2013年2月20日水曜日

見えない筈のものが見える時



PC 内の整理をしていて、今のメインブログの前身、奈良に住んでいた頃のブログ記事に掲載した画像データが、幾つかのフォルダに納まり保存されているものを見つけた。見つけた・・といってもなくしたという程の自覚は無かったんだけど、そうかと言って此処に在るぞ、ちゃんと在るぞ、という意識もなく。

何と言うか、過ぎ去っていくものごとには結構、無頓着なほうで。チベットの砂絵ちゃん、と自分では渾名をつけているくらい(笑)。時間を掛けて、精魂こめて、作り上げて来たものを、完成した瞬間に手放してしまう、ゼロにリセットしてしまう(あくまでも自分一人の中のことで、他人様を巻き込むようなことは無いのだけれど)結構それで本人は、プロセスを楽しんでいるせいなのか、まあいいわと思っている。

大量のブログ画像たち。それでも眺めていると(テキストの方はダウンロードしたものの今のPCだと開けない事態になっている)一枚一枚から、その写真に込められている想い出や、アップした時の文章まで何となく蘇ってくる。愛着・・うん、というよりは、息吹のような、エネルギーのような気配が写真たちから立ち上ることを思えば、大切に。。何かにまた使おうか、写真たちを収めるミニサイトを作ろうかと、そんな気持ちにもなってくる。

そしてこういう写真を久しぶりに見ると、おっと!と思う。この一瞬の奇跡、その時に頂くギフトを思えば、自分自身の過ぎた過去の断片として、全てを片付けてしまう訳にはいかないという気持ちになる。

上の写真は、三輪山の麓、大神神社から狭井神社へとつづく山道の途中に鎮座する、スクナヒコナ神のお社で、正確にはその小さなお社の鳥居の内側から映した、お参りを終えて振り返った時の光のシンフォニア。時間が経つにつれて、特に下方の有機体のような色とりどりが変化していく。その経過も映したものがあるけれど、後日「大和路フォト」を紹介するミニサイトを作る予定なのでそこに載せることにする。

下の二枚は、同じ三輪の森で映したもの。これは少し前に、同じシリーズの写真をサロンのサイトの表紙にカットとして載せているけれど、やはり時間の経つ瞬間瞬間で、光の物体の姿が変わっていく。最初、グリーンの「ニコちゃん」がブルーグリーンの輪の中にいる。これが、別の1枚では外に飛び出しているのだ。








こういう写り方をするのは、手前に見えている膜が自分自身のオーラ、またはその周辺に在る色だと思われる。確かこの日は、エネルギーワークを受けた翌日だった。インディゴの走りであるらしい私のオーラは藍色がメインの様だけれど、セッションで受けたエネルギーの光の膜に包まれていたのだろう。そしてニコちゃんは、宇宙から来たものをこの森に運ぶ役目でも担っていたのだろうか。

・・・こんな風に、普段は見えていないものが現れてくれることも、ひとつのメッセージ、そしてギフトだと思う。沢山の恩恵、恩寵に包み込まれていながらも、データの記憶は残っていてもその時の感動や深い感謝は、日々の多忙さの中で摩耗していくこともある。頂いて来たエネルギーやメッセージを取りこぼすことの無いように、一歩一歩を振り返り辿る心の旅をしている。

Love and Grace,