2015年5月26日火曜日

紫陽花は知っている


昨日、Mさんが持って来てくれた紫陽花。前もお庭のミモザを持って来て下さいました。ありがとうございます。

紫陽花は、確か日本原産で、それも原種はこのようないわゆるガクアジサイ。オランダから幕末にやって来ていたシーボルトが持ち帰り、日本での想い人だった「お滝さん」に因んで「オタクサ」と名付けたという話は有名ですネ。日本原産の花だけあって、確かに日本女性のような雰囲気があります。紫陽花ってどれもブルーを貴重にした周辺的な色のピンクや紫で、お花の質感なども独特ですよネ。

小学生の頃、そのシーボルトとお滝さんの間に生まれたハーフの娘さんが、「日本で最初の女医」になったという話を読んで感動した覚えが。。子供の頃から国際結婚に憧れていたのはそのせいかもしれません・・(笑)

花言葉を調べてみると・・この原種であるガクアジサイは「謙虚」だそうです。
花言葉って色々だから、良い言葉で良かった(笑)。

さてさて、濃密で・・といっているうちに更にその密度が増していて、「サロンダイヤリー」も追いつきません。。ざっと振り返ってみると、引きつづきという感じでエルフや、ケンタウロス、ニンフなどの「DNA 交配」により生まれたグループ関連のカルマや傷の解放、解消がさまざまな角度から、交錯する糸を一つ一つのセッションがたぐっていくように進行している。

これらは、リアルタイムで「こうです」と語るようなことではなく、レムトラがそうであったように、世界観が定着し固定されていくまで、自分の中で情報を溜めていく、、あるいはただ静観していくというレベルのことなのかもしれない。かなり真に迫ったものが出て来ていますが、いっそ小説にでも仕立てて、のほうが、全体の役には立つのかもしれないとも思っています。また折々、感じるままにやっていきます。

さてさて、タイトルですが・・・

高次とのやりとりを仕事のベース、土台として10年ちかくやって来てもなお、「ナゾ」でありながらも翻弄される、結局どうにも解明できないからそのまま流れに乗っていく、あるいは見送る、ということは多々在ります。自分の一部が抵抗することも、その先で気づきを得ることも。または抵抗が正しかったのだと気づくことも。

そんなナゾめいた多次元的な世界を相棒にして、仕事や生き方をしてきても・・・大きな、かなり巨大なプレートまるごとの地殻変動を経た今シーズンは、やはりこれまで流動的でありながらも基本は同じ・・という姿勢でいたことさえも、変らざるを得ない、気づかざるを得ないような変化を感じるポイントがたくさんあり、アンドロセラフィム創世記、そしてハイラーキー物語の余波はまだまだあるし、「リハビリ中」と言えるかもしれない。それで現実生活の中で人格全体や行動や現象すべての層で、定着を見るには、まだもう少し時間がかかるのかも。

そんな中、すべてを知っているのはサロンの石たちや、植物たちかもしれぬ。。。
ちょうど頂いた紫陽花に絡めて、タイトルを付けてみました。
メインブログ「世界樹の木影で」につづくーーー

といったところかな。

Love and Grace,
Amari