトラップです。あるがまま、そのまま、それも自由意志だから良いでしょう。ただ自分が幸せであれば。。。皆、苦しいからスピリチュアルを求める。ならば、「そのままで」良い訳では無い。変化を起こさなくちゃ。そのためには、自分から動きだし、自分で気づき、自分で責任を持ち、収穫する。

「自己認識の木」





Love and Grace, 

2015年7月21日火曜日

「メタフィジ女子☆スカル同盟」発足?/セイキムご感想


去年の秋、スタートして少し経ったヒーラーズカレッジ2期のとあるクラスにて。
「 Amari さん、クリスタルのスカル・・ってどう思いますか?」
「・・・ええっ?スカル? あんまり興味ない〜」

そんな会話から始まりました。

石好きを自認し、石を商うようになってからはや12年ちかくになりますが、いわゆるスカル、頭骸骨の形をした彫り物は、「特種な趣味の人」が持つものだと思っていました。ビジュアル派、何事も美が大切・・と思っている自分としては(スカルだって美しいのですが)偏見や固定観念から、「グロテスク!」と決めつけていたのでした。カレッジ生の方のそんな質問で、びっくりしていると、クラスメートの方が、

「私も欲しいスカルがあるんです。。実は、」とお話下さって、さらにびっくり。私よりお若いメタフィジ女子であり石ガールでもあるお二人が、「スカル欲しい」と仰ることに本当に驚いてしまいました。お二人とも、私がこれまで思い込んでいた「スカルを好むであろう特種な人々」ではもちろん無かった訳なので。。「あらら、こんなに素敵なメタフィジ女子たちが、スカルをほしがっているとは。。。」素直に目からウロコの瞬間で、スカルへの偏見がいくらか薄らいだのでした。

それから、数カ月。ヒーラーズカレッジ2期はアドバンスに差し掛かり、窓からのUFOの出現頻度があがり、皆で眺めるようになっていた冬の1月後半、何度も書いているディーザの降下、その受け入れのキッカケになる二期生の方のセッション。。今思えば、その方、Aさんは上記のスカルの会話をしたお二人と同じクラス。そしてこのお三方は、先月、6月のセイキムセミナーに仲良く3名で、互いに知らずにエントリーしていたという繋がりもあり。。今になると感慨深いです。

そのAさんの1月半ばのセッションから、私自身がディーザを受け入れ搭載することになり(『リラを思いだして』など当時の記事をご参照)、頭の中、そして全身が黄色のディーザエナジーに染まっていた2〜3日後のこと、取引先の資料を見ていたら、昨年ミュンヘンショー由来品としてシトリンの大きなスカルが出ていました。大きいといっても等身大の人間の当骸骨ほどは大きくなく、それよりは少し小振りくらい。天然シトリンで、素晴らしい輝き。虹もあるのだろうなあ。。

スカルそのものには興味なく、上記のカレッジでの会話を経て「すこし偏見が和らいだ」くらいだったのですが、それを見た瞬間、
『・・・あっっディーザ!!』

そう思ったのでした。数日来、頭の中がチカチカとイエローゴールドの光で染まっていたのと、スカルの持っている「人類の原型」のような佇まいに、何か「母なるもの」の気配を感じたのです。


この銀河系のヒューマノイドの故郷である、リラ(琴座)。
二元性はすでにそのリラ文明で生まれていたといいますが、二元性がヒューマノイドの世界に現象化するより前の、宇宙の根源からの創造の光。それを、アルガンザでは「ディヴァインマザー」から「ディーザ」と呼んでいる。深い記憶のどこかから、人類の創成、地球での生命の始まりにも深く関わっている生命の源としての「ディーザ」。清らかで柔らかく、それでいて関わる人や環境を強化し純化してくれるイエローゴールドの癒し。

その母性の原型のようなエネルギーへの記憶が、女性的な顔立ちをしたスカルと重なりました。そして色も。でも、こんなに大きなスカルを、自分がお迎えするような決心はすぐには現実味を帯びなくて。。。ただ、カレッジのクラスではその話をして、「ではスカルクラブなるものを発足しますか」と冗談を言っていました。「いやあ、買うんですかって?あと一年したら、迎えているかもねえ」と軽い会話をしていたのですが、

その後、カレッジも終盤に近づいた3月中旬。
取引先に仕入れに出向く際、急に「これはどうしてもお迎えせねば」という気持ちになり、スイッチが入り、現実的な事情やあれこれなどすべてが吹っ飛んでいき、迷いの要素もあっさりと消えて、お迎えするに至りました。他の石たちとは別便で、仕入れからの帰路、家に持ち帰ったのですが、珍しい石酔いをしてしまい、そのパワーの強さを最初から見せつけられました。

うちの娘には「すーちゃん」という渾名を付けられたシトリンのスカル。つまり、ディーザのヨリシロです。
これを、しばらく自宅に置いておこうか、迷いました。
カレッジでも「スカル欲しい」という会話をしていた方がお二人いたものの、私自身がそうであったように、「スカル・・グロテスク。。魔術的。。私はちょっと。。 Amari さんどうしちゃったの??」と、思うかもしれない。卒業間近の二期生の皆さんに、余計な不安要素を与えてしまうのはどうだろうか。。。

とりあえず持ち帰った日、この「マザー」を手にして瞑想を試みました。
・・ら、
「これ、何をしておる」
という声が聞こえてきたような気分でした。まったく瞑想に入れないし、普段あるような石との共鳴感がまったくおこらない。寧ろ、「違うでしょ〜」とツッコミを入れられているような。そして再び石酔い。(私が石酔いって余程のことなんです。。笑)

「し、失礼しましたっっっ」

これは、私個人が所有してどうのというものではなく、公共物なのだ。。やはりディーザのヨリシロなのだ)と深く、深く感じ入り、皆さんの反応は気になるけど、とにかくはサロンに設置しようと思って、翌日に石酔いしながら両手で抱えて行きました。カレッジの日曜クラス。

心配していたのも杞憂に終わり、皆さんいきなりのスカルには驚くものの、ディーザが持っている優しさに自然と親愛を抱いて下さり、また不思議なほど会話が出来るようで、ご本人が驚くくらいチャネリングが始まったりと。その日はちょうど、お一人の背中からあとの2人のクラスメートがエネルギーをリーディングするというワーク内容だったので、リーディングされる側の一人がディーザの前に座り、三角形を描くように後の2人が背後につきました。

される側もする側も、ディーザゆえ、スカルゆえのコミュニケーションや深い癒しとなったようで、そう、思えばここから、「アルクアンドロ創世記」が急転回したのでした。やはり、ディーザのお陰です。偶像崇拝ではなく、このスカルをヨリシロとしてより身直になった母性エナジーの源泉としてのディーザ。その二元性を越える圧倒的な高さと奥深さ、精妙さ、壮大さで、シリウス、オリオン、アルクトゥルスなどの攻防、拮抗を遥か高みから降りてきて慈雨で癒すような懐深さがあったからこその、その後の流れでした。

ヨリシロがすべてではなく、私たち一人一人がそのエナジーを迎え入れることでアースワークは成立していきますし、アルガンザの中枢でディーザとの強い繋がりを作ることが出来たお陰で、その後の「創世記」へのフローが出来た訳ですが、やはり目に見える形でディーザが居てくれ、目の前で自分をオープンにすることで各自の深い古い癒しが起きていったプロセスは、ヨリシロの存在あればこそでした。


二期の終盤に、生徒さんたちにしたら予期せぬ展開だったこのヨロリシロの登場。そしてサロンのお客様も、我が家の中でも、ディーザお迎え、受け入れについては本当に面白いエピソード、高次の計らいと思える展開がたくさんありました。たとえば・・

カレッジの各クラスで1名くらいは、急にエネルギーの変化を感じて、「何か分からないけどサロンに来るのが怖かった」り、「前夜から急にエネルギー酔いのような状態」があったり等々。うちの娘も、小さい頃にレントゲンを撮ったショックゆえか、普通以上にガイコツが苦手。ある日、ディーザの事を話しておかねばと語ったら、何とその日、学校(シュタイナー教育)の授業で骨格学をやり、頭骸骨の標本のスケッチをしたと言って、見事にリアルな絵を見せられたり。

お客様や生徒さんたちも、不思議なシンクロがたくさんでした。急にスカルに興味が湧いていた、欲しいと思いはじめていた方、実は探していたという方が居たり、そうじゃなくて少しびっくりされた場合も、ディーザの優しい包容力に、皆さんが仲良くなって帰っていかれる。私の最初にあった偏見・固定観念もなくなって、二期生の皆さんと最初に囁いた「スカルクラブ発足?」という話も(笑)次第に三期生、一期卒業生の方々、その他のお客様たちと楽しく口にするようになっていました。

巡って来たこの夏の仕入れでは、愛らしいピンクメタモのスカルさんをお迎え出来ました。まずはこれが「スカルクラブ」あらため「スカル同盟」の第一歩。あるようで中々なくて、美人さんの女性的な顔立ちとなると稀なのですが・・厳選して、これからはリュミエールでもご紹介していこうかな。3期が始まった時に再び皆さんの反応を危惧してしばしディーザのお披露目を控えていた時期もありましたが、そんな私自身の未だに残る遠慮も、越えていけるかなと思います。実際にヨリシロを目にすると誰もがそこに母性を感じる。何の心配もいらないのですが、、、なぜか人間って骸骨に、本能的な恐れや抵抗があるのかもしれません。

ちなみに、クリスタル好きな女性たちで「スカル好き」という方は、実はけっこう居るのだということがこの半年間は、皆さんとのお話から分かった新事実。高次とのコミュニケーションツールとして、という場合が多いようですが、私自身が体験しているスカルの魅力は、とにかくそれ自体が石酔いするほどにパワフルであるということと、女性的なエナジーのヨリシロとしているせいか、宇宙の大きな愛、All Love にも通じるような懐の深い愛と、育む力、促進する力、癒しなだめながらも前に進ませる力のような。存在としての大きさと光のエナジーの強さ。。

スカルといえばマヤ文明ですが、『インディージョーンズ』の最新作でも取り上げられていましたね。興味在る方は、検索してみてください。どうであれ、私自身にとってよそでの謂われとは関係なく、創世記やさらにその奥にある地球の生命誕生や発展、背景にある宇宙文明のエネルギーとの関係性などに通じる、『生命の神秘・母性・女神エナジーの象徴』であり、やはりディーザや、そもそもディーザや水星系のスターシップとの関わりを作ってくれたアルクトゥルスのテクノロジーなどとの、通信ツールになってくれています。難しい事よりも、存在感に癒されるような部分も。。笑

面白いことに、ディーザが居ると皆さん、瞑想ルームに「おじゃましま〜す」とか「こんにちは〜」とか挨拶しながら入って来る(笑)。そして中央よりも、ディーザの前に正座してしまう、そんな吸引力です。。。色々なものの考え方の囚われが、どんどん外れていく時だと思うのですよね。

当初、スカルについて私に「どう思いますか?」と訊いてくれたRさんと、「私も実は欲しいんです」と仰ったCさんと・・もう一人のクラスメートAさんはディーザの降臨と搭載のキッカケになったセッションの方。このお三方は二期のあるクラスの3名であり、また6月終盤のセイキムレイキセミナーの面々でした。こうして「スカル同盟」をようやく記事に出来る日が来て、ちょうどお三方のセイキムのご感想も揃ったのも偶然ではないでしょう。以下に、掲載させて頂きます。


C さん、A さん、R さん、本当にありがとうございました。

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セイキムセミナー二日間にわたりありがとうございました。
一週間たつ今でも心地よい余韻が続いています。

折しもワークが進んでいた江の島のエネルギーとセイキムの宇宙的なエネルギー、そしてこの現実世界が並行して存在する、時間と空間が交錯した不思議なArganzaサロンの中で、カレッジをともにしたメンバーとご一緒させていただき、和やかながらもセイキムセミナーの濃さに圧倒される勢いで2日間のセミナーを駆け進んでいきました。

はじめのうちは江の島のエネルギーに自分の内側から溢れてくる感情をヒーリングしつつ受けていましたが、次第に、今この場でセイキムをしっかり受け取って広げていくことが使命なのだと感じ、自分のワークに集中することを優先していきました。

セイキムセミナーは、マインドで理解するだけでなく、身体レベルで光と闇を超越する統合のエネルギーを体感できるところに特徴を感じました。オーバーソウルやモナドの高い層から身体のレベルへセイキムのエネルギーをしっかりと繋ぎ、根源とつながる宇宙的なエネルギーを地球に結んでいく、この地球を生きる私たちにとってとても有効なシステムだと思います。

セイキムの瞑想は事前にお話を伺っていて、とても楽しみにしておりました。予想をはるかにこえた内容の深さで、瞑想を通してさらに前進するための大きなバネをいただいたような感じがしています。個人的な体験になりますが、以下瞑想の感想を記します。

1日目の瞑想では地球とつながることへのためらいが強く出てきました。自分の中の最も負の側面を引っ張り出してきたのだと思いますが、私にとってはこれが今の課題なのだと認識しました。

2日目の瞑想は、身体、精神、スピリットが目覚めるような深い深い瞑想体験となりました。オールラブの源泉から流れてくる統合のエネルギーが、ハートの中枢につながってとめどなく広がっていきますと、セイキムのエネルギーのすごさなのでしょう、ハートの深いところから、これがスピリットというものかと思われる形態に自分自身が溶け込んでいくのを感じました。スピリットとしての形態は宇宙での私のあり方でしょうか。この地球に生まれ出ようと意図したときに、宇宙からスピリットとしての私が地球と一体となり、今このヒトとしての形態ができていった。光の柱としての自分さえも地球というこの惑星でのありかたなのだ、と瞑想の中でビジョンとして見て、体感としても感じていました。地球に育まれた自分ということは知っていたけれど理屈抜きでわかった瞬間でした。

瞑想の後半では、オールラブのエネルギーが身体レベルにおりてきて細胞のひとつひとつに染みわたっていきました。そして、細胞全体がきらきらとかがやいて、ホログラムのように細胞が集合して自分自身ができているように見えました。幾何学体や光の流れなどのエネルギー体から、身体の細胞の一つ一つのきらめきへと、瞑想が終わった時には、まるで生まれ変わったかのような、そんな体験でありました。

セイキムを終えて、光も闇も超越した統合のエネルギーが、宇宙からも地球からもその深い深いところからいつも私たちへと降り注がれていて、いまこの瞬間が本当にかけがえなく大切に思います。

本当に内容の濃い貴重な体験をさせていただき、ありがとうございました。

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このセミナーは2日間に分けて、火曜日と日曜日に行われました。アルガンザさんでは開催される曜日に特別な意味づけがされているそうで、エジプトの火と日(太陽)のパワーを利用することが狙われていると知りました。

受講を思い立ったきっかけは、直接の理由がどれにあたるのか、いろいろが複雑に絡み合いすぎていて、とんと思いだせないほどですが、6月から7月は時期的に変化と変容、精神の生まれ変わり(再誕生)を経験するのだと占星術の時期読みから教えていただいて、そのためにできることは何でもやっておきたいと思ったことが大きかったです。

申し込みを思い立った直前、江の島で開催されたインナーチャイルドクレイドルというセラピーを受けていました。ライアーの音を聴いて瞑想状態に入り、チャイルドを癒す、そんなワークを受けて帰ってきて、状態はとても悪く、なにをどう切り替えたらいいか抵抗感イッパイ・・・。だけど泥の中でもがくにも何か有効な手を、、と感じ、時期的にぴったりだったセイキムをそうだ受けようと思い切ることになったのだと思います。

そこからの進み具合は、ちょうどカレッジの課題に取り組む時期と重なり、課題をやっていくことが自分を変えることでしたし、その中から取り去るものがたくさんありましたし、新しい気づきや進展もありました。ずっとその流れに乗っかって当日を迎えた感じがします。


セミナー一日目。
今のような「なぜ受けようと思ったのか」というようなお話をきっかけにして和やかなトーンでスタートしました。よく見知ったメンバーで集まりましたので、私のなかには緊張感ゼロ。。。いいのだか逆効果なのか、、私の場合は、ユルすぎていけなかったのかも知れません。

と言いますか、あの日どういう状態だったのかとよくよく見つめてみたらこうでした。
自分で起こしていることが何であるかをたましいの中では理解しているんですが表面の自分が、ひょうきんさを出すことで変化に対する抵抗を表わしていたのだと、振り返って思います。表面の私は、明らかに怖がっていました。

大したことでないように振る舞うことで、真剣に入り込まないように繕うことで、守っていたんですね。怖かったんですね。変化を求めているくせに、本当に変化してしまったらどうしようと恐れ、ダメージを最小限にするべく保険をかけていたのだと。。

何かがあるのを期待する一方、何かが本当に起こるのを恐れている。そんなかい離がありました。コミットメントの欠如というのですよね。それは、この日の最後の瞑想の際、なかなか誘導の声に
添うことができなく、イメージングがしづらかったことに表われました。自分では、瞑想に深く入れないことに対して、さももっともらしい理由を胸の中に上げていましたが実は全然そんな理由ではなくて、ただコミットメントするのが怖かったのです。

瞑想後のシェアの時、そのことをやんわりと指導いただき、その時は「解らない><」と内部で抵抗していましたが、数日かけて録音を聞きかえしたりすることで、だんだんと腑に落ちてきて、この日の反省点を理解することができました。

そうこうしつつ、宿題になっていたワークをしながら、4日後にあった2回目のセミナーに臨みました。今度は、前回のような中途半端な心構えでは参加できないと思って、お茶ら気も何もナシ。いま、ここで踏ん張って本気を出さないといけない、私はいまギリギリ崖っぷちなんだと覚悟して、そして実際には日常の個人的な課題とリンクしたものを持参するようなカタチで出席しました。

とてもキツイ一日だったと言えますが、わたしにはこのくらい本気具合を試されるような星の配置だったほうが、良かったのでしょう。おかげでとても深く入っていくことができました。食事は普段、全く気をつけない瞑想者なんですが、この日ばかりは食事をとらずにやってみました。なにしろ本気なんで!!! 笑。


メインの瞑想は、「シヌー瞑想」といいます。シヌー・・・。初めて聞く言葉なのに、その意味をお聞きするのを忘れてしまいました。私の中では、死ぬ気でやる瞑想って感じでした。下らないシャレですみません。でもやっぱりそんな風に感じます。死という変容の炎に焼かれることで、古い何かが終わり、その恩恵として新しい私が再誕生がするのを願いました。私にとっては死ぬ気でする瞑想だと思えました。

おどかすようなことを言ってすみません。でも本当のところは、なんにも怖くありません。そこに至るまで私は恐れていましたけれど、瞑想体験はとても素晴らしい感覚でした。詳しくをお話しすると今後、受講をされる方の邪魔になるでしょうから、なにが感じられたかは別の日にしようと思います。ご興味のある方は、今後をお待ちください。。。

さて、
このメイン瞑想を通して受け取ったものをひと言で言うと私は「悲しみの昇華」だった気がします。前世なのかそれともたましいの傾向なのか、巫女的な役割を遂行するときに納得をしつつも一抹のやるせなさを感じていた記憶がありました。それは一体何なのかをあとから検証してみると「悲しみ」だったということがわかりました。

「私はいいけどね・・・。」と思っていたのは、諦念だと思っていたのですが、そうではなくて実は「静かな怒り」だったことに気がついたのです。熱を帯びていない分、冷えて固まってくっついていたのですね。ホットな怒りより厄介なものだと感じます。それがですね、瞑想をする中で消えてなくなってしまい、その消えてなくなった時に、「ああ、わたしは怒っていたんだ」ということが分かりました。悲しみって、静かに怒っている状態だったんですね。つまり、根深い怒りがなくなったということでしょうか。

命を捧げるような犠牲を払って任務を全うすることへの怒りを、冷えた感情とともに持っていたのでしょう。ずっと張り付いていた根深い怒りがなくなったことで、ずっと持っていた、というか、理由のわからないままに放置されていた「諦め」や「やるべきことに対する抵抗感」も一緒に消えたようです。

「それがわたしのやることなら、やりましょう、 もうつべこべ言いません」、という風にとても素直に受け入れることができました。 あっさりと受け入れた自分に驚きです。不思議な気持ちがしました。。。見つけてあげると気が済むって、本当ですね。私には良い区切りになり、セイキムレイキのアチューンメントもさることながらそれに先立つシヌー瞑想で、すんなりと先の方向が見えた気がします。

また、瞑想の中では、大変にまばゆいものを見ました。以前の記事でもちょっとだけ書いてますが、
エジプトらしい色合いをありありと見ることができました。ゴールド、それも黄金も黄金。キンキラキンに発光していて、ザ・エジプトって気がしました。。。そして、不思議とエジプトもぜーんぜん嫌じゃなくなっていました。なんだったんでしょう、あの抵抗感は?

この、すべてを昇華するような、記憶をまっさらにして書き換えるような、強烈な癒しと浄化がシヌー瞑想の真骨頂なのでしょう。私にはそのように感じられました。大変にきもちよいものでした。素晴らしいギフトでした。ありがとうございました。

ーALL LOVEー の光の中に入れてもらって、私の不満足で不十分なところの隙間が虚ろなまま闇になっていたところが、愛を埋め込まれたのだとおもいます。注入された?・??んだと思います。

「まだ一度も光が届かなかったところへ」というフレーズがありました。それはとても新鮮で強力なリトリーバルだったと感じます。とても素敵な言葉だと思います。これからもこの魔法のような言葉を使って、一層一層を丹念にそっと剥ぐように徐々にリトリーバルを行なっていこうと思いました。私が癒されるとすべてが癒される。こんなたったちっぽけな自分でも世界のためにできることがある。それに気づかせてもらったのが ーALL LOVEーのパワーでした。

求めていた変容の一部はすでになされたと感じます。あとはいかに保てるかにかかっているんですよね。心強いツールをいただき、心から感謝しています。ご紹介くださったAmariさん、ここまでつないでくださった皆さまがた、ともに時と場を分かち合ったメンバーのおふたり、どうもありがとうございました。セイキムレイキが今後ますます世に広く伝承されていくことをお祈りしています。

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ヒーラーズ・カレッジの終盤で、セイキムレイキが気になり始め、ほどなくしてセミナーの募集がアナウンスされたのを機に、今だなと思い、迷わず申し込みしました。

もともとイシスやエジプトに興味があったこと、シリウス系のエネルギーとの相性のよさを感じていたことに加えて、さまざまな土地を訪れる予定が入っていたり、舞の初舞台が控えていたりとプライベートの予定も盛りだくさんで、カレッジが終わってからも自分自身のうつわと内面をさらに磨いて弾みをつけたいなと思ったのが、セイキムを受ける決め手になりました。

セミナーを受ける前にイシスやエジプトに関する本を読んで予習しようと思っていたのですが、なぜかネイティブインディアンの聖地に関わる石が気になって、セミナーに持参するために購入したりと、なかなかセイキムにフォーカスできずにいました。そんな折になんとなく引いたオラクルカードのキーワードが、「粘り強くあれ」だったので、セミナーでは「粘り強く」を意識して臨みました(余談ですが、乳白色と紺色がミックスされたその石と同じ配色の石を参加者のAさんも持参されていたり、Amariさんに「シリウスとアルクトゥールスの融合みたいな石ね」と言われたりして、今回のセミナーと全く関係ないわけじゃなかったのが興味深かったです)。

私はカレッジの卒業課題で、家族との関係性をレコンで癒やすことをテーマにしたのですが、家族とのことがひと段落したら、次は恋愛に関することねと言わんばかりに、セイキムの事前浄化で、実際に恋愛がらみの出来事が起こり、それをきっかけにハートに澱のようにたまっていたものが流れ出ていき、ハートの風通しがだいぶよくなりました。

事前浄化でだいぶすっきりしてセミナーの一日目に臨んだのですが、セイキムの光が強いからか、今まで光が当たっていなかった、はじめて男性に不信感を抱いた幼少期の出来事を思い出しました。その出来事で幼いながらに、「男って、しょうもないな」と諦めにも似た怒りと悲しみを感じたことを瞑想中に癒し、とはいえ、人って性別問わず、大なり小なり“しょうもなさ”を抱えて生きているよな……という境地になり、人の“しょうもなさ”もALL LOVEでまあるく包んで愛するイメージングをしました。私は、基本的に人が大好きなのですが(しょうもないところを含めて)、人のどうしても許せない部分をハートの奥底から掬い上げて、光を当てたのが強く印象に残った一日目でした。

次回のセミナーまでの宿題ね、と出されたのが「セイキム呼吸法」。何回か試したものの、ALL LOVEのエネルギーがしっくりこなかったので、思いつきでディーザとALL LOVEを混ぜたら馴染みがよくなりました。「セイキム呼吸法」が慣れた頃に、「天空の城ラピュタ」に出てくるラピュタの原動力になっている大きな飛光石のようなブルーの正八面体が現れて、以降、ALL LOVEの象徴としてそれをイメージするように心がけました。

二日目のセミナーでは、過去世や今生でも経験している恋愛がらみの感情が浮上してきました。

「私の想いはなんで報われないんだろう」
「私の願いはほんのささやかなものなのに、なんで叶わないんだろう」

たまに、左の肩甲骨の内側の下の方に矢傷のような痛みをピンポイントで感じるのですが、上記のような女性の悲しみや怒りとその痛みは関連しているようで、瞑想ではその傷を集中的に癒やしました(このことをシェアリングしたら、Amariさんも参加者のお二人も同じ場所に痛みを感じることがあるというのに驚きました)。

シヌー瞑想では、過去世つながりの女性(おそらくエジプト)から「あなたは自由よ。行きたいところに行き、したいことを思いっきりしなさい。あなたの目で見たものを私も見ることができる。私たちがかつてできなかったことをあなたが経験することで、私たちは癒やされるのよ」とのメッセージが。メッセージとともにその女性は、さーっと光と共に消えていきました。女性の悲しみや怒りが少しでも癒えたサインのように感じました。

アチューメントでは、当初の「粘り強く」を思い出し、より感じれるよう、なにか読み取ろうと努めたのですが、エネルギーがとても強く、それどころじゃなくなりました。観念して、エネルギーの強さをただただ味わいました。どこかのタイミングで、「江ノ島と熊野のとある聖地に行きなさい」とのメッセージをいただきました。今回のセミナーでは、両日ともに女性性に関するハートの癒しが大きなテーマだったので、メッセージでいただいた場所も私の女性性のなにかにリンクするのではないかなと思っています。

セミナーが終わってだいぶ経ちますが、妙にすっきりしてしまって、まだ一度もシンボルを使おうという気持ちが起こらないでいます。でも、セイキムの神髄であるALL LOVEのマントラは、使わせてもらっています。いまはこのマントラだけで充分満たされている状態です。セイキムのセミナーに参加して、愛と喜びとともに生きたいように生きよう、今生は女性性の花を美しく咲かせようという思いをより一層強く持ちました。Amariさん、Aさん、Cさん、本当にありがとうございました!ALL LOVE!!!!

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ありがとうございます。ご感想に書いて頂いているように、多くの人々が体験して頂けたらと思いますので、頂いたこのタイミングでご紹介しました。

当初は「スカルクラブ」を作って、みんなでスカルをポケットに。。集まり、瞑想する会にしようという素敵?なプランをカレッジ生の皆さんと語り合っていたのですが、本当に実現できたら楽しいのだけれど、スカルが中々、次々とご紹介できるほどに美人さんの程よいサイズが少ないこともあり。それはお楽しみとして、よりゆるい感じのまとまり感で「同盟」として、宣言したいと思います(笑)


最後に18日(土)の夕焼け写真を載せます。


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20日の「セイリオス」

出欠席の様々な入れ変わりを経て当日集まったのは5名プラス Amari で6名。スペース的にはちょうど良い感じでした。今後、6名をMax にしようかな。初の試みの「1時間の超大作」をイメージしたオリジナル瞑想、とてもパワフルでした。パワフル過ぎたか。

けれど、グラウンディングが甘くなるような瞑想にはしていないので、きっと日常帰った後の活力になっていることでしょう〜。私もチャージ感があります。すっきりクリアに昨日も終えていたと思います。眠くならないようにと、ドラマティックに仕上げた「ヴァージョンアップ瞑想」ですが、毎回、後半の内容を変えていきますね。各自のアースワーク報告もあり、充実していました。参加の皆さん、暑い中足を運んで下さり、ありがとうございました。

Love and Grace,
Amari

2015年7月13日月曜日

「聖なる流れ」に常在する。



ソーダライトinハックマナイト



 ひと息ごと、ひと足ごとに
 スピリットに従うことに全力を注いでいる
 ライトワーカーのみなさん

 そして地上で天国を生き、その神聖さを具現することにつくしている人々

 奉仕を楽しみ、熱烈な全体生と完璧性、コズミックジョークに人生をかける人々

 簡単かつ優雅で至福に満ちた超高速のお楽しみ、地球のアセンションのヴィジョンを
 いただきつづける人々に。(「この本を捧げます」)

           (ライトボディの目覚め・前書きのdedicated 文章より)





    「聖なる流れ」への祈り

    アイアム、「わたし」は宇宙 自分自身を構築する

    アイアム、「わたし」は宇宙

    わたしからわたしを通じ、わたしへと流れて

    わたしが見るものすべてを創造する

    アイアム、

    わたしは「すべてなるもの」の「聖なる流れ」

    豊かさはわたしの動き

    アイアム、「わたし」は宇宙

    自分自身を再構築する

    豊かさに満ちるように


          (ライトボディの目覚め/ナチュラルスピリットより)
          


台風前の気圧もあるのでしょうが、と〜っても不思議なくらいの、高まりを感じています。それゆえの危うさという言い方も出来るし、ただ本当に上の「祈り」のような「聖なる流れ」に自分のチャンネルを合わせている人は、かなり心地よいエネルギーの高揚になっていますネ、きっと。普通にしていて気が遠くなるような、心地よい上昇感を感じます。こういう時ってきっと、意図や意識の現実化、物質化が著しいので、いつも以上に自分のチャンネルをどこに合わせるか、大事だと思います。

下手をすると、足下をすくわれるかもしれない。

上手にやりすごせば、かなり心地よく過ごせます。現実化、現象化も。

波乗りしましょう〜。色々浮上してくる空気ですが、痛みは遮血だと思って。経験は気づきへの促しだと汲み取って、チューニングをよりよい高さへ。グラウンディングはもちろんのこと、下ろす錨はより深く。確実に。落ちついて過ごしましょう。


11日レコンデイ〜昨日13日のグレースデイまで、アルガンザの瞑想3デイズは、ちょうど時勢的なことと重なったのでしょうけれども、非常にハイエナジーで、その日ごとにまた違う高まりを感じていました。今日、14日もただ事ではない空と太陽ですが、これは台風前の気圧の関係もあるのでしょうね。我が家でもこの3日は、小さいですが不思議なことが続いています。別次元と混じり合うような空気が、現象化していると言ったらいいのかな。。

去年この時期、私は確かホスティングエンジェルを終えて、不思議な現象に見舞われていた時でした。その流れもまた、仲間に誘われとある聖地に行き、その場のエネルギーにイニシエーションを受ける形になり、帰宅してから不思議な時期がたしか2週間くらい。とても密度が濃い日々でした。今年も然りですネ。皆さんも、濃縮されたような光、あるいはそれゆえの闇の浮上を体験しているかもしれません。うまいこと、統合へ持っていきましょう。

つくづく思うのは、外から何かやって来ても、自分の中で何が騒ぎ出しても、感情があたふたすることなければ平常心を保てるし、恐らくそこの壁を越えると、肉体も安定してくると思います。外側のオーラや、感覚器的な部分で何か、時期的なエナジーや地球全体の変容指数、魂から降りてくるものを感知したとしても、感情反応しなくて済むようになると本当に楽で、安定していられる。

とある瞑想家の本によると、悟りとは脳波が一定になり高い周波数をキープすることであると。意識状態が変わり、結果見えている世界や認識の方法が変わり、人間とこの現象界の自然法則から、現象化する目に見える物質的表現も変る。また、脳波が落ちつけばマインドの質も洗練されてくるでしょうし。。地上に居ながらにして、確かに禅定、ニルヴァーナ・・という事になるのでしょうネ。

歓び・・だって感情だから、「感情が無いなんて私はいや」という人も居るけれど、ジワっと魂からにじみ出るような歓びは、喜怒哀楽のアップダウンする感情反応よりも深いところに、ちゃんと鎮座していると思うのです。私はやっぱり、マインドを巻き込んで互いに不調和、分離、争いなどの非生産的な働きへと人類を引っ張っていく感情活動って、抜けていきたいと自分で思うし、それが世界が変るとういことなんじゃないかなと思っています。

最近、ヒーラー人生?を振り返り、もっとも自分が「ヒーラー向いてないな」と思う瞬間でもある、感情反応について気づいたことがあり、こういうのってマル秘にしておいたほうが良さそうでもあるけれど、でも、いっそオープンにしてしまったら、「向いてない」と痛む経験もなくなるかもしれないし、何しろ皆さんの心の解放にも役立つかもしれないと思うので、今日は書いてしまいます。

エナジーヒーラーって元々、波動に敏感な人がやっていることが多いと思うので、どなたも同じ様な事が言えるかもしれませんが、エンパス気味でもある私は、お客さんが自覚するより前に、どちらかというと潜在意識の波長を感じていることが多い。それは色の微妙なトーンのようなものだけれど。感情って、何と表現したらいいか、やっぱり水ものというか、アストラル体の中をひたひたっと液体のようにあるいはガスのように広がったり移動したりして、掴みどころがない。一方で、潜在意識は和音のようだったり、色のグラデーションのような感じがする。

更に言えば、思考は「波動」の性質が強く、電気の信号のようなイメージ。電流でピピっと。だから受信しやすい。人によるでしょうが、感情よりも掴み易いと感じます。離れていても、テレパシーのように受信する。それが、感情や潜在意識と連動している場合もあるし、人によって状況によってバラバラのこともある。「空気を読む」というのは、それらの複合的なもの、漂っているまさに気流のようなものを読むと、言いたいのでしょうネ。

普段のセッションでは、お客さんたちはコミットメントして、安くは無いお代を払って、自ら来て下さるので大概はそういうことは起きないのですが、それでもたまに、かなり通い慣れた方が大きな深いテーマが浮上して来た時などは例外で。カレッジや、参加型の何かの場合はより頻発しますが、嬉しいはずの、楽しみなはずのサロンへの足が重たくなり、出来れば行きたくない・・ような、感情反応に足を引っ張られる事が、たまに起きる。それを乗り越えて・・「来れて良かったね」というケースが殆どで、過ぎてしまえば笑い話なのですが、

困ったことに、独りの人間として私は、「来たく無かった」と言われると、或は言葉じゃなくても状況や思考波からそれを感じると、傷んでしまうんですよね。それが、「 Amari さんに会いたくなかったという意味ではない」ことはよく分かっているんだけど、何と言うか・・ハートを巡る人々の葛藤・・・の、メカニズムは良く分かっているつもりでも、サロン主として、そういう立ち場であることが切ないというか。だいぶ薄まりましたが、まだ在ります。人間ですから、たくさんの色んなエネルギーを魂レベルから肉体レベルまで持ち合わせていて、確実に解放を促せるサロンの周波数をキープできているからこそ、浮上した時に足をひっぱるエゴセルフが、「やだな」という感情反応へと糸を引くことも分かっている。私自身も個人の場で、たくさん経験してきたからわかっているはず。

言っても仕方ない、解決法のない切なさというか。自分も一緒に人間らしくもっと簡単に「好き嫌い」でそのときどき選択していけたら、という人間側の自分の呟きもあるのかもしれない。ただこういう仕事をする立ち場で、自分は絶対に宇宙のフロー、愛の根源への流れの方向性から降りてはいけないと思っている(降りる時は仕事を辞める時だと思っている)ので、プロフェッショナルとして看板を上げている者は、ひとつしかないその方向性を、ずっと見つけ続けていなくてはならないと思っていて。

気持ちよく色々な場面で感動や、笑顔を分ち合える素晴らしい仕事ですが、共有しているサロンの周波数という舞台から、お客さんがエゴセルフや、もっと深刻なシャドウセルフによる感情反応、そこに引っ張られた思考波とともにするっと降りてしまうような時、ハートのレベルで傷むことが、うっすらですが、まだちょいちょい在ります。。(笑)。。まだ、これには慣れません。たぶんずっと慣れないと思うのです。それを越えたような境地はきっと、『キリスト意識』なんだろうとも、思っています。

たまに、そういう傷みを味わわなくて良い立ち場にもうなりたいと思うことが。シングルマザーじゃなければ、ほんと辞めていたかもしれない(笑)し、何か別の理由を生み出して、途中で投げ出したかも。続けるしか無い・・どころではなく、息をつく間もなかったら、走り続けてこれたのでしょう。自営業者としての物理的な責任のみならず、エネルギーの場を保持する者としての責任。それゆえの孤独と切なさのようなものが、滲むことは今でもあります。以前よりずっと軽くはなりましたよ^^

そうかと言って、その現象を私の立ち場で深く分析することは、あえてしなかったのですが、最近なんとなくピ〜ンと繋がったのでした。書いてみるとな〜んだそんなこと当たり前、という感じかもしれませんが・・・(笑)

まず、「なんか嫌だな」と、出かけるにあたって私も思うことがあります。それは何故かと考えると、シンプルに「波動、周波数のギャップ」ゆえなんですね。私のプライベートの中では宇宙エナジーに日頃つかっているため、三次元バリバリの周波に合わせないといけない現実の用事の前にその「やだな」を感じます。カルナやセイキム、スピリットレイキなどで武装して出かけると大丈夫です(笑)

きっと、それと同じなんだろうと、思うわけです。エナジーヒーリングのサロンとして、たくさんの石たちと、宇宙エナジーとともに『聖地』あるいは『パワースポット』であることを自認して、管理人の積もりで居ますが、場所のエナジーも然り、またそこで提供するワークのエナジーも然り、私自身のエネルギー状態も・・・その周波数に対して、お客さんがギャップを感じる・・のはもちろん必然で、むしろそのギャップゆえに、来て下さっている訳ですが、

殆どのお客さんはワクワクして来て下さるのですが、それは波動のギャップを、アルガンザサロンでのひと時や、ワークによって埋める・・ご自身が上に引き上げられることへ、コミットしている時の、状態なんだと思います。事前にご自身のエナジーが低下したり、荒れてしまったり、シャドウセルフが足を引っ張ったり、波動間ギャップが大きく開いて(落ちて)しまっていて、更には「上がりたく無い」と思っているとき、かなりそのエゴの抵抗の声が強くなり、時にインナーチャイルドがだだをこねるように暴れてしまい、「いや〜」となるのだろう。。。

ギャップは当たり前。むしろだからこそサロンの「聖地」としての存在意義がある。そこに、チャンネルを合わせて光を取り入れることにコミットしていない時は、きっと、イヤイヤになるんだろうと。色々浮上して、感情的に嵐が起きたとしても、殆どの場合はそれをエゴの声として越えて変容、新たな周波数へのチューニングを望んで皆さんスケジュールしている訳なので、頑張って調整してくる。そして受けとれて、また気持ちよく帰っていかれる・・・それが普段の展開。

だからどう、何が言いたいという事ではないのだけど、このメカニズムをはっきりさせたことで、私はだいぶ癒されました(笑)。以前は「ずぶとい、良い意味でオバチャンになることで傷まないようになるだろう」と思ってみたけどそれは無理で(笑)、また、『キリスト意識』はあまりにも日常的スローガンとしてはハードルが高い(笑)。アリスベイリーとの出会いで様々なことの整合性がとれて楽になったのと同じように、このメカニズムをはっきりと意識化したことは、大きな一歩になりそう。

そんな報告。
クライアントさんの側も、「イヤイヤ〜」が出て来た時に自分のその反応を責めなくても良い、ヒント、自己受容になれば幸いです・・・が、メカニズムが分かれば、出来ればそれをなるべく自覚して自分の中で収めて、「聖地」やサロンに足を向けるのが良いかもしれません(笑/お願いしているのか?)。無理矢理連れていかれるのがイヤ、というシャドウセルフの声があったとしても、スピリットと、潜在意識と、貴方自身の三位一体で、独りの人間として決めた事をやり抜くために。

「もう「止める」な」という歌詞が、少し前に紹介したももクロちゃんの『DNAラブソディ』にあるのですが、地球を巡る高次は今、本当にそれがいいたいようです。ある意味、つきつけられているような感じです。ライトワーカーたち、本当にやれるのか、やるのか・・・と。14万4000人の魂たちは、少なくとも、取りこぼし無く目覚め、自分で決めてコミットした筈のエネルギーを、今の地球というプロジェクトに注ぐことに、本気で向かっていく時なのでしょう。

台風に気を付けて過ごしましょう。

そしてメタフィジ筋で、このちょっと地球的に厳しい季節を乗り切りましょう。

Love and Grace,
Amari

2015年7月11日土曜日

祈り。それは私なりに・・委ねの道。



フルグライト。砂漠に落ちた雷の衝撃で、砂がガラス化したもの。
雷管石とも、閃電石とも言われる。

私がこの石を知ったのは、だいぶ前だけれどナディアさんが出しておられる『クルスタルアライカード』にて。そこでは、嵐のエレメンツの石として紹介されていて、テーマは『祈り』

変容・変化を劇的に促す。そのための祈りを宇宙に伝える石、そういう存在感。



原石も、大きいものは珍しく、なかなか見つけられない。石巫女などサロンでの活用のためにキープしておこうと思っているこちらの原石。上の写真で一緒に映っているのはいつもの作家さんのワイヤーワークが美しいシルバーペントップ。これららはリュミエールに出したいと思っていマス。

手にしていると、パワフルで細かい電流のようなエナジーを感じる。暖かくて、意外となめらか。「嵐のエレメンツ」に属するゆえに嵐のようなスピード感のある変容と、濃縮された自然元素が詰まったようなエナジーを齎すのでしょうか。

不思議で何ともいえない魅力のあるヒーリンスストーンとしてのフルグライトの個性とは何なのかと、この不思議な姿を見つめながら想いを馳せてみると・・・そもそも「祈り」とは?という問いかけへと流れて行く。。。

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19歳から29歳まで、私は仏教徒をしていた。幼い頃に母が細々と読経したり、色々な現象に先祖供養の観点から当たる親族の姿を見ていたけれど、そこで恐らく恩恵も受けていた一方で、思春期の頃、本当にいわゆるオーソドックスな霊現象というか、ヒョウイや、下手をすると霊障によって健康も人生もボロボロになるような展開を、目の当たりにしてしまい、それを何とか助け合おうと信仰の力で乗り切る人々、ヒョウイをあっという間に解いたエクソシストのような親戚のおじさんのカッコいい姿などを見ていたとはえ、幼い私が思ったことは(当然だと思うけど)『こんな世界いやだ、関わりたくない』・・

当然だとも思う。14歳にして、3歳のいとこに低級霊が入り、抜けていく様子を数十分に渡り見てしまったんだから。。そのよく分からないものと会話もしてしまった・・ショックは大きかった。

振り返ると、育った街が一年の半分は陰のエネルギーに包まれているゆえか、その暗い空の印象とともに、中学生以後の記憶は常に、まるでロシアの奥地にでも住んでいたかのような陰湿な空と空気の気配の中で思いだされる。実際に、実家の周辺でも「これは何かありますね」と素人でも思うような因縁の現象化がつづいて、所属していた信仰の世界ではそういう場合、「土地の因縁」と言って、地鎮対象になる。他、病気や家庭内の問題も然りで、先祖供養に励む。

どなたかご先祖のうかばれないエネルギーがその現象として出ている・・土地の因縁が・・と、問題が見つかるたびに人々は対処するという方法をとる。自分と、家族などの他者、他人、会ったこともない人、時には日本国や世界全体などの抽象的な事も。「何かあれば、原因に対して対処する」

その「対処」のもっともオーソドックスな方法は、修行や読経を通じておこなう「念願」というもの。つまり、祈りのパッケージだ。だいたい21日間など日数を区切り、時には「コーヒーのまない」などの「断ちもの」をして臨む。毎日自分で決めた読経のメニューをこなす。または「怒らない」「愚痴をいわない」などメンタルな宿題を自分に課すこともある。

誰しもがそれを真面目にやっているという訳ではなく、色んな会員が居たけれど、地域の集まりや女性の集い、若者たちの集いなどのユニットに所属して活動していると、その中で浮上してきたテーマを一緒に、「いつからいつまでこれをやりましょう」と修行のメニューにしたり、先輩たちから個人の問題を克服するべくおすすめの修行やお経を教えられたりする。

19歳、横浜で暮らしていた学生時代。血は繋がっていないけれど、優しくて暖かくて大きな太陽のようなものを感じていた親戚のおじさんが、急に病気で倒れたと聞いた時。今思うと不思議だけれど突然に、信仰をしようと想い立った。ネガティブな側面をたくさん見てしまい、スピリチュアルな事には関わりたくないと考えていたのに、今思うと不思議な決断だった。自分に出来ることは伯父のために祈ることだと何故かあっさりとそこに至った。私が信仰をすると宣言したことで、母や、信仰している母方の伯母や従姉妹はとても歓び、首都圏や関東での集まりに誘われるようになる。

それから10年。何となく所属している若者たちもたくさん居る中で、性格ゆえに私は火がついたように熱心に修行し、日々の念願、年に一度の修行の登山、観音経を1000回あげる(普通にいくと3年かかる)という修行を3サイクルもやってみたり、真冬の新潟で未明に108杯の水をかぶり、まだ暗いうちに金星に拝礼したあとに、過去生の懺悔を通すための長いお経を読む・・ などの若い娘としてはかなり目立つような修行振りだった。日本の土地を守る神々を大切にするという団体だったため、仏教ながらに神社への参拝をたくさんしていた。

折しも20歳から、偶然のタイミングだったけれど(もちろん必然なのでしょう)京都旅行で比叡山へ行って仏像と仏教の世界に引き込まれ、京都奈良へ沢山行こうと思い立ってまずは奈良へ友人と出向き、何の気なしに旅程に入れていた三輪山を一目見てノスタルジーを感じて、恐らくそこにあった元伊勢のエネルギーなどに導かれたのか、奈良と伊勢を中心に以後、ちょうど仏教徒時代とかぶるように独り旅&古代史・神話探求時代が始まる。。。

そんなことをどっぷりとやりながら、花盛りの二十代の青春も今思えばかなり濃縮した一時期、追い求めて駆け抜けていたかな。でも専ら自分が欲していたものは「スピリチュアル」だったと言えるかも。常に深い部分まで刺さることしか、やりたくなかった。恐らくインディゴ先発隊。魂に通うようなことしか興味がなく、それがハードロックのコンサートであったり、ニューヨークに引かれて語学留学することであったり。青春の矛先は、今の自分の表現に載せれば「タマシイ層まで響いていくこと」だったのかもしれない。刹那的ですぐに消えていくようなジャンルには、まったくもって興味引かれなかった。(だから恋愛なんて全くしていなかった。笑)

ちなみに所属していた信仰の団体は、それなりに全国に会員も居るようなところだけど、世帯ごとに小さな子どものおこづかい程度の会費のみ集めて、寄付やお賽銭は一切受けとらず、何か特別な祈祷などしてもらった時でさえ(その流れに乗るのはまさに天の計らいのような特別なケース)まったく金銭を要求されることなどない、本当に真面目な団体で、ひたすら先祖供養、自分の心を作っていくことに励んでいる。首都圏の若い集まりなどに参加すると本当に女性たちは美しいし、男性も今時ないような芯の入った凛々しさがあり、たとえば女性だと身のこなしや身なりなども気をつける空気があり、信仰によって人が磨かれるとはこういうことかと、二十代の自分なりに学ばせて頂いた。

地方に行くとそれなりにまた状況は違っていて、それを「土地が持っている因縁」ゆえだと説明することもある。中央で常識的に皆が出来ていること、開いている意識が、地方に行くとまったく通用しない。何か負のスパイラルが発生し、グループ意識が下がっているのが分かる。また各地域によって、その土地の歴史的なカルマなどから、実際の会員たちに現れる傾向(たとえば晩婚や病気など)に影響が出るとして、その土地が持っているテーマに皆で取り組んだりもする。

幼い頃から自然体で信仰していたという仲間が多い中で、19歳で自ら決断しその世界に参入したのと、プライベートな自分も土地巡りや歴史に浸かっていた故だと思うけれど、グループ意識ごとはまり込んでいる「土地の因縁」のエナジーを何とか解こうと、自分としては改革・革命?を起こそうという勢いで・・鎌倉仏教の始祖たちの、あるいは世界史の中で人民の意識をひらくべく新潮流を説いて矢面に立つような、そんな勢いでプロジェクトしていたこともあったっけ。。恐らくたくさんの過去生で、信仰、宗教、人々の意識、抑圧や弾圧などを味わっていたものを、その二十代でなぞっていたのだと思う。

スピリチュアルなことに関して、そして実際にその力が作動する場や現象の中で、様々に交錯する良いものも重たいものも、かなり密度濃く味わった。そこに自ら踏み込んだというか・・そうはいっても、今のようなエネルギーと宇宙的力学の知識はそこでは与えられていないので、心身ともにダメージも多い。高揚する場面も、力を頂くことも多々あるけれど、個人として自分という領域を守る術はこれといって無かった。プロテクションの究呪はもうソラでいつでも繰り出せるように皆、親しんでいたけれど(今でもたまに出てくる)、内容を吟味するとまるで「呪い返し」であることが分かる。だからカルマが出来る。それにまた対応する、その繰り返しであると今では見えてくる。

「祈り」も同じだと、実は思っている。

信仰というスタイルは、個々の人間を苦しみから救う力は確かにある。けれどその先は・・

人間とは、本来なんであるのか。自然界と、故郷である宇宙とどのように繋がっているのか。それとどんな風に響き合い、影響を受け取り、結果、良いことや良くないことへとそれが現象化しているのか。良いことを更に拡げていき、良くないことの元になっている要素を(カルマを作らず)なくしていくには、どうすればいいのか。。。

本来、すべての信仰にはそのエッセンスが含まれていた筈だけれど、どこかで、その宇宙の普遍愛の中で機能するシステムに関する叡智は、一斉に失われてしまった。小さく弱いものとして信仰の力で何とか生きていく・・・実際に歴史の流れの中で、「普通に生きる」ことも侭ならない状況にある人々には、信仰が必要であったし、今もってそうだろうと思う。心の拠り所があれば、人は希望とともに強く生きようとする。

ニューエイジの世界でも普通に行なわれる、祈りやそれによく似たものは、違う視点からするとカルマをつくっているとも言える。お互いに影響・作用しあう力学が結びついてしまうと、いつか解かなくてはならない、良いものであっても「しがらみ」になる。これは、人間レベルというよりはソウル、スピリットレベルのお話。今のニューエイジも色々だろうけれど、私が思っているメタフィジカルな「道」のようなものは、自分自身の分身である「ソウル」ではなく、一段高いシステムに居る自分=スピリット(いわゆるハイヤーセルフ)のエネルギーと意識に近づいていく道のりだろうと。

祈りを上手に使い、できれば周りの人々の苦しみや、世界に向けることで結果が現れるならばそれで良いと思う。ただ、こういうジャンルで仕事をして、体験も積みながら10年以上を経てくると、「祈り」というものについても、そこに様々な周波数があり、気を付けて使わないと結局はエネルギーの応酬を生み出すことが分かる。ゆえに「カルマ」。

「祈り」という言葉はたくさん、仕事の中で使っているし(「〜の祈り」など)これからも不可欠であるけれど、自分自身の「願望」にせよ、他者への「こうなってほしい」という想いにせよ、宇宙のより高い視点から見ればそれはエゴであるに過ぎない。だから、なるべく純粋な「意図」に変えて、そして宇宙への宣言、つまり「宣誓」「コミットメント」として自然体で日々、活用していくのは良い。「願い」がどこから始まって、未来の先にそれがどう自分に具現化するかを深く感じたり考えてみると、その出所がエゴであるか、純粋な宇宙とのエネルギー作用のコラボレーションであるかが、見えてくる。

つまり人間として、人間の自分のあれこれを満たすことを願う、そのための祈りはエゴから来る。その祈りは、うまくいって成就されるかもしれないけれど、エゴセルフのレベル(人間の人格)が起こした力学だから、そこに自分を縛り付ける。もちろん、人はみなこれをやり乍ら生きているし、悪いことでは全くない。願う事、それに基づいて祈ることは、ごく普通の感性の働きだ。

けれど、地上の「パーソナリティ」(人間)レベルで動かした力学は、スピリットの層から見れば自分の魂の子供であるソウルの転生のタペストリーに交錯している雑音のようなものかもしれない。エイっと上に引き上がる、宇宙愛への回帰にとって、それは小さな画鋲であちこち留められているような状態。原因と結果の繰り返しを、またこの層に戻って続けていくのだろという、そのための布石たち。

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恐らくまだ「画鋲」が必要、「画鋲」で留めておきたい人と、もうそれは抜けて行く事が生まれてきたスピリットの目的であると深い所で分かっている人が居る。殆どは前者だけれど。

「委ね」とか「あるがまま」とか、言葉は簡単に飛び交うけれど、

色々な情報に「混乱している」という言葉も、サロンのクライアントさんたちからよく聞いている。もちろん、そもそもこういう世界で「情報を得て落ちつく」ことは不可能で、情報をある程度、それも選び乍ら集めたら、その先は自分自身の内側で、エネルギーの力学を起こさなくてはならない。自分の身体の細胞と、オーラフィールドに融け込んだものを発信していくと、聞いた人・読んだ人にもその作用が起こり、エネルギーは動き出す。それが、情報を得て、情報のまままた横に流すような現象も起きているために、それを見た人たちのエネルギーは動かず、ただ頭だけが動いて混乱する。

三次元人間をたくさんやって来たから、誰しもが恐れるし、何かに「委ねる」なんて怖いと本能的に思ってしまう。けれど、誰かよく分からない大きなものに委ねるのではなく、自分自身の高い所に委ねるのだと思えばいい。それと、自分自身とは、その高い所から今ここに滴が垂れるように降りてきた存在であると思うことで、委ねがやりやすくなる。

地球という地図の上にたくさんばらまかれた自分の分身たち。転生してきたソウルたち。そこで関わった様々な他のソウル、土地や事象などに宿るエネルギーとも、人は絡み合いながら繋がり合っている。今を生きる自分が幸せであるかを、メタフィジカルな目的だと思っている人は、それで良いと思う。それを大前提として・・(そこを通過しないと進めない訳で)・・・より高い視点からの自分自身のスピリットの眼差しを、人生に感じている人は、その眼差しこそが自分が戻る視点であると感じている人は、今生の自分のソウルが落ちついて来た、『願望』はもう要らないと感じるようになった人は・・・

画鋲を少しずつ、外していく行程に入ってみると良いのかもしれない。

それが「委ね」だろうと思っている。

その潮流が見えて来る頃には、委ねる恐れというのは、なくなっている。

だから、恐れるうちはまだ、無理せずに「願い」「祈り」「受け取り」「感謝し」「そこで生まれたものを引き受ける」この循環の中に、生きるのだと思う。

潮流が見えることは、楽しい訳でもなく、今の人類が居る世界がそこから離れている分だけ、両者の間に居る者は、切なさを感じる。マリア様や観音様の「慈悲」は、そういったものだと思う。高次存在たちが、人間に対して感じる愛が「哀れみ」であるのは。そんな慈悲の心境を持ちながら、ソウルを選び、スピリット層が直に高いパーセンテージで自身の要素を流し込み生まれて来た人たち(=いわゆるライトワーカー)が居て、そういう人々の場合、そこに気づかず、またはそれを恐れて避けるような回り道をしている間は、苦しさ、居心地の悪さ、現実の循環の不具合が続く。

ちなみに、本当にそれを分かって降りて来ているスピリットたちは、慈悲という痛みを携えてやって来ていて、まずは人間の身体の中でそれを越えていくことに励み、それが成就した時にはホっとした委ねの境地に入るので、『自分が特別な存在である』と地上人類的な虚栄に入ることは無い。それすらも委ねられるはずであり、祈りと委ねが一体となっていく。ただここに在る自分を使って下さいとスピリットに委ねる。それは安直に使われる「もう犠牲は要らない、人生を楽しもう」というお話とは全く波動が違っていて、人生を楽しもう・・の想いが実際に満たされるか、その奥にあるものを知ってしまい三次元的願望を越えてしまうか、どちらかによって自然に至る境地だと思う。

フルグライトを眺めていたら、最近思っていたこととを吸い寄せ、随分と思考が展開してしまった。。。(長過ぎた/笑)

このくらいにしておきます。

Love and Grace,
Amari 

2015年7月9日木曜日

イシスとユニコーン、光と愛、SとA


月曜日の読書会で、また不思議な展開。

このところ、セイキム前後のイシス系の高まった状態から、ディーザの改めての盛り上がりを経て、昨年末から1月の変遷の時とよく似たフローで、自分としては柔らかな漲り感、手や身体中が周波数の変化で熱くなったり、最近では足へ流れ込み、現実面に反映されていた所でした。

現役カレッジの3期生や、読書会に参加の1期2期卒業生の中にも、サロンの変化をフィーリングや身体で感じていた方もいらっしゃったみたい。

軽くて、暖かくて、女性的なエネルギーの盛り上がり。これがどうも、イシスとディーザがセットで来た時の特徴のよう。そのうちに本当にその新しいものがサロンの「空気」になって落ちつくと、慣れて何も感じなくなるのが常ですが、今回まだ存在感を感じていて。。。月曜日、読書会の途中まではそのエネルギーでした。

それがどうも、読書会終盤、お一人の方が旅に行かれていた話を皆で聞いている時。私の体感はそのタイミングで、違うものを感じはじめて。男性的で重たく、何かありそうな感じがしてきました。まるで以前の、海龍王、アザゼル、「沈んだアルク」がらみの時のように。。。

読書会を終えるに当たり、二階の瞑想スペースの照明を消しに上がった時、あらら、一階なら分かるけれど、ロフトスペースが「重たく」感じるなんて、今迄になかったことで。これは何か起きているな、と思いました。===何となく、「皆さんも行ってみて」となり、結果、その日ご参加の4名で何かアースワークな流れになっていきました。

私は関係なさそうで・・お任せする気分になり、下でお掃除、お片づけ。四人のうち2人はヒーラーさんだし、リーディングもされるだろうと・・・実際、何か濃い展開になっていたようです。

「次、新しく決まったセイキムセミナーの8月への、流れではないか?」
という話も聞こえていました。
それで終るのかなと思っていましたが。。

翌日、「太古日本へのオマージュ」を遠隔ですることになっていました。レコンセクレーションシャーマンコースの中に含まれるそのワーク。当日、別の要素が参入したことで時間不足であったため、セイキムのセミナーや江ノ島シンクロを間に挟み、遠隔でスケジュールされていました。

超古・太古・古代の日本との魂の確執をほどき、日本国土へのアースワーカーとして、活動していくべくイニシーエションを受けて頂くのが「オマージュ」ですが、ちょうどこのところ、ブログでフォーカスしていた「コシの国」つまり日本海側の北日本古代王国に該当する地域にお住まいのその方、当日のセッション時間の前後にフィールドワークを差し挟んで、受けて下さっていたよう。

それ故でしょうね、(まだご本人へのシェアが済んでいないので詳細は避けますが)当日の遠隔ワークはかなり、大きなそれも上層でのアースワークになっていたようでした。

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その日、家を出る前に感じてはいました・・「オマージュ」終了後にそのまま、前日の続きと思われる何かをすることに。何となく思いつきで包装し、カバンに入れていたのが、写真の石たち↑。

以前メインのブログ「世界樹の木影で」にて記事を書いていた「イシスの柱」と「ユニコーンの角」、そしてもう10年来のライトワークの友である my ロシレム(写真奥)と、瞑想中に見たビジョンに従いリュミエールの商品から自分用におろしたアメトリンのスフィア。

情報を交換し、何か一連の流れを共有するための(石たちの)グループワークかな・・と感じました。この石たちを、自宅からサロンに持ち出すなんて稀なことです。結果、感じていた通りのことが起きたようで、また江ノ島からつづく「ディーザ」を更に広範囲に拡げることをしたり、個別に上がってきた(前日のメンバーたちに関わるのか?)要素ひとつひとつにレコンをかけるようなことをしていました。

面白い展開があり、
この月曜と火曜日の展開をここに書こうと思って、写真だけは撮っていたのですが、それを書くよりも前、昨日水曜日の夜に、カレッジ卒業生のKさんからメールが入りました。何でも、Kさん含めた4名での遠隔ヒーリングの自主練の中で、「ユニコーン」「白鳥」というキーワードが上がっていたので調べたらば、私のブログ記事がヒットしたとのこと。こちらです「アヴァロンの杖とイシスの柱」

この記事は、地元の神社(ヤマトタケル伝承にまつわる)に出向いた時の記事でした。ヤマトタケルは、メインブログで詳細に語っている、ここ数週間の江ノ島ワークに通じますので、Kさんもびっくりして昨夜メールを下さったよう。。。まだお返事してないのだけど(ありがとう~)私のほうでもまさに火曜日にこの石たちで上記のようにワークをしていて、この↑写真を撮っていたのですよ~~

相変わらずです。この数週間のタケル/江ノ島関連に、「連動している」と思われるセイリオスのサテライト的な皆さんの地方でのシンクロが、頻発し、お便り頂いています。この先もつづくようです。

・・・そして、今日はカレッジ木曜クラス。

前回の同クラスでは、Yさんの過去生と思われるヴィジョンが劇的に展開し、セイキム前後の江ノ島ワークの意味を鮮明にして頂くキッカケの一つになりましたが、あれからもう2週間。今日のクラスもアースワークの期待などはもちろん全く無いまま(笑)カレッジの学びを中心に進んでいましたが、二階に上がってのワークタイムで、最初、月曜日の読書会後とよく似た「重たい」空気になっていました。

独特の、普段あるエナジーと全く違うので混乱するような感じと、全身で受けとるような、空間全体の重たさ。。。

これは以前の、「海龍王」あるいはアザゼル・・または「沈んだアルクトゥルス」・・が登場する時の空気によく似ています。まだ何かあるの??

終了後のシェアから思いだしたのは、今年の3/11に大変なことになってひとりワークしていた日、その前のお昼にセミナーを受けに来ていたのは今日のクラスにいらっしゃった現3期生のMさんでした。→沈み系アルクの宇宙DNA を持っているかもしれない、俄にそんな話になりました。Mさんを伝って来ていたのでしょうか。。。新たな「スサノオ」が。(?!)

江ノ島2回を整理し終えて、セイリオスのワーク日以外のアースワークは閉じておこうかなと考えていたところですが、明らかに以前とは規模は違うものの、同じようなエネルギーの解放はつづくようですネ。。ちなみに今日のワークタイムの途中から、エネルギーは軽くなっていつものカレッジらしいリズムとワークによる高まり、スッキリ感で終っていました。

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カレッジ3期は、中級コースの折り返し点にさしかかり、最初は少しずつ踏み固めていたものが、これから一気に密度を上げていく所です。毎期そうですが、この第3~4回目あたりは、カレッジが始まってからのエネルギーと、現実との擦り合わせから、何か色々と個々の中で出てきて、油断すると「カレッジ・・続けられるかしら」なんて内省してしまう時期。毎期そうなのでよく分かります・・(笑)同時に、中級課題にむけて恐らく、個々人のテーマがじわじわっと浮上していたものが、固まって来る頃だと思います。

ガンバレ~みんな!

これからようやく、本流に乗るような感じがすることでしょう。急に流れが速くなりますよオ。。そして密度が濃くなり、いわゆるカレッジに参加していることはこういうことか!と、分かってくると思います。そう、もう乗っかっているものがあるんですよネ~~。

セイキムセミナー参加後の皆さんにも、大きな潮流が来ていることと思います。気持ちよく乗っかって、飛躍していきましょう。

・・・・・・・・・・・・・・・

「イシスの柱」と「ユニコーンの角(別名:アヴァロンの杖)」は一緒にお迎えした石ですが、今年の1月という時期にそのセットで主にワークしていて、その後のアンドロセラフの解放期などを乗り切るのに助けてくれていて、更に言えば今回のタイミング、いずれもセイキム(イシス)後の光(パワー)による古いものの癒しという共通点があり、自分なりにこのコンビが意味するものを考えていると、かなり飛躍するようですが「シリウスとアルクの融合」ではないかと思いました。

そもそも、「イシス」とはそういうものだと、思ってもいます。
光はパワーですが、それだけでは闇を照らし炙り出すだけで終る。
それが癒されて昇華されるには、愛が必要。

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メインブログなみに長くなってしまいましたが、、

Love and Grace!

Amari

2015年7月6日月曜日

Living in the wind ... 再びの江ノ島。

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   :::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::

     桃色粒子

   明日の朝陽に融けて
   淡い桃色の粒子たちと 旅の飛翔に向かいたい

   何もない この世界の静寂を 私として見ていたい

   すべてをあるがまま迎え入れ すべてと愛し合うのなら

   この先の気持ちは、形の中で何を見いだすのだろう

   朝陽にとけて 淡い桃色 金色粒子のブリザード
   風に散らして



   青野 芹

   :::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::


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先日の江ノ島フィールドワークから一週間ほど。俄にスケジュールが空いた日、再び江ノ島へ行くことに。先週とはまったく違うテーマ、エネルギー、空模様(に象徴される高次からの伝言)でした。

天気予報は雨なれど、この日この為に空いたと思う時は気象条件は気にせずに向かう。。。

今回は、電車の中はもちろんのこと(笑)、先日のように事前に泣きたくなるような現象は起こらず、明らかに前回とは違う意味、目的があり、前回でひとつクリアされたこと(恐らくディーザが一気に流れ込んだので今回対象になっていた『影』が癒されて昇華されたこと)で、次の段階の必要性があったのだと思いますが、それにしても自分は客観的な感覚。立ち会う、見届ける、受けとめて次に回す・・そんな感じがしました。


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江ノ島を目前にしたカフェで珈琲を飲んでいるうちに、雨はほぼ上がって、その後ほどよい『曇りときどき青空がチラリ』、みたいなお天気で夕方まで。お陰でいつもはごった返す江ノ島も比較的空いていたし、何より雨上がりの空気は清々しく、爽やかでした。どちらかというと空が清まっているというか、空にクリアリングが起きたように見えました。天上で何かあったのかな、海も土も森も、浄まってはいたのですが、空が柔らかに変容しているようだったのがとても印象的だった。。


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そうですね・・先週は太陽がサンサンの日だったし、前後の流れから「火」=「日」を感じていましたし、結局それがヒミコ、火巫女、日巫女(ひのもと=東と北に広がる古代日本王国)の巫女のテーマとして「オトタチバナヒメ」に通じるのだろうと思いましたが、今回はそういう意味ではもっぱら水でした。縄文系、出雲系の、水神としての「タケミカヅチ」それを祀る王(でしょうか)としての「タケミナカタ」そのあたりが、前日くらいから浮上して来ていました。

オトタチバナ&ヤマトタケルで象徴される日本建国にまつわる権力と、それと当時は切り離せなかった信仰(祭祀)。同じような時代の変換点、でもさまざまな立ち場や、歴史の巡り遭わせが、物語として起きていたのでしょう。水の信仰を持つ人々、太陽信仰の人々(縄文人は両方かな)が、それぞれ信仰および文明というか存在自体を、侵略され消されたばかりではなく、煙に巻かれたのかもしれません。今回私は自分自身に響いて涙が湧いてくるようなことはなく、その歴史全体を感じて見つめて、江ノ島だけではなく、大きなテーマで『日本建国史』に対峙する、それと語り合うような感覚で道のりをスタートしていました。

ただ、前日にサロンで瞑想の時間をとってみたのですが、必要なことは既にその時に起きていたようでした。その時も、岩場に座っている自分が迎え入れたものが必要なことをするのを見届けているという感じ。なので普段のアルガンザのセッション等と同じく、多次元にまたがる必要なことは既に済んでいて、それを確認して潜在意識レベルの自分と、そこから繋がっているハイヤーが、(個人としての『江ノ島問題』18年越しの記憶から)安心するためのセレモニアルな意味もあったのかな。

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小さな点でしか写っていないけれど、白いヨットが通過していくのが、何とも印象的でした。何かを象徴しているかのよう。工事中のせいか岩場には降りれなくなっていて(天候のせいかな)、また背後の窟に入るつもりも全くなくて、これまで色々な瞑想やアースワークの場面、お客さんの「太古日本へのオマージュ」で受けとっていたヴィジョンや情報を思いだしたり語ったりしながら、窟の崖、岸壁と、目のマエに広がるメタリックブルーの海、一艘だけ見えている通過していくヨットを眺めていました。

前回は「ヒミコ=日巫女」たちの話を書きましたが、今回は水の龍、江ノ島周辺、関東の海にたくさん居たと思われる黒いナマズのようなクジラのような巨大な海の守り手たちに関係することも含まれていたよう。その龍たちをお世話する役目を担っていた聖職者のような人々を以前、どなたかの「オマージュ」で見たことがありました。レムリア〜アトランティス期というか、ムウなのかもしれません。今の歴史時代の恐らく前・・サイキックや呪術的要素が表だって行なわれ、時に争いや諍いの場で使われていたような時代。龍たちが犠牲になり、聖職者であった人々が嘆いているという。。。

なぜ龍たちはそもそも海に居て、何を守っていたのか。シリウスの次元ポータルだと思います。海の中に沈んでいる、隠れている高次領域への入り口を守る。その龍たちを守る人々が居た。高次での諍いが、地上にも波及したのでしょう。。

今回は行く当日の朝、栗本さん本を読んで、電車でも読んでいたので・・・気分的には、飯豊青皇女になりきるつもり?で、糸魚川の青ヒスイ、ミャンマーのラベンダーヒスイのペントップ、そしてブレスでヒスイ祭りで出かけました(笑)。イイトヨさんは「日本で最初の女性天皇に立った人」だと栗本氏も言いますが、政治的なあれこれで恐らく7〜8世紀の記紀編纂時に、その記録は消されてしまった。それはそうですね、この方がコシの国〜ヒノモトへ出向いて、現地の支配者層だった人々とのパイプを作り(元々何かの縁があったのでしょう)、その人々が大和入りするための本拠地が河内に出来た。

その後ろ盾を得乍ら、相続争いで殺されてしまった自身の兄が残した2人の王子を守り、その独りを天皇に着けた。一時、亡命のような形でおそらく北へ行っていたのでしょう。よくある話として想像されるのは、自分の乳母だとか、身近な人がコシの出身だったのかもしれない。その筋を頼り亡命したのかも。

6世紀に急に中央政権の中枢部として現れるソガ一族を、大和へ迎え入れることで歴史を変えようとした。自分と、兄の子たち、相続権を守りたかっただけかもしれませんが、文学的に彼女を捉えると、そして理想を膨らませると・・高次からの導きのような、突き動かされる何かで行動していたのかもしれない。「青の皇女」(あおのひめみこ)と言われている「青」は当時はヒスイを表す言葉で、新潟県の糸魚川が一大産地、同時にそれはコシ国の中心地でした。

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栗本氏の説とは違うところですが、私はやはりソガ一族はもともと出雲だったと思うのです。イズモ、カツラギ、を経て・・同じ大陸由来系のハタ氏とともに、古き良き(先住の縄文人たちと共存する)ヒノモトを、作り上げていたのではないか。。。「弥生人」でくくられる中の先発隊ですね。大陸からの移住はそれこそ1000年近くに渡る長期、幾重にも起きていたと思いますが、その中で大きく日本の文明開化を齎すキッカケになったのが、中国からの移住集団であったハタ、そしてソガだったと思います。

守らなければいけない筈の、超古からの神なる力のようなもの、それを象徴する場所や、そのために培われていった日本先住の(レムリア人たる)縄文の人々の文化。そうではない勢力が日本の中心を押さえて更に支配を南北に拡げようとしている中、その中枢部に生まれながらも、歴史の流れをFix、修正しようと(無意識か、シャーマン的に高次から受けとっていたか分からないけど)していた中の独りが、イイトヨさんだったのでは。。。と、文学的理想・妄想とともにイメージしています。同じくは聖徳太子といわれる斑鳩王ですね、どちらもソガと絡んでいる。

今回はそんな風に、「建国史」全般に想いを馳せながらのフィールドワークでした。

そしてこれは、ライフワークというか。。。
恐らく、その24歳の「負のスイッチ」の当時も既に、考えていたことで、20歳ころから始まった古代史探究と、当時の自分なりのアースワーク・・(そう、今思えば結構シャーマニックに動いていました/笑)・・仏教徒としてですが地鎮や歴史の癒しもしていましたし、過去生ワークも自分なりに。ただ、ニューエイジの叡智がなかったから、巻き込まれたり堂々巡りしたり身体に来たり精神に来たりと。まったくもって基本がなってないような状態でしたが・・・・

そんな時代に、『ハピ』や『ガイアナ』よりも先に構想していた日本古代史の長い長いシリーズもの。その中味が結局、リアルにこの数年、アースワークとして出て来ていたし、アルクアンドロ創世記が落ちついた後の流れで、地球上の時間の流れに沿うように整理されつつある。そしてそれは今、必要なのでしょうね。私たち個人にとっても、より大きな意味でも。

海のワークが一段落し、今回はいつもは入らない森へも、踏み入ってみました。


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往路はスルーした中津宮と、辺津宮に挨拶しながら下山。
いつもはあまり気にしない(失礼、、)辺津の宮には、時節の祭礼でしょうか、お花で出来たくす玉のようなものが掲げられていました。女神の神社ですから当然かもしれないけど、それにとても女性性を感じました。浄められた空に、お花のくす玉。風になびく五色の布。

勝手にですが・・江ノ島で象徴される「時代の変換点で犠牲になった女性性、女性的調和の時代からの聖なる力」が、癒されて・・「ばんざ〜い」(新たなユニティがこれから始まる)・・・と、言っているかのように、この辺津宮のお花のくす玉と青空を見て、自己満足していました。笑

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カラっとした暑さではない所が、何とも今回の二度のフィールドワークおよびセイキムセミナーも含む江ノ島ワークを象徴するかのようでした。優しく、柔らかく。

癒され浄められた女性性・聖性。関わった女性たち、女性に限らないけど女性的なユニティ(調和)の文明であった時代から継承するものを守ろうとしていた人々、そこで共に在った自然界の存在たち。時に悲劇が起きようとも見守ることで人間たちの自由意志を尊重しようとしている、それでも自らも傷付いてしまう高次の存在たちの眼差し。想い。

人間としてのパーソナリティで、一番共鳴するものは、
「歴史全体」という大きなくくり。

24歳で「負のスイッチ」が入ったとき、江ノ島に込められ濃縮されていた、日本全国の「ゆがめられた太古からの聖性」「隠され封印された日本という土地が本来もっていた霊的土台」「それを守ろうとしていた女性的調和時代からの精神文化とそれを担う人々を襲った悲劇」・・・という、岩戸が開く前に、その扉の前に置いてあった石を踏んだ(=轍を踏む)体験が始まったのでしょう。

そこから意味もわからずにユウウツになり、死神を背負ったような状態でひどい時は生きていて、這い上がる形でヒーリングと出会い、そこから、光と歩み出してから、多分13年ほど。この13年の中にも色々なアップダウンがありましたが、今年の春にはスピリットの大カルマであったアンドロセラフィム問題もかたづき(笑)、今回の江ノ島においては、18年前にリアルな三次元の私に訴える形で展開しはじめた、同じ次元層で転生を繰り返しているソウルの、それも自分だけではなくグループ全体のソウルたちともどもの「区切り」が、巡って来たということだろうと思います。

つまり、日本建国史が、整理されなくてはならない。
ソウルの歴史絵巻といえども、上記のように歴史全体を俯瞰しそこに共鳴するという自分の感覚は、スピリットから来ている。スピリット自身の感覚が、私に流れ込んでいると言える。スピリットの目的は、何度もソウルを派遣している意図は、そこにある。

感情をともなうロールプレイはもう要らない。

マインドがアストラル体を飲み込み、オーラ体を統合する。ハートが魂からの、スピリットからの「目的」「感性」「意図」を流し込むことで、スピリットとして地上で生きる人へと進化する。

スピリットが、地上の人として生きている。

「ライトワーカー」を自認する人々が目指しているのは、そこですよね

目指さなくても、宇宙のフローに乗っていれば、自然とそこへ辿り着く。

20150711

島から陸地へ戻って。

夕方、空は本当に優しくて、清らか、無垢でした。

20150713

最初は淡かった富士山も、そのうちに姿を見せてくれました。

Love and Grace,

Amari