2015年3月30日月曜日

男性性は「設定」次第?

レザー製品というものは、私の中では「社会で生きる自分」つまり「男性性」要素の象徴のようなもの。若い頃も好きでした(独身貴族時代/笑)が、その後、好き好んで「苦学生」に逆戻りし、そこから一児の母へ、主婦へ、貧しいシングルマザーへ・・・と移り変わっていくなかで、本革製品からはやはり遠ざかっていた時期がありました。

大げさに聞こえるかもしれませんが、でも今思えば生活はまったく違い、姉が買ってはいらなくなったそれもお値打ちな(シ●ム●とか)服などが宅急便で届き、有り難く着ていたような時代もありました。若い頃に買い溜めたブランド服やCDや、売れそうなものはすべて、貧しかった新婚時代に売ってしまったので。赤ん坊だった娘の児童手当(今でいうこども手当)と、シングルマザーが頂ける扶養手当くらいしか(月5万円以下かな)収入が無い中で、2000円のアイテムをネットで買うにも罪悪感に苛まれ諦めたり、500円の本を書店で買えずにトボトボと帰ったり。そんな時代もありました。

保育園に入るという時に、今の仕事を何とか間に合わせて開業。とにかく必死でしたネ、そうでもなかったら、トボトボ生活をもう少し長くやってしまったかもしれません。両親の家に同居でしたから、出来なくもなかったので。2004年に開業し、最初は破れかぶれでしたが、3〜4年経った頃でしょうか、シングルマザー用の児童扶養手当の所得制限を越え、頂けない(ほど稼いでいる)という認定を。。(笑・たいして稼いでなくても、少しでも安定するとダメなんです、日本の制度は)いただき。それから、お陰さまで基本的にはずっと、右肩上がりというのでしょうか。後退することもなく、少しずつですが自転車操業の車輪も、大きくなっています。開業5年目くらいから、有り難いことに消費税を払わなくてはならないラインも越えさせて頂きました(笑)。

もちろん家族の協力により支えられていましたが、資金があったわけでもなく、その点では援助が(親から)あった訳でもなく、ネットショップもノウハウがあったわけでもなく。ヒーリングもヒーラーとして開業してから尊敬する先生のところへ2年弱通い、多くを学ばせて頂きましたが、それ以外は基本的にはひたすら独学。瞑想やセルフヒーリングの日々を繰り返し・・(習いに行く心と時間とお金の余裕が最初のころは無かったのですから)ひた走ったなあという。

少し落ちついて来たころに、大阪まで、あるお勉強に通っていたことがありました。そこで起きたある出来事から、ひどく落ち込んで・・それが(ある意味その怒りが)不足していた火のエレメンツを私の太陽神経叢の中で燃やすことになり。帰宅する途中に寄った百貨店で、久しぶりに革の、それもごっつい質感のバッグと、今でも愛用している革の手袋を買いました。何となくその時も自覚として、それが自分なりの「私はグラウンディングしっかりしている。こう見えても社会性もあるれっきとした働き手だ」という、象徴としてレザーを持ちたいという気持ちに、衝動的に向かったのだろうと思います。

実は、まだそんな苦労時代に入る前の、二十代で、自分のことだけ考えて親元で暮らして安定した仕事をしていた、ほんの3年くらいの短い『独身貴族』時代には・・・ロックな姉さんだったので、職場はちょっとゴシックな黒系のベルベットとか薔薇もようの(コンセプトは「貴族」/笑)ロングスカートやワンピースを着て、靴はなるべくごっつい革。そして24才でロンドンに行ったときには、ほんとにロックバンドのメンバーが着ているようなロングの革コートを買って歓んでいました。(もちろんそれは、新婚時代に売りに出しましたが)

本来は革好きなのです。(動物愛護の観点から、レザーを考えると申訳ないのですが・・)

2008年だったでしょうか、大阪からの帰りの失意の中で久しぶりに買い求めた革製品で、昔の自分の何かが再び目覚めました。それ以外でも、なるべく良いもので自分の周りをしつらえると運気が変るのは確かなので、少しずつ、ゆとりが出るたびに少しずつ、着るものや持つものを変えていきました。確か、奈良のサロンを出したのはそのころ、2008年の冬だったかと思います。

たくさんの石たち、そしてサロンを出したことで家具を買いそろえるべく、アンティークにも興味を持ちました。今の横浜のサロンや自宅にある家具は、殆どその頃に凄い勢いで買いそろえたもので(笑)、当時は両親と同居だったので生活費が今とは比べ物になりませんでしたが、結局、今思えば今にも通じているような必要なアイテムや石たちを、確保していた時期だったのでしょう。なのでゆとりが無い、自転車感覚は今と同じでした。それでも、この仕事をしてきて、見えないものから見える世界や空間が、石たちとともに出来ていくことの歓びに、高揚していた幸せな時期でした。

本当に皆さんに言いたいのは、お金や豊かさというものは、ただ恐れを捨てて自分を信じて宇宙を信じていくことで、必要なものは用意される、ということ。カレッジやサロンで話していても、やはり(当然ですが)皆さんお金に対する(失うことや不足する事態になることへの)恐れを抱えています。何か特別なセイフティネットが私にあった訳でもない。ただバカみたいに信じ続けて走り続けました。それだけ・・そして今は、豊かさの法則の量子的な意味とコツを、掴むことが出来たと思っています。恐れて慎重になったり、心配した分だけ、お金は遠ざかって行きます。それを忘れないで。

2010年の3月、今もサロンの顔になっているロシレム神殿がご縁あって来てくれたことで、なぜか、横浜へ出張しようと思い立ちました。その時に、新幹線に乗ることもホテルに泊まることも久しぶりだったので、更に一段階、着るものから持ち歩くものをより良いものへと。色々と調べて買い集めました。その中で、文房具とかサイフとか靴とか、男性性を象徴するようなものを良質のものにすると、社会性や経済的な運を呼び寄せることが出来ると改めて感じて、実行しました。

もともと自然派も好きだったので、リネンや布製品にも拘りはじめ、久しぶりに泊まる、それもセッションでお客さんに来て貰うことからグレードの良いホテルだったので、そこを歩いていて恥ずかしくないようにキャリーケースや、自分にとってはとても贅沢なお値段の革のバッグを新調し、いざ、出張へ。それを2度、行なったときに・・・今の、娘の学校にご縁が出来、2人で横浜へ「親子留学」のための引っ越し。最初の横浜出張から、半年も経っていませんでした。

奈良でかかっていた生活費の、2倍、やがて3倍へと、出費がふくれあがっていく中で、何とか必死で稼働して、それでも「心配すること」は決してせず、常にお金に関してはポジティブであろうとしてきました。自分が動けば、働けば、必ず必要なものは揃う。ただそう信じて。そして宇宙は、高次の自分は、本当にそのように機能しました。横浜でも1年半で引っ越しをし、サロンを自宅から外へ。憧れていて「まさか」と思うような青葉台の徒歩圏内で、サロンを見つけて。自宅も見つけて。犬たちを迎え、一人、二人、そして三人目をこの春に迎え。娘の学費も年々上がっていますが、何とかなる。常に何とかなっている。それは、「何とかなる」と自分で信じているから。

娘は「ママがこうしたいね、と言い出すことは、必ずかなっていく」とよく言います。なので、最近わたしが「こうしたいね、無理だよね」と呟くことがあると、娘のほうがそれが実現すると確信しているような所がある。その意味では、良い「背中具合」を、母としてまた父として、娘に見せてこれたと自負はあります。

そしてこんなことを通じて、三次元の物質社会を、楽しんでいるのかもしれません、私は。やってみたかったんでしょうね、スピリット。(笑)

とはいえ、「物理世界ゲーム」はもう卒業宣言をし、最近では優雅にゆるりと楽しむコツも掴んで来ました。開業を考えているヒーラーさんの卵さんたちがたくさんいらっしゃいますが、扱う領域は三次元を越えた高次エネルギーだし、その宇宙の法則に沿って仕事をしていくはずなのに、なぜか頭の中では三次元のお金に関する不安を抱えているという不思議な状態に、皆さんが陥っています。気づいた人から、そこを変えて行けると良いですね。サロンは、自分を信じてガイドたちを信じていられれば、うまく回っていきますよ。そういう世界です。そしてそこには「責任」がいちばん試されます。自己波動責任ですね。。自分が放ったものを、結果として受け取る。それさえ分かって、それを受けとめる気概さえあれば、大丈夫です。(そしてちゃんと受けとめて下さい)

さてさて、
話が逸れてしまいましたが、少し前の読書会やカレッジで、女性性と男性性について話していたとき。自分の女性性をうまく輝かせていくには、自分の中の男性性を機能させ、その活動力によって女性性のあるがままのパワーや存在感、愛などを「運営」していく必要があるでしょうね・・と語っていました。振り返ると、ずっと変らない自分が少女として、女性として、母親として、まっすぐ変遷していく中で、ではそれと社会性をどう絡めていくかとなると、そこには自分の男性的要素が、そのときどきであり方を変えて、外への、社会への、家族も含めた自分以外の人々への、アウトプットや表明に、なっていたと思います。

そんな会話をしていたすぐ後に、サロンで「ガイアコネクションwithヴァイアマス」のセッションをさせて頂いたある日。ガイアは、ただ在る。女性性は宇宙において、最初に生まれて、生み出し育む力として、ずっとそのまま、「在る」ことをする。ただ「在って」、産んで、育んで、見つめていく。そこに、男性性の宇宙の壮大な意識ヴァイアマスが、地球を運営するために、大いなる意図のもとで、「婿入り」する。宇宙における、惑星の「聖なる結婚」(ヒエロスガモス)。

「男性性は、ある意味で純粋、ピュアで、無垢で、設定自体でいかようにもなる。破壊的な時代を創りたかったら、ヴァイアマスの設定をそうする。分離の時代、調和の時代、女性的なヴァイアマス、男性的なヴァイアマスの設定により、ガイアとのバランスに様々なヴァリエーションがその時々で生まれ、結果として、ガイアの帯びるものが変る。それが地表世界や文明に影響を与える」という情報がやってきた。。。

そして、
「これからの新しい文明期を人類が迎えていくために、ゆえにヴァイアマスの設定、プログラムに働きかけ、変えていく必要がある。それを行なう役目がある」と、その方へのリーディング。

もちろんお一人で、ということは無いのでしょうけれども、そういうグループの方々がいらっしゃるということでしょう。

「一体どうやって、ヴァイアマスのような大きなものの設定を変えるなんてことが出来るのだろうか」と私もう〜んと考えていると、お客様ご自身がその方法に気づかれました。なるほど!

そんなこともあり、ヒトのレベルでも男性は、女性よりもピュアだったりします。クセがあり、アストラルな影響が強い為に自我を変えにくいのは、男性よりも女性だし、恐らくどんな時代でも、あまり変らないのが女性ではないかな。対して男性の変遷が、この文明期の歴史の変遷だと言えるくらいに、男性というものはそのときどきで自身のスタンスやあり方を変えていくのではないか。ヒトレベルに照らしても、なるほど納得でした。

ということは、逆説的に。。。
母なる地球、母なる宇宙、産んで育むものとして、慈愛をそそぐものとしてずっと変らないという核を生命原理として持っている女性たち。そこにかぶさる、前時代のもはや不要なスタイルのインプットとしての男性性を、新たな時代の設定=女性性に寄り添い調和の時代をもたらし、キープする という設定に、変えていけば良いのです。

そしてそれは、単に生命形態としての「男性女性」の話ではなく、女性たちも、自分の中の男性性の設定を、変えていかなくてはいけません。どんな風に?

恐れや分離が、人類をコントロールしてきたこの1万年ちょっとの「設定」から自由にならなくてはいけません。それは本当に「設定」に過ぎないと、まずは知らなくてはいけません。

そして、恐れや分離にもとずいた、心配で先回りするような男性性の使い方を止め、自分の中の女性性を輝かせる、それを持ち上げて活躍させるような形での、男性性を自分の中で育てて認めていく。自分自身の中に、調和の時代の設定を作り上げていく。そうすれば、女性的な表現としての「地球に優しい、人に優しい」貴方のお仕事や人生は、ごく自然に現実に顕現し、うまく流れていきます。

もちろん男性にも、同じ事をお伝えしたいです。

自分の中の「男性性」設定、見直して修正してみませんか?

そして大きなお仕事に意識が向く方は、地球の奥深くで結ばれているガイアとその夫であるヴァイアマスの、プログラミングが変っていくことを意図しましょう。アクエリアス時代に向けて。

いつもと違ってなぜか「ですます」調で書いてしまいました。

Love and Grace,

Amari
Arganza: http://www.earthkeeper.jp/arganza/
世界樹 books:http://www.lumiereblanche.net/works/index.html