2013年5月30日木曜日

スギライトの話−1 「広い愛」「深い愛」



ピンクスギライトのスフィア。このタイトルで書こうと思って、写真を用意していたのが3月の終わり頃。なんと、二ヶ月前のこと・・光陰矢のごとし。

その頃の自分にとって、このテーマはベストなタイミング。逆に言えばだからこそ、書こうと思っていた。こちらのピンクと下の写真のリクトライト(青いスギライト)しか興味のなかった私が、現実の体験とインスピレーションの導きで、初めて、ようやく、「人並みに」(笑)スギライトらしい深い紫のスギライトに触れたい気持になり、寧ろ必要であると感じて、個人的に「スギライト祭り」を敢行(笑)。アカシアのお皿にスギライトの「盛り合わせ」を作り、自己満足に浸っていた。そう、そこには自分自身の中にあったものの燃焼と、移行、昇華、変質・・があった。それゆえの「紫のスギライト(新境地)」だった。

体験がリアルタイムだったその頃のようにはいかないとは思うけれど、記憶を辿りつつ、語ってみよう。

誰が決めたか、クリスタルの業界では「三大ヒーリングストーン」として、ラリマー、チャロアイトとともにスギライトの名前が上がっている。日本で発見され、杉石という和名がオリジン。もちろん一般的には、菫色をしたスギライトを誰もが思い浮かべる。そういえばあまりマットな石を愛でる習慣がないまま、透明のクオーツを中心に石人生を歩んで来た私。そのせいか、「三大ストーン」はどれも余り、触れることがない。ラリマも綺麗だな〜と思いつつも、実は私物として迎えたラリマーは過去に二度、人に譲っていて、手元に残ることがない。チャロアイトも然り。

スギライトは、一度だけ「凄い!」と思って暫し手元に置いていた時期がある。紫だけではなく、茶色や黒系の色が混じる姿をみて、当時エネルギーが来ていてワークに仕上ようとしていた高次エネルギーの「ヴァイアマス」を(ヴィジュアル的に)連想させたのをきっかけに。質のよいタンブルを幾つか仕入れ、ヴァイアマスチャージしてショップで紹介したこともあった。その頃、何気なく手にした時に強烈な、燃えるような強いエナジーを感じて驚いた。さすが「三大」ストーンに数えられる、人気のヒーリングストーン・・・でも、もしかするとヴァイアマスが介在しているお陰かもしれないと、その時期を過ぎるとやはり、何となく疎遠になった。

一方で、淡い色をしたピンクスギライトは非常に心ときめかされる。ひたむきに広がろう、拡げようとしている愛のエナジーが、ミストと光で放射されているように感じて、素直にその明るい優しさと暖かな愛の佇まいに、目を細める。胸に入り込んでくる、肯定的な育みと創造の力。うんうん、そうだよね、愛は無限だよね・・って、言ってあげたくなる。うんうんって、頷き、微笑みたくなる。

この人の性質をひとことで言うと・・・・・「広い愛」

いわゆる無条件の愛と言ってもいい。でも特定の誰かに対する無償の愛とはテーマが違い、世界人類のすべてを愛してしまうような、そうそう「博愛」という感じ。水瓶座生まれの「自称ヒューマニスト」の私、無理なくピンクスギライトに同調できるのはもっともかもしれない。

では・・・

同じく、昔から「この色ならいい。好き。」と思って大事にしてきた青のリクトライトは・・



このひとは何なのだろう。ピンクが「広い愛」。でも色によって全く印象が違う。

そんなことを考えごとしていたある日、現実では、良心という立ち位置から眺めれば「ひどい」「呆れるほど」「心に光は無いのか」と言いたくなるような人物との絡みを、もう既に過去になりつつあっても、まだ完全には切れていないために、振り返り考えていた。呑気なので普段あまり怒ることはないけれど、ひどく利己的な人や、理由もなく破壊的な人などを見ると、正義感(・・と言っていいのか)いくらか呆れたような怒りを覚えることが、数年に一度くらいのペースで発生する。

考えごと。ぼんやりとリクトライトを手にして眺めている時、その感情が一瞬、過っていった。魂の意図はさまざま、人の自由意志を損なってはいけない、堕ちていたい人はそれが学びであり目的なのだ、それを「裁断」する必要もなければ、悪い人だと評する必要もない。・・そんなことを、ニューエイジ思想では学ぶ。宇宙の自由意志の法則。堕ちるも、昇るも、その人の魂の自由な選択。他者の選択を、他者が良い悪いで計ることは出来ない・・・・・分かってはいる。でも、どうしても三次元の人間として生きて来た歴史の中から、道徳心のようなものが顔を擡げてくる。

「自由意志だ」と見送る、見流すつもりでいた事象が頭の中を通過していくとき、一瞬、グツグツっとお腹の中で感情が小さくうごめいた。これはもしかすると、赦し・・が出来ていないということではないかと、気づいてハっとした。自分が直接何かされた訳ではない、様子を客観的に見ていただけであっても、人間として許せないというような感情が、いつの間にか小さくお腹の中に。それと同時に、視界の中にあるリクトライトの妙なるブルーの揺らめきと深みが、急に訴えかけて来た。

「深い愛」

その言葉と、言葉とおりのものが青い柔らかなシルクのような肌触りで、私に寄せてきて、それから身体の深くへ・・胸からお腹へと入り込み下降していった。

「ああ、そうなんだ」

よく分からないけど、その青が滑り降りていく流動に撫でられた私の内側で、相手という存在をそのままーーいわゆる「あるがまま」ーー受容するという、特殊な心の振動が起きていた。ず〜んとおへその側と第二チャクラまで下って消えていったその流れと響きに、私はリクトライトの静かだけれど他には真似出来ない大胆な愛と包容力を知った。

そしてそれは、そのまま、スギライトという石の凄さであろうと、思った。

なぜなら、ピンクスギライトとリクトライト、その色が混じったものが深いパープルの(一般的な)スギライトであることに、ようやく気づいたのだった。

探し求めて、大きな原石をひとつ買った。それから、ピンクとブルーが混ざることでスギライトになっていく様子が見てとれるようなルースを、2つ。仕上には、完全にパープルの正統派スギライトのブレスを買って、締めくくった。スギライト祭り・・それらを全てひとつのお皿に盛りつけ、眺めて過ごす個人的イベントが、一ヶ月ほど続いた。

「広い愛」と 「深い愛」 その両方が混じり合い、統合されて新しいテーマへと導かれる。

それはまさしく「赦し」

赦しが苦手だった訳ではない。むしろ得意なほうだ。相手を憎まず腹を立てず、現象として捉え、自分の感情だけを自分の中で消化し昇華し、透明にしていくことは実践して来ている。それにより現実が劇的に良いほうへと変転していく体験も、人生の一部のように繰り返して来ている。

けれどスギライトの紫の中で、目をこらすと見えてくるピンクと青のそれぞれの愛が燃えて一つになっていく様は、それが体現する意味は、非常に奥深くて、細かな網の目も見逃さない。

広い愛で世界や現象を見つめる、認める。深い愛で相手を理解する、受け入れる。・・それらは出来ていても、どこか他人行儀。個人主義で我が道を行くという性格ゆえかもしれない。統合した愛が赦しの炎となって変質出来たとき、私はそれを自分の一部としてもう一度愛するということを、していなかったかもしれない。博愛と深愛で受け入れた相手や世界を、「ではお元気で」と爽やかに切り離すのは得意だった。でもその変質させた愛に、「頼ってはいけない」とどこかで思っていた。せっかく昇華させた光のごちそうを、受け取らずにいつも歩き出していた。

ああ、もっと受け取っていいんだ。自分が変容させて熟成させたものを、誰かに使ってもらうべくいつもその場に置いて次の旅に出る、そんな感じだった。だから、スギライトの紫に頼る気持ちにならなかったらしい。私は、広い愛と深い愛を持っている。だから大丈夫。って、「三大ヒーリングストーン」のひとつから受け取れる恩恵を、欲しがらなかった。

愛のストーリーは、青とピンクの先で紫に深まっていく世界を、堪能していいのだということを、初めて知った気がする。なるほどなんてパワフルな、燃える紫の力なんだろう。これに頼ってもいいんだ。導いてもらってもいいんだ、自分の愛だけをたよりに問題を解決させ、去っていくばかりではなく。

そしてようやく仲良しになった、パープルのスギライトの話は、また「その2」につづく。。。笑


Love and Grace,