この秋に迎えたトパーズファミリー。思い切った石との出会いは、やはり大きなエネルギーシフトを齎します。明日、新ワークをリリース予定なのもこのファミリーが来たことで開いた事だったし、今月初めの江ノ島、ショップの5年越しのトップ画像の変更、そして3日前に無事に終えたセイキムレイキのセミナーも・・これらファミリーの存在感あればこそでした。
その流れの中で、画像を用意してタイトルを決めてから、もう一月近く。こちらのブログはそうなりがちなのだけど。今は今の自分の自由な筆で、書いてみようと思います。年末のご挨拶も兼ねて。。
関連記事(メインブログ:世界樹の木影で『陰陽を越えて、すべてなるものへ』)
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陰陽の法則は、宇宙の普遍法則ではなく、ソーラーシステムや宇宙の層が変われば、自然界の元素ももちろんのこと、エネルギーの仕組みも変わるのだろうと、前にも書いた記憶がある。水といっても(科学的な意味ではなくエネルギー的な意味において)、地球の水と金星の水では違う。。遠い宇宙へ行けば尚更のこと。
カレッジのための学びで、自然界の四元素は「宇宙の生命の木に最初に現れる四つの封印である」という記述に出会いましたし、さらに四元素の元になっているというインド哲学のトリグナ、三つの「物質自然」のサットヴァ、ラジャス、タマス、これらも「この世界」を束縛しているものであるというような表現を見かけて、「そうだよなあ」と思う最近。
つまり、宇宙のどこへ行っても同じ自然法則、更には物質と非物質をとりまく状況や仕組みはみんな違う。私たちからすればただ光がある、みたいな世界もあれば、音だけが静かに鳴っているというような世界もあることと思う。
そして私たちの地球の歴史。いろいろ・・一般で言われる短い歴史ではなく、メタフィジでいう本当の歴史。数百万年規模の・・・その間だって、地球をとりまく自然および人間、高次、地中、天空のありようは色々だった。そして私たちに関係するのは、今とこれから、何が必要かということ。
与謝野晶子のいうように日本の主祭神が女神アマテラスだからという訳ではなく(アマテラスのオリジンは男性神。ただ伊勢にあるエネルギー、本当の国土の母神は白山姫と思う)・・・これからの時代の女性たちがどうあるべきかということを考えていくと、今、男性社会、左脳的物質主義社会が崩壊する段階で、女性的な時代への移行が既に始まっている。そこで生きる私たち、女性たちは、受動的であってはいけない。でもまだ、DNAや家庭から影響を受けた受動のエネルギーが染み付いている人も多いと思う。
月は太陽を受けて光っている。地球への影響は大きい。でも、地球の周りを回っている。太陽は恒星であり、自らが燃えることで周囲にあるソーラーシステムの惑星およびその周囲を巡る衛星たちを動かし、生かしている。
先に何かがあり、そこへの反応として生きている時間。そこにあるものを観察して、評論したり何かの具材にしたりする(・・ことを女性は好みがちだけれど/笑)。直ぐ側にある手が届くものに囲まれて、遠くにある世界を忘れて過ごす・・地球の大きさ、世界に住む人々のこと、地球の先にある本当の広がりの存在を、頭や心に通すことのないまま、受動的に生きる。テレビやメディアに囲まれ、「見ていること」に慣れてしまって過ごす。女性に限らず、歯車の中に在る男性たちも然り。
分離意識、そこから生まれる競争、支配と利己・・・男性性の側面のネガティブな力が、主に地球の最近の歴史を回して来た。そんな中でも根強く芽生え花を咲かせてきた芸術文化は、女性的なエネルギーと言える。肉体の性別のことではなく、エネルギーや、脳の機能のこと。
だいぶ余談な気がするけれど、これを書いていて思い出したことをひとつ。
何年も前にテレビで、瀬戸内寂聴さんと、ほかお二人の文化人の女性(どなたか忘れてしまった)が「源氏物語」について対談をしていて。源氏に出てくる女人たちを様々に評論しているのだけど、その中で、「朝顔の斉院」のことを寂聴さんが「ほんっとにつまらない女よね」と酷評されていたのがとても印象的で・・
朝顔の斉院、朝顔の君とはどういう人かというと、源氏とは確かいとこで、少し年上。初恋の人とも言える幼なじみだけれど、再三の源氏の求婚を最後まで退けつづけている。ウイキペディアを覗いたら、こんな風だった。
源氏が若い頃から熱をあげていた女君の一人で、高貴の出自のため正妻候補に幾度か名前が挙がり、正妻格の紫の上の立場を脅かした。姫君自身も源氏に好意を寄せているが、源氏の恋愛遍歴と彼と付き合った女君たちの顛末を知るにつけ妻になろうとまでは思わず、源氏の求愛を拒み続けてプラトニックな関係を保ち、折に触れて便りを交わす風流な友情に終始した。朱雀帝時代から斎院を長く続けたため婚期を逃し、そのまま独身を貫き通して出家、物語の表舞台から消える。
これを、羨ましいとは決して思わないけれど(私は明石上が好き)、「つまらない女」とも思わず、むしろ賢い女性だと思っている。生まれも宮家で、長年、斎院として神の社で巫女として仕えている生活をしていて、心の清さ、気高さがあったのだろうし。当時、源氏もよくやっているように、女性の意志にかかわらず男性がエイっとモノにしてしまうことも多かった中で、毅然として距離を起き続けた彼女の態度こそ、「能動的」であり、自らの意志を通した、その時代では珍しい女性の姿ではないかと思う。
そんな「つまらなさ」ならば、あっぱれだと。。思う。寧ろ幼いうちに源氏に引き取られ源氏のいいなりにしか生きられなかった紫上のほうが、余程、お気の毒。ほとんどの女性が出家していく源氏物語を書いていた紫式部は、紫上を育てた先に最愛の妻にする源氏のあれこれを描きながら、きっと本当は、朝顔のような女性を「カッコイイ」と思っていたのではないかしら。余談でしたが、女性性を考えるのに、源氏物語もよい具材になる。本当に色んなタイプの女性が登場する。源氏は「影」でしかなく、当時の制度や風習の中で憂いを抱えて迷いながら生きている影。それにきっと作者は源氏を自分の分身のように思っていたのではないかな。自分の中の男性性、ツインソウルのような気分で書いていたに違いない。
なので、数年前に製作された源氏映画で、実は紫式部がボスである藤原道長の愛人で、道長への恨み節で源氏を描いたという設定は、本当に・・本当に・・違うと思う。あの物語にはもっと能動のエネルギーを感じるし、紫式部の男女を越えた人間愛のようなものも感じる。男気がないと、あんなものは頭の中で展開できないし、アウトプットするパワーにも繋がらない。恨みから、真の芸術、真の価値あるものは生まれない。・・・と、熱く語ってしまった。
男性性が持っている支配・征服への欲求から、女性は受動的であるほうが良いという概念が固定されてきたと思う。対等なバランスで男女が在るという想定をすれば、必要な女性性のあり方はまったく違ってくる。まず、ありき。男性と同じように、まず、在る。同じように考え、行動する。足りないものを補い合う。そのために必要なパーソナリティとなれば、もう個々の相性、愛情、価値観や性質に拠るということになる。そうなっていくと、あれ?男性らしさ、女性らしさ、の概念も見失ってしまうし、最後には人間愛、人類愛となる。
そこに行き着くと、じゃあ今のような結婚制度は必要なのか、分からなくなる。そうして話は、多くの人々の理解の域を超える層へと発展してしまう。そもそも、結びつくとはどういうことか、と。なぜそれが必要なのか、と。究極的なことを言えば、エネルギーだから必要なのだと思う。
自然界の四元素でさえ、この世界を特徴づけ、人間を物理自然に「縛り付ける」封印としての法則なのだから、ましてや、男女の社会的なあり方となれば、もうほんの表層、その短い時代に生まれて続いているに過ぎない概念、思い込みとも言える。そんな呪縛にまだ、囚われている人が多い。そして日本は第二チャクラ的な男女バランスは割ととれているのかもしれないけれど(男性が女性的)、精神の面でのバランスはかなり世界でも遅れている。その原因はと考えると、恐らく第三チャクラ的に、女性の自立感が弱いのだと思う。
だから、日本の女性にこそ必要なメッセージ。「女性は太陽だ」
第三チャクラ、太陽神経叢を鍛えて、自分という軸を常に持っていないと、まず男性ありき、そこに合わせる・・というと聞こえはいいけれど、自分で選択し責任を引き受けるという大人としての自己の擁立から逃げていることになるだけ。「社会」もある意味「男性」だ。対社会でも・・そこにあるものを受容して、合わせていくことが美徳だとは、この先の時代は思わずに行きたい。
そうかと言って、男性の真似をしてはいけない。偏らずに、新しい時代を拓く為に右脳的感性が主導権をとる賢い女性性の創造的パワー、産み出す力、育む力、調和する精神を、まだ社会の呪縛ゆえにその先が見えにくくなっている男性たちに、「教えてあげる」ことが出来るような、心の強さを持つ。そして、説得力を付加するには、それなりの中味を造らなくては、男性たちには聞いてもらえない。女性の弱みは感情的であること。アストラル体をメンタル体が凌ぎうまく統御し、サットヴァが主導するラジャス・タマスの程よいバランスを造っていこう。。
太陽を第三チャクラに。
揺るぎない自分をつくろう。内なる恐れや、どこからともなくやってくる分離エナジーに負けずに。
創造しよう。創造は、太陽の力。どこの宇宙の層へ言っても、源である太陽は育む力=母。
男性も女性も、自分らしく在ればそれでいい。ツインバランス。
自分を制限するものを一つ一つリセットし、「ただ在る」ことで産み出される自分という力、そんな力が重ね合わされる他者との対等なバランス感覚と共同創造を、楽しんで行ければいい。
Love and Gratitude,
元旦のご挨拶、新ワークの紹介をメインブログにて予定しています(遅れたらスミマセン、、)
http://sekaijunokokagede.cocolog-nifty.com/blog/
能動的に自分らしく輝ける、太陽のような2015年を!
関連記事(メインブログ:世界樹の木影で『陰陽を越えて、すべてなるものへ』)
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陰陽の法則は、宇宙の普遍法則ではなく、ソーラーシステムや宇宙の層が変われば、自然界の元素ももちろんのこと、エネルギーの仕組みも変わるのだろうと、前にも書いた記憶がある。水といっても(科学的な意味ではなくエネルギー的な意味において)、地球の水と金星の水では違う。。遠い宇宙へ行けば尚更のこと。
カレッジのための学びで、自然界の四元素は「宇宙の生命の木に最初に現れる四つの封印である」という記述に出会いましたし、さらに四元素の元になっているというインド哲学のトリグナ、三つの「物質自然」のサットヴァ、ラジャス、タマス、これらも「この世界」を束縛しているものであるというような表現を見かけて、「そうだよなあ」と思う最近。
つまり、宇宙のどこへ行っても同じ自然法則、更には物質と非物質をとりまく状況や仕組みはみんな違う。私たちからすればただ光がある、みたいな世界もあれば、音だけが静かに鳴っているというような世界もあることと思う。
そして私たちの地球の歴史。いろいろ・・一般で言われる短い歴史ではなく、メタフィジでいう本当の歴史。数百万年規模の・・・その間だって、地球をとりまく自然および人間、高次、地中、天空のありようは色々だった。そして私たちに関係するのは、今とこれから、何が必要かということ。
与謝野晶子のいうように日本の主祭神が女神アマテラスだからという訳ではなく(アマテラスのオリジンは男性神。ただ伊勢にあるエネルギー、本当の国土の母神は白山姫と思う)・・・これからの時代の女性たちがどうあるべきかということを考えていくと、今、男性社会、左脳的物質主義社会が崩壊する段階で、女性的な時代への移行が既に始まっている。そこで生きる私たち、女性たちは、受動的であってはいけない。でもまだ、DNAや家庭から影響を受けた受動のエネルギーが染み付いている人も多いと思う。
月は太陽を受けて光っている。地球への影響は大きい。でも、地球の周りを回っている。太陽は恒星であり、自らが燃えることで周囲にあるソーラーシステムの惑星およびその周囲を巡る衛星たちを動かし、生かしている。
先に何かがあり、そこへの反応として生きている時間。そこにあるものを観察して、評論したり何かの具材にしたりする(・・ことを女性は好みがちだけれど/笑)。直ぐ側にある手が届くものに囲まれて、遠くにある世界を忘れて過ごす・・地球の大きさ、世界に住む人々のこと、地球の先にある本当の広がりの存在を、頭や心に通すことのないまま、受動的に生きる。テレビやメディアに囲まれ、「見ていること」に慣れてしまって過ごす。女性に限らず、歯車の中に在る男性たちも然り。
分離意識、そこから生まれる競争、支配と利己・・・男性性の側面のネガティブな力が、主に地球の最近の歴史を回して来た。そんな中でも根強く芽生え花を咲かせてきた芸術文化は、女性的なエネルギーと言える。肉体の性別のことではなく、エネルギーや、脳の機能のこと。
だいぶ余談な気がするけれど、これを書いていて思い出したことをひとつ。
何年も前にテレビで、瀬戸内寂聴さんと、ほかお二人の文化人の女性(どなたか忘れてしまった)が「源氏物語」について対談をしていて。源氏に出てくる女人たちを様々に評論しているのだけど、その中で、「朝顔の斉院」のことを寂聴さんが「ほんっとにつまらない女よね」と酷評されていたのがとても印象的で・・
朝顔の斉院、朝顔の君とはどういう人かというと、源氏とは確かいとこで、少し年上。初恋の人とも言える幼なじみだけれど、再三の源氏の求婚を最後まで退けつづけている。ウイキペディアを覗いたら、こんな風だった。
源氏が若い頃から熱をあげていた女君の一人で、高貴の出自のため正妻候補に幾度か名前が挙がり、正妻格の紫の上の立場を脅かした。姫君自身も源氏に好意を寄せているが、源氏の恋愛遍歴と彼と付き合った女君たちの顛末を知るにつけ妻になろうとまでは思わず、源氏の求愛を拒み続けてプラトニックな関係を保ち、折に触れて便りを交わす風流な友情に終始した。朱雀帝時代から斎院を長く続けたため婚期を逃し、そのまま独身を貫き通して出家、物語の表舞台から消える。
これを、羨ましいとは決して思わないけれど(私は明石上が好き)、「つまらない女」とも思わず、むしろ賢い女性だと思っている。生まれも宮家で、長年、斎院として神の社で巫女として仕えている生活をしていて、心の清さ、気高さがあったのだろうし。当時、源氏もよくやっているように、女性の意志にかかわらず男性がエイっとモノにしてしまうことも多かった中で、毅然として距離を起き続けた彼女の態度こそ、「能動的」であり、自らの意志を通した、その時代では珍しい女性の姿ではないかと思う。
そんな「つまらなさ」ならば、あっぱれだと。。思う。寧ろ幼いうちに源氏に引き取られ源氏のいいなりにしか生きられなかった紫上のほうが、余程、お気の毒。ほとんどの女性が出家していく源氏物語を書いていた紫式部は、紫上を育てた先に最愛の妻にする源氏のあれこれを描きながら、きっと本当は、朝顔のような女性を「カッコイイ」と思っていたのではないかしら。余談でしたが、女性性を考えるのに、源氏物語もよい具材になる。本当に色んなタイプの女性が登場する。源氏は「影」でしかなく、当時の制度や風習の中で憂いを抱えて迷いながら生きている影。それにきっと作者は源氏を自分の分身のように思っていたのではないかな。自分の中の男性性、ツインソウルのような気分で書いていたに違いない。
なので、数年前に製作された源氏映画で、実は紫式部がボスである藤原道長の愛人で、道長への恨み節で源氏を描いたという設定は、本当に・・本当に・・違うと思う。あの物語にはもっと能動のエネルギーを感じるし、紫式部の男女を越えた人間愛のようなものも感じる。男気がないと、あんなものは頭の中で展開できないし、アウトプットするパワーにも繋がらない。恨みから、真の芸術、真の価値あるものは生まれない。・・・と、熱く語ってしまった。
男性性が持っている支配・征服への欲求から、女性は受動的であるほうが良いという概念が固定されてきたと思う。対等なバランスで男女が在るという想定をすれば、必要な女性性のあり方はまったく違ってくる。まず、ありき。男性と同じように、まず、在る。同じように考え、行動する。足りないものを補い合う。そのために必要なパーソナリティとなれば、もう個々の相性、愛情、価値観や性質に拠るということになる。そうなっていくと、あれ?男性らしさ、女性らしさ、の概念も見失ってしまうし、最後には人間愛、人類愛となる。
そこに行き着くと、じゃあ今のような結婚制度は必要なのか、分からなくなる。そうして話は、多くの人々の理解の域を超える層へと発展してしまう。そもそも、結びつくとはどういうことか、と。なぜそれが必要なのか、と。究極的なことを言えば、エネルギーだから必要なのだと思う。
自然界の四元素でさえ、この世界を特徴づけ、人間を物理自然に「縛り付ける」封印としての法則なのだから、ましてや、男女の社会的なあり方となれば、もうほんの表層、その短い時代に生まれて続いているに過ぎない概念、思い込みとも言える。そんな呪縛にまだ、囚われている人が多い。そして日本は第二チャクラ的な男女バランスは割ととれているのかもしれないけれど(男性が女性的)、精神の面でのバランスはかなり世界でも遅れている。その原因はと考えると、恐らく第三チャクラ的に、女性の自立感が弱いのだと思う。
だから、日本の女性にこそ必要なメッセージ。「女性は太陽だ」
第三チャクラ、太陽神経叢を鍛えて、自分という軸を常に持っていないと、まず男性ありき、そこに合わせる・・というと聞こえはいいけれど、自分で選択し責任を引き受けるという大人としての自己の擁立から逃げていることになるだけ。「社会」もある意味「男性」だ。対社会でも・・そこにあるものを受容して、合わせていくことが美徳だとは、この先の時代は思わずに行きたい。
そうかと言って、男性の真似をしてはいけない。偏らずに、新しい時代を拓く為に右脳的感性が主導権をとる賢い女性性の創造的パワー、産み出す力、育む力、調和する精神を、まだ社会の呪縛ゆえにその先が見えにくくなっている男性たちに、「教えてあげる」ことが出来るような、心の強さを持つ。そして、説得力を付加するには、それなりの中味を造らなくては、男性たちには聞いてもらえない。女性の弱みは感情的であること。アストラル体をメンタル体が凌ぎうまく統御し、サットヴァが主導するラジャス・タマスの程よいバランスを造っていこう。。
太陽を第三チャクラに。
揺るぎない自分をつくろう。内なる恐れや、どこからともなくやってくる分離エナジーに負けずに。
創造しよう。創造は、太陽の力。どこの宇宙の層へ言っても、源である太陽は育む力=母。
男性も女性も、自分らしく在ればそれでいい。ツインバランス。
自分を制限するものを一つ一つリセットし、「ただ在る」ことで産み出される自分という力、そんな力が重ね合わされる他者との対等なバランス感覚と共同創造を、楽しんで行ければいい。
Love and Gratitude,
元旦のご挨拶、新ワークの紹介をメインブログにて予定しています(遅れたらスミマセン、、)
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能動的に自分らしく輝ける、太陽のような2015年を!