2015年9月20日日曜日

心と現象と、女神・小説の話。


名付けて「巫女姫の祭壇」・・・
ちょうど今回の記事で触れている、小説『ハピの巫女姫』、『ガイアナ神謡集』のヒロインである巫女姫たちはきっと、自室にこんな、祈りのスペースを持っているのではないかな。。と、このコーナーを最近整理して作っていた時に、思いました。

『ハピ』のセイレンはギリシャ・エーゲ文明のような白亜の大理石の居館に、海を眼下に見つめながら暮らしています。『ガイアナ』のトリシアはヒマラヤ(作中ではマーラ山系)の山並みが迫る内陸の都「ラサ」の神域で、幾つかの居館や小神殿を行き来して暮らし、お気に入りの居館には自分用の祭祀スペースを持っている。。水晶や水鏡、ちょうどここに写っているラベンダーのロザリオのような数珠も、作品で彼女たちの私物として出て来たりします。


シルバーウイークの存在もそのネーミングも、直前になって知った、それも娘に教えてもらうまで5連休にも気づいていなかった私です(笑)。ニュースによるとシルバーウイークは晴天ウイークとのことで、爽やかに晴れて、ちょっぴり風は秋仕様で、気持ちが良いですネ。

さてさて、先日江ノ島記事でメインブログ「世界樹の木影で」をしめくくり、サロンの配置変え等々も落ち着き、変換ポイント特有のウズウズ、モヤモヤ、は、お陰様で短期間で収まりました。まだその余波はつづくので、物理的にも、石の整理という点でも、心にしても、もう暫く穏やかに続くだろうとは思いますが、まずはホっとひといき。

変換点の気持ち悪さを長引かせたくないので、今回はとくに思いつくことをスピーディに行動に移したのが良かったみたい。以前からそういう人ではありますが、今回は尚更に。それは自分のアンテナというか、頭の中の何かがまた性能が変わり、以前よりも精細にピコピコとエネルギー情報を処理できるようになったからだと思う。受信して整理して確信して動くまでのスピードがup。

その機能は、元々持っているところに去年からだいぶ開けて、時折ヴァージョンアップが入るようです。これもやっぱり、シナプスが動き出してから落ちつくまでは少し・・いやかなり、おかしな感じがするものですが、そこも一段落した感じ。

B.フィックス(瞑想家でチャネラー)氏の見解だと、「悟り」も脳波の関係だということですが、エネルギーワークをやっていて肉体やエーテル体のお掃除と、それを反映した現実の作り替えなどが落ちついた頃から、脳がどんどん変っていくというのはみんなあると思います。それが、途中からは更に顕著になっていく。チャクラや、肉体の関節にたまっている過去生などのエネルギーが片付いていけばいくほど、そこに影響を受けていた脳の中の回路が整理されて、あるいは発展していく。

ヒーリングの道のりは、途中からは脳の進化、そういう感じが凄く実感としてあります。癒し・解放のレベルと、「悟り」の間にあるのが、脳で起きる変容と、それによって変ってくる現実認識、つまり意識変容なのだろうと。それが進む課程では、同じ現実認識が出来る人としか視点や感覚や話が合わなくなってくるので、言い方を変えれば、歩みを止めずに進化し続ける覚悟をしている人には、絶えず、出会いや別れ、再会がつきまとうとも言える。

今思えば、それゆえなのだろうけど・・若い頃はたくさん仲間が居て、どちらかというと慕ってくれて囲んでくれるような有り難い友タチが常に居てくれ、目上の方々、年上の方々や、後輩や年下の人々も、人付き合いはなかなか「多忙さ」を感じるほどでした。それが、『この道』に、シングルマザーとして飛び込んだ瞬間から、完全に一人になるよう促され、腹をくくらなければと現実に迫られたような場面が多々、ありました。

けれど母は強しで、割と難なく腹はくくれた。淋しさもなく、とにかくいつも必死で。駆け抜けて来て・・・お陰さまで、心のゆとりも出来たのが、2年前くらいでした。そして何となく人が集まる場をイメージして、今のカレッジに繋がったような。先生であることも昔から好きなので(大学時代、中学生に英語を教えたりしていました。そして夢は大学の先生でしたし/笑)今はとても楽しい。そう、カレッジ以外でも、最近はセミナーのお仕事が多くて。

ただ・・・素敵な生徒さん、お客さんたちに囲まれても、やっぱりこの道を志すのならば「孤独であれ」「独りであれ」と言われているような感覚が、ヒシヒシと体感される。それは物理的にどうというより、心の在り方ですが。けれどきっと私、パートナーや、生活圏に身直な存在がいたら、日々、心象を語ると思うのですよね。本来、語り好きですし、変にサービス精神もある。

でも、そうしていると、人に話したその日の自分の世界が、固定されてしまうかもしれない。今のペースだと、次の日には現象のヴァブレーションが変質変化しているようなことがとても多いので、きっと日々の自分の心、日々の自分をとりまく現象たちのことは、目の前の誰かに語るよりも、少し流れが定着してこうしてブログ等に刻んで、皆さんに読んで頂くくらいが、ちょうど良いのかもしれない。

とはいえ、母が側に居れば毎日のように母に聴いてもらうだろうし、夫のような人が居たら耳元でずっと喋っていそうですが(笑)、ひとりの人間として、それが許されるならどんなに癒されるか、と思います。心に去来すること、煩悩だってまだありますからそれゆえに揺れ動く心情など・・ けれど、そこに安住してしまったら、もうそれが自分の世界になる。常に自分が観察者であり、味わい体験することをひとつひとつ、魂にとっての歩みに変えていくような『道』に恐らく私は居たいのだろうし、そこから外れたくないのだろうし。

そうなると、今のような自分の在り方がベストなんだろうと思います。

というか、だからこそ、別の方面からの支えとサポートを十二分に頂いているのだと。片足は半分、五次元というか。そして更に歩んでいくと、現実世界の身の置き方がどうであろうと、常に自分が完全に「独り」であることを無理なく、現象化できるようになるのだろうということも、何となく察せられます。でも今はまだ、心は色々と日々、呟くのです。

今はまだ、心がおしゃべりを展開するので、誰かに聴いて欲しいと願う。だから、誰にも聴いてもらえない状況が必要になる。そこでグルグルと回り乍ら、摩擦したり幾らか葛藤したりしながら、螺旋で上昇していく。いつか突き出た先に、もう現象界でどうであろうとも関係無しという意識状態になっていく。その時には逆に、話を聴いてくれる人たちに、日常的に囲まれているのだろうな。



小説『ハピの巫女姫』の主人公セイレン、続編『ガイアナ神謡集』のトリシア。おそらく人々とのかかわり合いの中で必死に自分の役目を生きることをし、自分の意識状態うんぬんという時間は、彼女たちには無かった・・高次に愛される魂として生まれて、人間界に光の痕跡を壮大に残しながらも、自分自身の魂の救済へとゆっくり時間を使うことは、無かった。

一方で、『ガイアナ』の男性主人公であるレオダイは、前半はそれはそれはもう、まるで神話の主人公のように数奇な運命ですが、最後の4巻後半までいくと、「あれっ?」という方向へいきます。けれど本当に私が無意識ながらに言いたいこと・・というか、人とはこういうものだというエッセンスは、彼の人生に詰まっているような気がします。巫女姫たちは、女性性と女神の体現としての役割、高次との橋渡しであるシャーマンとしての役割を命がけで生きていますが、レオダイはひとりの人間、現代人の男女ともに、自由な個人のモデルタイプとして、運命に翻弄されながらも、「そこ」へ向かう、「そこ」へ至る。。。

書いていた当時(もう10年前!)も、レオダイはどことなく自分の分身のような感じでした。自分の中の男性性というか。

もちろん、巫女姫たちや、現れる多くの女性たちもみな、共鳴する部分は必ずあるのですが。

つい先日、「ハピ」の世界を夢で見ていたんですよね。

江ノ島が、ハピに出てくる巡礼者の島「ミワの島」に似ているからかもしれません。いつもはそんな風に思わなかったのですが、先日の江ノ島は、とてもそんな雰囲気でした(巫女シスターズと一緒だったからかもしれません、笑)。

そして脱線してしまいますが、「ハピ」に出てくる主要な男性キャスト、リーヴ、そしてナスタトは、もの凄くリアルに自分の記憶から出てきた人なんですよね。マルスもある意味そうですが、けれどやはりこの世界の人ではなく高次存在がモデルと思われる。一方、生々しいようなリーヴ、ナスタトのモデルになった人々の夢を、過去生の記憶でしょうか、見たことがあって。この人たちは本当に「居る」と思っています。

だからこそ・・・でしょうか。セイレンが抱えているものはそのまま、自分の転生ソウルの個性や課題として、確かにある。そういう意味では「そのもの」なのかもしれません。自分のソウルを、モデルにしているのかもしれない、無意識ですが。。。そしてナスタトも、マルスも、確かに居ますね、人生において、折々で、現れて来ます。リーヴだけはどうしても見つからないですが(笑)それはそうだと分かっている。。スピリットが融合していて、それがソウルに降りて来て「記憶」になっている。だから男性キャストの(ガイアナの)レオダイが、自分の分身に見えたりするのだろうと。そう、既に男女のツインが融合している。用事があって、今はここに居る。。。

「ハピ」を書いたことで、2003年、つまり12年前に私自身の女性性や女神性のテーマというのは、完全に終っていて、「ガイアナ」では、人間が地上で生きる上での神性のテーマを、無意識ですが扱っていた。だからその後、「自分では完結しているけれど、人々のニーズがあるのなら」と、女神系のお店「イナンナ」、その後の「サクレクール」、女神や女性性の読書会、そしてアルガンザのワークでも女神系のワークや女性性への癒しメニューを用意していますが、これらは、どういうわけがことごとく、軌道にのらず続きません。

「どういう訳か」・・ほんとですよね、イナンナはリュミエールに改編しヴァージョンアップしてお陰さまで軌道に乗りましたが、サクレクールは二度、スタッフs を迎えて試みましたが二度とも続けられなくなり、女神の読書会も何度も試みましたが、うまく続かずフェイドアウト。「どういう訳か」ではなく、私のような仕事の仕方、在り方をしていると、本当の意味で自分がそこにチャネルしていないものについては、時間をかけられない仕組みになっていること、冷静に考えていくと分かる。。。

そう、「女性性の解放」テーマは、個人的には29歳のとき、ずっと書いていたシリーズ現代小説を書き終えて自己完結し、それを高次との連動で歴史大河の中に表現したのが「ハピ」だった。そこで、自分がそのテーマでアウトプットしたり、結晶化する作業は終えていたはずでした。次のガイアナは同じく、女神崇拝の母系社会ですが、より大きく社会や国家、ひいては歴史の在り方としての男女性テーマであったり、高次と人間界だったり、地上で神性を体現する難しさであったりと、既に主題は切り替わっていた。。

自分の仕事の中で、「女神」「女性性の解放」はもうチャンネルとして存在しない、その必要は無いんだということに少し前に気づいていて・・・実は密かに、アルガンザのメニューから女神系ワークを外していました。3年くらい予告していた「ホワイトシャクティレイキ」も。女性性の癒しに特化します・・と言っていた同ワーク、きっと、頑張って形にしても、あまり動かない、生きたチャンネルにならないだろうと、分かったので。

サクレクールの二度の挫折(笑)、女神読書会とその系統の企画がどうしても現実化しないなどの、過去のちょっとしたトラウマも、同時に解放されました(笑)。そう、もともとユニセックスな、「おんな」という枠組みを越えた人に憧れるしそこを目指したいし、だからこういう人生になっている(女性としての役割分担を、その対である男性と分かち合うのがどうしても自分に合わない)のだから・・・気づくのが、遅すぎるくらいでした。

セイレンは、確かに過去の自分であると思う。

今の、今生の自分はきっと、(トリシアの存在はおいておいて)レオダイの道なんだと思う。


今後、アルガンザも、すべての仕事も、いかに前時代のジェンダーから人々を解放していくかという感覚に固定し、「傷付いた女性性/男性性の解放」からはもう、前に進んで行くことになるだろうし、創作活動も、来年はするつもりですが、まったく違うものを書いていくと思います。私の感覚って、一般世間よりも二十年、前にずれていることが分かっているので(笑)、ハピで言っているようなセクシャリティの感覚、女性たちの魂からの目覚めと、癒される男性たち、というテーマは、おそらくあと7~8年後に、表に現れるようなタイミングになると思います。



夜が明けそうです。スパークリングワインでも飲もう。笑




世界樹ブックス:http://www.lumiereblanche.net/works/index.html
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Love and Gratitude,
Amari