2014年7月11日金曜日

かめばかむほど/宇宙びとのブランチ



今日のブランチ。くるみのバゲット、ミネストローネ、野菜サラダ。

人間の肉体の重さ。それを楽しめている人もいるし、そうじゃない人もいる。スピリチュアルな人々の中でもスターピープル系の(私もそう)人々は、肉体に入っている事にすら、子供のころから違和感を感じているくらい。。それは深刻。「不自然」と思いながら地球の転生サイクルに入っているので、何度も何度も「おかしい、何か変だ、こんな筈では・・」と人生を苦しみながら繰り返しているうち(昔ならばきっと修行者や山のシャーマン等になればしのげたことでしょう)、更にハートの傷深く、第二チャクラにその古傷のブロックが結晶化し、思考回路にも影響。

「生きづらい」とため息を漏らしながら、子供の頃から、他の人々が楽しんでいる刹那的な時間を楽しめず、土を指でくるくるしていたり、虫やお花や小石に、話しかけていたことでしょう。

そんな宇宙人スピリットの人も、今この時代は大きなチャンスとして、自ら喜んで選択し、体験しに来ているのだとか。魂として事前に書いた筋書きとおり、お約束のように生きづらい時代を早くに経験し、ベストなタイミングで、故郷である宇宙の叡智と再会。「これだ」と、衝撃的な出会いを感じる。。。しばらくは、それでもヒトとして生きて来た今生、さらには地球での転生の歴史がおりなすドラマの色々が、肉体内分泌腺と連動しながら、クリアリング時代のスイッチを入れる。

あんなことや、こんなこと。最近の転生から、アトランティス? さらには未知の文明の記憶まで出て来たりして。小さい頃、保育園に入ったばかりの1年目のように、熱を出したり、あそこが痛いここが痛い、現実を通じて気づかされた、、などなど、泣きたくなること、色々。

人によって、人生の歩みは色々だと思う。


ここから自分を語りますが・・
余りに浄化浄化と、そして自分を高めることにフォーカスしていた時代がありました。日々の生活はたくさんの石たちと、サロンを訪ねてくるお客様と過ごす時間が殆ど。若い頃に惚れ込んだ「聖地」の山が、自室からも、サロンからも望める。遠出をすることはないから、常にその山の懐で、その山と森や自然霊たちが醸し出すエナジーの域の中に居る毎日。


俗っぽいもの、すべて興味がなくなっていました。文化的なことも。エンターテイメントや創作物は勿論のこと、かつて好きだった(そう、元々浮世離れしていた娘だったので)歴史探究や、舞台芸術、旅行も。。どこにも行く必要がなくなった、、瞑想すれば何処へでも、多次元に行けるし、ハイヤーからのエナジーで常に満たされ、パワースポットにも行く必要が無かったから。

興味あるものといったら、音楽は瞑想音楽・ヒーリング音楽のみ(笑)。あとは・・天然素材の服や手作り化粧品、石たち。それだけ。奈良にせっかく転居したのに、出歩く必要がなくなって4年間ほどんと観光や、前に好きだった仏像鑑賞、神社巡りをせずに暮らしていた。


今振り返ると、笑っちゃうでしょ(笑)
自然食、ノンアルコール、ベジタリアン。。映画やロックなんてとんでもない!
若い頃は大好きだったものであろうとも、とにかくすべて、興味がなくなって。
自分の過去も。感情思考の浄化が一段落し、過去にまつわる傷がなくなってくると、連動するように半生の記憶が淡くなっていくかのようだった。そして子供時代やヒーリングに出逢う前の人生を、まるで過去生のように遠くに感じて。




或る日の瞑想で、「自分」の「限界」の最高レベルまで上がっていき、「天井にピタっと手がついた」と感じた瞬間があった。「今世では、それ以上(エネルギーを)開発できないよ。それ以上するなら、もう別次元へ行くことになるよ」と、自分の分身のような声が、頭上から響いた。

「・・・ええっっと」

暫し考えたけれど、「家族も居るし、まだ、多分、行けません」

「いえ、行きません。残ります。」

ヒュ〜〜っと、下降する感覚がしばし続き、ストンと肉体に納まり、周囲の世界に気づいたとき。そこが自分のサロンの一室で、陽光を浴びた石たちに囲まれている美しい風景だったにも関わらず、自分の選んだことへのやるせなさが、押し寄せて来た。


「うえ〜ん」と、暫く声を出して泣いた、昼下がりのサロンの或る日。
2009年の4月のこと。




そこから、苦しい時期が始まりました。
なぜって、「ストン」を経て、かつて一度すべて興味を失った人間時代の(笑)自分のパーツが、全部戻って来ちゃったから、大変。要するに、ニューエイジに出逢うビフォアとアフターが一緒になっちゃった。純化に励み、透明に濾過しようとしていた人生が、再び、ニューエイジの思考回路と経験と時間をかけてつくってきたエネルギーシステムはそのままに、再び今生の一人の人間としての雑情報が流れ込み、モザイクになってしまった。



そのモザイクを、再び、宇宙回帰した後の自分の目線で並べ直し整理し、もう一度「あえて興味を持ってみる」みたいなことを少しずつやることになる。


それから4年が経過した。
まだまだ、モザイクと向き合い、ジグゾーパズルをはめている途中のような感じもする。それはそうだ、きっと、ずっとそうして生きていくのだろう。けれどもさすがに、積み上げて来たこちら(宇宙の叡智)の情報を失った訳ではないし、オーラシステムや、この仕事で出てきたノウハウがある。過去感情のクリアリングや思考の色々も、ゼロに戻った訳ではないので、「ビフォア」時代に逆戻りした訳ではない。ただ、興味関心(第二チャクラ)と、記憶や情報の扱いが、大分変わったのは間違いない。


以後の戸惑いと、再調整の時期が落ちついてからは、(この2年くらいかな)未来を感じながら、噛み締めているような気分。ニンゲンであること。ニンゲンとして、人間社会に触れながら自分なりの軌道を造っていくという道のりを。「タマシイの乗り物」としての、自分の肉体。それがエネルギーシステムと、思考とハートとともに織りなしていく現象界の現象たち、その創造の流れと結果を。

かめばかむほどに。噛み締めて、「そうだった、そうだよね、宇宙人として地球人生を、地球人体験の中で完成させる。。それが目的だったよねえ。」とか心で呟きながら、かめばかむほどに味わい深い、『この地球という、どうしようもない(つまり素敵な/笑)ホシ』の、幻想のような瞬間の重なり合いを。ニンゲンである限り感じる、感情というものの忙しさを。思考や理性という時に無駄なブレーキさえかけてくれる安全?装置を。


ブランチを噛み締めながら、ただそんな事を想っていたという今日のお話。
たまたま、クルミ入りフランスバゲットが本当にかめばかむほどに美味しかったので、タイトル、ひっかけてみました^^


Love Life