2014年11月15日土曜日

独りで生きなさい



日頃、耳から「声」という形でチャネリングをする訳ではない私。どちらかというと自動書記系であるし、高い周波の宇宙的なサウンドやエレメンツの流れのようなものを「聞く」ことはあるけれど、音というよりは言葉そのものやヴィジョンでメッセージを受け取ることの方がずっと多い。「声」を聞く体験というのはそれ故に、稀な体験と言える。

そんな中で、忘れられない出来事。2009年の春頃だった。
当時、三輪山(奈良県桜井市)を望むサロンで、来客のない昼下がりに、カーテン越しの柔らかな日光を受けて輝く石たちのキラめき、美しい光の反射を眺めてひとり、まったりと過ごしていた時。
何となく記憶があるのは、サナトクマラとヴィーナスクマラのサンクチュアリである神殿クリスタルを配置した丸テーブルの側に立っている時に、上空から・・柔らかな風のような気配を感じた。女神のような精妙で優しく、麗しい微風のエナジー粒子が、流れ込んできた。・・「声」とともに。

得も言われぬ優しさのヴァイブレーションで典雅に響く、美しい声だった。
(だんだんクレシェンドするように・・)

「独り。」
「あなたはずっと独り。」
「独りで生きなさい。」



「・・・・・・・??!!」


けれど恐らく他の女性が言われるよりも、驚かないような自分らしい「威令」だと思って、苦笑するような気分だった。独特のリフレインが何とも印象的で、説得力もあった。。。当時Yjudia と名乗っていた私の6次元オーヴァーソウルの声だと思っている。人間としての学びうんぬんも少しはあるけれど、オーヴァーソウルが自身の都合(?)で、スピリットやソウルを飛び越して産み落としたような特種な魂が自分の一部を占めていることは、幾度かの交感や体験を通じて分かっては居たけれど・・ダイレクトな「神託」をいただくレアな機会がなぜ必要だったのかと、時折思い出しては、不思議に思っていた。



さて。

その日から5年半以上が過ぎて。

あれからも、あれ以前も、結婚していた3年間を抜かせば基本的にずっと「独りで生きる」ことをしていたと思う。何をもって「独りで生きている」と言えるかというと、自分の現実を自分ひとりで決定づけている状態といったらいいかな。共有する誰かと相談し妥協し折り合う点を見つけながら、愛し憎み合い、もめたり仲直りを繰り返しながら、ひとつの現実を二人の手で支えるということをしない状態。ワンマン状態と言えば分かりやすいかな。

娘とのパートナーシップが築かれてくるこの数年、彼女の成長ゆえに助けられてそれが出来て来ていることは確かだし、それなりの心の努力や、互いに支え合い信じ合うための意識の切り替えのようなポイントは何度かあった。母子ふたりの家庭に関すれば「独り」ではなく、娘というパートナーが居る。

けれど、シングルマザー、個人事業主、と・・・ 「独りで決めて独りで責任をとる」状況に在る。これをやっていると、ヒーラーという職種のメタフィジカルな思考回路やライフスタイルや波動環境へのこだわりも相まって、オーヴァーソウルが美しい声で呟いた以外の状況には、なりようがないとも言える。

メタフィジカルで仕事をし、プロとしてはお客様にその方面でのアドバイスをする立ち場である。人は何であるか、何故に生きるのか、魂とは、人との縁や因果応報とは・・・そんなことを日々、当たり前のように搭載して生きているし、見えない世界=真実の世界の代弁者であるという役割は、やはりこのジャンルで仕事をする者には当然あるだろう。

ヒーラーになる前は19才から29才まで、コアな仏教徒だったので、ニューエイジ思想と殆ど変わらない宇宙観やカルマ感、死生感は、そこでも自分の一部だった。・・ただ、仏教から学んだというより、最初から私はその世界観を持っていた。少女の頃から。。気づいた時には、それが自分の一部であって、逆に言えば自分の中にあるその感覚を説明してくれるものを求め、仏教思想や、ニューエイジに辿り着いていた。ゆえにもう長いこと、三次元の社会制度よりも既に自分の中では「自然な摂理」として日々、関わっている感じだ。

この自然な摂理はとても優しく、叡智に満ちていて。そのうちにあらゆるしがらみが、幻想であるという見晴らしのよいお花畑のような素敵な場所へと、自分を誘ってくれる。すべてがワンネスという有機的なシステムとして繋がり合って、人はそこからやって来てそこへ帰る。ひとつであることを知らないから、皆、自分が独りであるように感じる。そして独りではない三次元の現実を構築するのが良識であると、人を求めて生きる。

けれども、最初から人は独りではない。

では、オーヴァーソウルは何を言いたかったのか。

パラドックスの先に見えてくる、生命の卵。

「多くの人と生きなさい。すべての人を愛しなさい。
三次元の回路に埋もれず、宇宙の愛のままでありなさい。」


先日、ある行動を取ろうとしたら、涙が止まらなくなり・・・
しばらくアクションのための手が動かなかった。
それはきっと、私の人間の部分。人としてのパーソナリティがそれを悲しんでいたからだ。

それでも、クラウンチャクラとハートは自信満々で。平然と穏やかに、背中を押していた。
これまでの人生でもずっと、人間の要素をいつも、魂の自分が飛び越えていく。
人間の私が泣いていても。穏やかに軽快に。時は進んでいく。

その逆であることは苦しい。痛く、心地悪い。魂が三次元世界でミラクルを生み出そうとする時、邪魔をするカルマの力や通りすがりのベクトルに負けてしまうと、魂の声は薄れていって、輪の中に・・集合意識場に引き戻される。その境遇に心地よさを感じる人も居ることでしょう。基本的には皆、まずはそこから生き始めるのだから。

「独りで生きる」ために
物理的に他者を閉め出す必要はない。心の・・境地の問題。どんな生き方をしていても。

自分という周波数を保っていなさい。
出来れば私から離れずに、融合しなさい。
密度をあげて、いずれは必ず回帰しなさい。必要なものを携えて。

6次元のオーヴァーソウルは、きっと。そう言いたいのだろうと、5年半を過ぎた今は、思っている。


セイキムレイキの、初セミナーを控えて。
All Love と、モナドとの融合を刺激されて、キリスト意識を試されているような最近。

セミナーを受ける前には相当な事前準備、テーマの浮上があり学びがあって、セミナー後もかなりの統合期間を要した(つい最近まで)けれど・・・・・ セミナーを受ける立場と、する側のシフトはやはり大きいよう。空が白くなる日は、人間要素が淡くなり空に吸い込まれそうなことが多い。延髄と脳の真ん中を拓かれているよう。

ALL LOVE

しばらくはこの学びが続きそうだ。

「独りで生きる」ことは、全てを愛し全てを生きること。

オーヴァーソウルを地で生き、モナドの卵を孵すこと。

味わっていこう。

Love and Grace,

Arganza Yokohama
http://www.earthkeeper.jp/arganza/