2013年11月20日水曜日

上にあるものは下にも。内にあるものは外にも。



このタイトルだけupして記事を書かないまま・・4か月近く。書く気が無かった訳ではないけれど、優先順位から後手後手に回ってしまって。いつしか、もう内容を忘れちゃったなあと思っていた所に、同じような惑星配列にピタ!っと重なるような時期が(実際の惑星配列ではないですよ、自分の中のタイミングと状況からの比喩ですが)巡って来たことを感じて、四ヶ月振りに手を入れることにする。

石たちは、特に記事の内容とは関係が無いのだけれど、ここ数日、訴えて来るのでこれらでワークしていたという面々。とはいえ、メテオライトとロシレムはいつもいつものステディな石なので、今訴えていたのは、右上にある長野県産のアバンダンスクオーツと、左下に写っているチベットエレスチャル(ゴールデンヒーラー)、そして中央のガーネット団子(まるまるガーネット結晶という優れもの)

さて・・タイトルは7月にupしていた訳だけれど、その心は。自分がメタフィジカルな学びの中でクリアして来ていること、または元々、自分自身の人生ホログラムの中には自分のものとしては現れないこと。それを、友人知人や家族、親しいお客さんたちから、話を聞くことがある・・・ということは、自分のパターンとしては無い、存在しない、けれども、話が耳に入るということは、自分の中にやはり片鱗ないし、それなりの何かがあるからなのだろう・・・という事を感じていた時に、その事を書こうと思って付けていたお題だった。

詳しく語っていくと、
量子物理学的に、人間関係の中で、相手が発した情緒的粒子がこちらに向かって来ていても、こちらが同じ周波数の粒子を送り返さない限り、共通のフィールドに(先方からの粒子が内在させるもの)が現象化することはないから、望ましく無い状況が顕在化するには至らない。

それを、意識的であったり、一部は無意識の働きであったりして、何年かかけて意識の学びとして実践する流れになり(こういう事って自然と促される)、簡単に言えば自分の中の感情を純化していくという作業をすることで、アストラルなフォース(エナジーの流れ)を透明化する。故に、一番理想的なのは相手から来ているものさえ、その自分が発したフォースで透明化出来る事も、相手が素直な人の場合は起こりうるし、いずれにせよ、自分にとって心地よい(自分軸からぶれない、それでいてトラブル化せずにおさまる)方向へと、現象を向かわせることが出来る。。。

という、量子物理学的な、意識のテクニックを活かした、現象そのもののヒーリング、ピュリフィケーション・・・とでもいいましょうか。必ずうまく行くとは言わないまでも、この心とテクを持って生きていることで、普通ならば大きなもめ事に発展したり、人間関係のしこりになりそうな事が発生したときも、現象化しないという事を、実際に幾つか体験して来た。ありがたいこと。

・・・でも。
色んな人たちと話していて、「ドラマ」の中で悩み、思い込み、筋書きとおりの感情反応をし、そのアストラルフォースを相手に送り、相手からもお返事が来ることで、感情的な不快感の応酬が顕在化する。。。という状況が起きている(人である限り普通の事ではあるけれど)。

そんな「ドラマ」の話を聞くということは、私自身、何が自分の中に残っているからだろうかと。。。そういう事を考えたのだった。「越えた」と言っても完全に越えたとは言い切れない、つまり境界線に居るから、なのだろうなあ、というお話。それが、「内にあるものは外にも」で表現したかったこと。つまり、まだまだ自己のアストラル領域のクリアリングと、意識のお勉強は続くということ。

少し話は変わるけれど、若い頃から、親しい友人や「身内」的に近い人に、いわゆる霊媒体質というか、完全なそれではなく本人も無自覚乍らもその気がある人が結構居た。二十代にかなり深く親交していた友人が、「私ってトラブルメーカーなの」と言っていて「おいおい、止めてくれよ〜」と思っていたけれど、彼女と一緒に旅行に行くと、やはり普段は起こりえないようなミニトラブル・・駅で階段を踏み外したり、新幹線のチケットを落としたり、観光中に体調を崩したり・・と言った事が、(すべて私に!)起きたものだった。当時は一人旅や他の友人との旅行もしょっ中していたけれど、そんな事が起きるのは彼女との旅行最中だけだった。

他の知人でも、一緒に何かを共有すると、私独りでは決して起きないような不思議現象が(マイナス面の)多発する人も居た。心象がそれらを引き寄せるというのもあるけれど、もっと深い目に見えない理由がありそうな気もしていた。若い時分は仏教徒だった私は、そういった人々と行動を共にする時、せいぜい自己防衛のために読経するとか(笑)出来る事をしていた記憶がある。そして決まって、エネルギーを吸い取られていたなあと、ヒーリングと出会った時点でしみじみ思った。故に、古い人間関係は、当然の流れで自然消滅していった。

その後、ヒーラーという仕事に就いてからは、そういったタイプの人々の周囲で「小さな不幸」を呼び起こす存在達が、セッションや瞑想や、場合によっては普通にしていても見えたり感じたりするようになっていった。けれども完璧な情報として入ってくる訳ではないし、お客様であればセッション内の「やるべきこと」としてそれらが外れて行くのを見送るし、家族や影響力の強い身内であるならば相手のスピリットに断った上で、「処理」することもある。でも、ヒーリングの法則として、あまり勝手なことは出来ない。

以前に比べて、「強烈」なモノとの邂逅の機会は少なくなったけれど、まだ今もって、小さなモノがウロチョロするのを見かけたり、油断していると本人からそれを受け取って連れて帰ってしまうこともある。感じることが出来て、対処法が分かるから、ヒーリングと出会う以前とはまったく状況は違うけれども。。。

出会った瞬間に、「この人は魔法使いだなあ」と思う人も居る。当人はポジティブで自分のやりたいことを、実現させて行くのだけど、自分が持っている負の要素を人へスライドさせたり、人の持っているものを(恐らく無意識に)するりと自分のものにしてしまうことで、心にあるものを現実化させていく。人のエネルギーを使っているので、結果、現実化した事の中で(宇宙の法則上)自分が清算しなくてはいけない請求書がちゃんと回ってくるのだろうけれど。だから、結局はプラマイゼロになってしまうのだろうなあ。そういうタイプのマジカルパワーの持ち主も居る。

実際、ヒーラー稼業もそうだけれど、メタフィジ分野には魔術師的に機能している人も、たくさん居ると思われる。同業の方とよくそういう話もする。お客さんたちの「被害」話も聞く。

あるものを、何かに変えて、形にしようとするのではなく、何も無い所へ、自分自身が導管になり、相手に必要な光を降ろす。それが、エネルギーヒーラーだ。何がモチベーションかといえば、ただ純粋な透明な愛。それだけ。こういったジャンルを、自己実現のための手段のように捉えていると、自分もそういう同じタイプの人の「被害」に遭うだろう。江原氏いわく「スピリチュアルが自己表現になっている風潮がある」・・もちろんそれは、氏の中ではよからぬ風潮であるということだ。

ひたすらに透明であるということは、三次元に生まれた我々人間にとっては、難しい到達点であるかもしれない。でも、そこを目指していく・・ということなのだろうと思う。

話を戻すと、私自身が四次元的なモノの触媒になることが無いのは、10年間の仏教徒時代にスピリチュアルが孕む危険性や、落とし穴や、実際にそういうモノが動いている状況を目の当たりにしたり、力のある人が対処して解決したりする様を、見ていた故だろうとも思う。でも、もう一つには、恐らくマインド人間であるために、知人たちのような、自らが触媒になるという状況が出来にくいのだろうと思われる。実際に、(私見だけれど)情緒的な人、感情エネルギー、アストラル体のパワーが強い人が、触媒であったり魔術師になりやすい。

日頃から、三次元に居てさえ理性が効き過ぎて不便を生じているような人間の場合、目に見えない世界に触れるにあたって、その理性は更に強く作動する訳で・・ 「ヒーラーをしているような人は、念が強いから(人に念を送らないよう)注意しよう」とはよく言うけれど、自分自身を検証してみると、幾ら頑張っても(笑)、理性という調整機が常に作動している故に、「念」など可愛いものだと思う。そう、子供のころから人の感情エネルギーが凄く怖くて、怒っている人を見れば涙が出てくるし、怒るという行為の意味がよく分からなかったくらいだった。


・・・話をまとめると、
四次元的エネルギーと繋がってしまう人。どうしてだろう??と、そのメカニズムをずっと考えて来た。最近分かったのは、今生にせよ過去生にせよ、身におぼえのない古いものにせよ、「憎しみ」のエネルギーをまだ持っている人が、単に繋がるだけではなく、その触媒となってしまうのだということ。今まで、仏教信仰を始めた20歳前後からの10年と、ヒーラーになってからの10年弱、「念の強いタイプの人が、傷を消化していないとそうなる」と、思って来た。でも、それでは何か不完全だ。何だろうかと思索するうち、「憎しみ」だと感じた。


傷、ならば誰にでもある。今世のみならず、数えきれない過去生から、宇宙時代まで遡れば、傷を負っていない魂なんて居ないだろう。けれど、そこに恐らく過去の積み重ねもあるだろうし(感情の浄化、昇華)、今生でのマナス(心識=マインドと感性が合わさったもの)の有り様や表現方法において、感情体のパワーが強い形を取っている場合、新旧の「憎しみ」エネルギーが動力源となって、四次元の分離のエナジーや、破壊的な力と繋がってしまう。傷、という静寂なものではなく、憎しみという動的な感情エネルギー故に、そうなってしまうのだろう。

アストラルフォースが強い人=感情のエネルギーが強い人 は、ちょっと注意してみましょう。想い(念)で現実を動かすよりも、直感的なものを受信し必要な事を行動に移して、物事を叶えていったほうが、後々のカルマを作らないだろうし、自分もスッキリと達成感を得られ、一歩一歩成長していけるはず。それから「憎しみ」のような強い感情エネルギーの残留を自分の中に感じたら、まずはそこをお掃除していくことから始めましょう。自己表現としてのメタフィジカルを始める前に。

そして、自分自身が直接「そうである」ことは無いながらも、そういう人々の姿をたくさん見るということに、「内にあるものは外にも」・・・・つまり自分の内側に何があるのか。過去生の自分の姿?人類への奉仕のテーマ?・・それを今日もまた思索する私であった。。。。

4ヶ月越しの記事、これにて!

Love and Grace,