2015年6月27日土曜日

江ノ島/女酋=日巫女たちを表舞台へ。

20150624eno03_2

===============
 前記事からのつづきです
===============

因縁めいた?江ノ島とのおつきあいの始まりは、遡ること18年前の、24歳。私がわりと元気だったのは、19歳から23歳ころがピークで、人付き合いやアウトプットに楽しさを見いだし、国内外の旅行や、音楽を作ってみたり、ライブに観劇、歴女としての学びや、仏教修行、小説の執筆や趣味の写真などなど。外の世界の中で自分を動かしているのが好きだった時代。・・・それを、終らせるキッカケになったのが、24歳の春の、江ノ島ひとり旅でした。

これといって何も無いのに、重たくてつらくて仕方なかった不思議な旅。江ノ島へ行ってから、新潟へ帰るまでの記憶が、翌朝起きた時には無くなっていて。写真はカメラの不具合なのか、たくさん撮ったはずなのに、一枚も写っていなかった。何故、行こうと思ったのかも分からないナゾの一人旅。そしてこれをキッカケに、気分的な低迷が始まる。ウツな時代、何か負の影を乗っけたまま生きているような時代は、このあと5年つづく。。ゆえに江ノ島は、「負のスイッチ」として、トラウマのようになり。

新潟、東京、千葉(新婚時代)、離婚後の新潟、奈良、を経て・・・(ウツから生還してシングルマザーのヒーラーとなっていた自分が)・・・横浜へ移り今のサロンを開いて、ようやく必要性を感じ、アースワークとして、トラウマである江ノ島へ出向いたのが、2013年10月。
こちらの記事:「天地創造の光/江ノ島レコンデイ」
http://sekaijunokokagede.cocolog-nifty.com/blog/2013/10/day-5478.html

以降、昨年は二度、行きました。

9月と12月。これらは今思えばまさに、闇と光でした。9月にはオーヴァーソウルレベルの数百、もしかすると数千というユニットの魂に響くこととなった、闇にまつわるワーク。正確にいえば、闇に堕ちた側のグループと、自分のオーヴァーソウルの光(もとは一つだった)の集合体を、再び融合へ導くような形になりました。もちろんそんなことはその時は分からず、ただ直感に従うばかりでしたが、結果的に。

この時のことを「江ノ島・裏ワーク」と呼んでいますが、ちょうど昨日の二期卒業式の記事の中で書いていた、二期の人々が興味津々で聞いてくれた話というのは、この時のこと。行った直後に二期の顔合わせ会があったので、以前から「古代の奥扉」以来、アースワークでコラボしていたAさんが二期生にいらっしゃったので、その報告をと2人で立ち話していたら、視線を感じ・・皆が聞いてくれていたという流れでした(笑)。

さて、19から(29歳まで)仏教徒だったのでスピリチュアル女子ではありつつも、まだメタフィジストでもなく、何も分かっていない時代に、何気なく行こうと思った一人旅からウツになるくらいですし、他の人々も同じく、江ノ島に自身の負の記憶が関係しているようだという話は少なくない。それでいて今は弁財天という女神の聖地になっている。龍も絡んでいる。その不思議さは誰もが思うところで、昨今は江ノ島でワークするヒーラーさんがたもとても多いですし、メタフィジ女子は多く足を運んでいるはず。

一方で、前記事に書きましたが宇宙時代からの、エネルギーの秘密、歴史時代の土地としてのカルマはたくさん隠れていると思われる。。。「それぞれが、それぞれとして、気になったら出向いて個人的にワークしていたらいいんじゃない?」呑気な私はそんな構えでこれまで来ました。

ここまで前置きにして・・
昨日のカレッジ木曜クラス。
生徒さんのうちお一人、Y さんは、昨日の午前中に私がupしていたブログを読んで下さったのか、「江ノ島に行かれたんですね?」と訊いてこられて。「うん、、、」と軽く江ノ島の話題を話していたのですが、そういえば彼女も「自分の周りで最近、やたらと江ノ島に行く人が多くて」と話してくれていた少し前、ご自身も行かれたようでした。

ここまで、相変わらず「何となく」の構えの私。
でもそういえば昨日はちょっと頭の回りが悪いというか、エネルギーに包まれてボウっとしているような感じはありました。今思えばですが。

その後、ロフトに上がってのワークタイム。
呼吸法から、チャクラに色を入れていくというワークをしていた時、私の対角線で座っていたYさんのお腹、ちょうど第二チャクラのワーク中に、もわもわっと何か出て来たと感じました。ただ、こういう事はそんなに珍しくないので、「あ、いらないものが出て来たのかな」と流していると、その、くすんだオレンジ〜ちょっとグレーがかったピンクみたいな色をしたエーテル物質が、だんだん膨らむように感じました。

まるで、アラジンの魔法のランプ・・えっと「ジーニー」でしたか、あれのように、Yさんのお腹から出てきたモヤモヤっとしたそのくすんだ色のエネルギーが、人間より大きいくらいのサイズに広がったのが見えて、思わず目を開けてしまう。インナーヴィジョンで見えたものを冷静に整理すると、これは「よくあること」というより、何か特記事項かしら・・・と、考えて。ちょうどワークの切れ目でもあったので、一旦止めて皆さんに声を掛けました。

今、アリスベイリーの読書会で読んでいる著書の中にも出て来ていましたが、「直観」といって、シンボライズされているものや、この地上に顕現している自然界の色々などから、それが霊的に、宇宙的に何を意味しているか、宇宙的本質や意義とは何かを読みとる力=直感力、これが、ヒーリングをしていると常々、使っているツールというか、センサーになります。私はこの時に見えたものの、ヴィジュアル的な特徴や、質感や、色やシンボル的意味から、次のように整理しました。

女性性に関するもの。古いエネルギー。
女性性の、先達、先祖、などの「女性的権威」を思わせるもの。例えば祖母など。
実在しない動物のように見えたので、異形というか、もしかすると龍など宇宙系の生命に関する。
心地よいもの、美しいものとして在る訳ではなく「変わり果てた」ような感じから堕ちたモノ。

など・・それが、彼女の第二チャクラにあって、とても長い間とどまっていて、現世では気力や体力や行動力など、第二チャクラ的要素を「削ぐ」「抑圧する」形で作用していた。

「・・・(何だとはハッキリ言えないけど)そういった不要なものが抜けていったようですよ」とお話をしていました。

この時もまだ、「何となく」・・・これで終るのだと普通に構えて、次の続きのワークに入った所、大きなスクリーンで額の前から空間に、とある映像が映し出されてびっくりしました。

まさに江ノ島の岩屋のような洞窟から、波打ち際がわりと近くにあるような場所で、3人の女性が木の板の上に載せられ、縄でくくられています。青、紫、ピンクのようなそれぞれ違う色の装束を着ているのが印象的でした。

「あれれ、何か(映像が)来た〜。続きがあるのか。」と思ってみていると、前日の電車の中と同じく自分が悲しくなるあの感覚が再び来ました。。「ただごとでは無いかも。。何か大事なものが見えている?」という気がすると同時に、腕にババっと鳥肌が。

見えているヴィジョンの中では、ひとり男性の役人のような人が見えていました。弥生人のような装束をしていて。その男性が、板にくくった女性を一人ずつ、板ごと引きずっていき、岩場から海に落としてしまいました。次々と・・・

(また鳥肌)(そして涙)

ああ、今見ているのは、Yさんの過去生なんだろう。それが異形の変わり果てた生命体のような、でも辛うじて女性性を帯びていることが分かるようなエーテル生命と化して、その時なくなった女性の記憶、感情エネルギーが、転生を越えても彼女の第二チャクラに隠れ続けていた。

(さらに涙)その間もずっと、カレッジのワークの誘導は続けていました。

ヤマトタケル伝承というのは、栗本慎一郎さんいわく(『シリウスの都・飛鳥』を参照下さい)ほんとうは「ヒノモト(日本と書く)」と名乗っていた東北のクニ、縄文系の人々、それとゆるやかに結んでいた渡来人(日本史的には弥生人としてまとめられていますが)の一部、ソガ系の人々(私はこれをイズモだと思っていますが)、ソガ系の息のかかった日本海側のコシの国や、太平洋側のヒタチ(鹿島が一大文化拠点)などの、いわゆる先住のゆるやかネットワーク連合国・・・・が、北九州から上がってきた新勢力に駆逐され滅ぼされていった事への、鎮魂歌であるということです。

栗本氏の説は私には、うんうん、わかるわかるという、理屈抜きで共感できるお話なのです。だからそう思っています。(自分の感覚がまずは指標ですから)

英雄であるはずが、これでもか、これでもか、と痛い目にあって、最後には白鳥になって飛んでいくヤマトタケルは、白鳥を戦士のシンボルとする、極東ロシアあたりの遊牧民出身であるという(栗本氏の見解)ソガ系の人々の、物語的なシンボリズムだとか。本来ならば敵で征服者側であるヤマト政権側の王子であるとすることで、物語が抹殺されるのを避けたのかもしれません。

似たような印象を持つのが、出雲神話のオオクニヌシ。自分では特に何もせず、いつも苛められたり陥れられたりして、女性たちに助けてもらう。イズモがイコール、ソガであるならば納得。。そう、日本の歴史は後の藤原氏の手で大幅に書き換えられていますが、その最大の犠牲者はやはりソガ一族ですし、彼らがゆるやかに結託し、互いを認め合って共存していた縄文の人々、双方が融合して生まれていた文化圏や文化そのもの、歴史そのものが、日本史のオモテからは消されてしまいました。

さて、その「ヤマトタケル伝承」の中で、一番印象的なエピソードが、オトタチバナヒメの走水あたりでの入水による犠牲。以前から何度も書いて来ましたが、私はこのストーリーは、縄文系あるいはソガ系、または両者が融合した文化圏の、部族社会の女性指導者たちが、何らかの理由で関東の海辺に集められ、犠牲になったという事実が隠れているのではないかと思います。『古代の扉」でも何度か話題に出たり、ワークを試みたことがありました。が、何かパっと進展するような流れは生まれないままでした。

1年前に走水に行った折も、走水神社のエネルギーは素晴らしかったけれど、その女性たちの負の要素については余りワークの必要性を感じることもなく。。。ただ、それより先に2012年11月に大山に行った時は、当地は山頂に男性の龍神がまつられているのですが、そのご当地の神限定かどうか分かりませんが、縄文期の女性たちで、龍神に仕えていたような巫女のような人々が、江ノ島で悲劇にあったのだろうとは、山から降りてきた時、鳥居の向こうがちょうど江ノ島が額に収まるようにそこにはまっていたのを目にした時、肌で感じました。彼女たちを慰めるような、まなざしをその鳥居をフレームのようにして、感じました。

江ノ島で巫女さん系の人々が、、どうやらひどい目にあっている。
走水付近の波打ち際に、女性がたくさん(それこそ流血含め)犠牲なったような光景が。

というのは、これまでアースワークをしてきて仲間内で見たり感じたりしてきた事ではありました。2013年の走水で、海岸線に向き合っていた時には、「オトタチバナヒメ」で表されているのは、数百、もしかするとそれ以上の女性たちが、全国から集められて何かされたのではないかという感覚は受け取っていました。タチバナというのは恐らく、聖徳太子なども絡んでいることから鳥とともに、ソガ系の表象なのだろうと思います。

縄文の部族社会は、石器時代の文化ですからおそらく母系社会。少なくとも部族をすべる長は、実際に古事記日本書紀にあるように「女酋」(じょしゅう)つまり女性の酋長。当然、信仰と一体となっていたでしょうから、巫女、シャーマンだったと思います。今こうして書いていてそういえばと思いましたが、10年以上前に書いていた『ハピの巫女姫』ですでに、征服者集団が大陸を荒らして「聖職者狩り」を行なったというのを書いていました、そういえば(笑)。そして主人公は部族社会の「酋」として追われる身になっているという所から、物語が始まります。

そうかと言って、いろんな要素をあえて繋げようとしない人なので、昨日のヴィジョンを見て涙と鳥肌が出るまで、江ノ島問題の真実については特に考えて来ませんでしたが(分かる時には自然と分かるだろうと思って)・・・・一気に頭の中で繋がってしまい、前日訪れてディーザを招き入れたゆえだと思うと、畏怖心で鳥肌が。。ワークを終えたとき、興奮を押さえ乍らもクラスのお三方にシェアをしました。


20150624eno_aji_3

走水というのはちょうど、海路の要衝だったのだと思います。日本全国から・・と言っても、いわゆるヤマト新政権側に従わない「ヒノモト=イズモ=コシ=ヒタチ」などの連合国側の、その中でも、抵抗をつづける部族の長や、当時は基本的に女性が多かった祭祀的な立ち場にある人々、つまり聖職者たち。特に多かったのは、文化拠点だったと栗本氏が言っているヒタチだったかもしれません。そのあたりから集められた女性たちは走水あたりで海に落とされたかもしれないし、江ノ島は、昨日みたヴィジョンからして、最終処刑地のような感じで、それこそ岩屋に込められて、最後まで恭順しないと海に流されたのでは。。。

千葉の沿岸部には、袖ヶ浦(そでがうら)という地名もあるように、「オトタチバナヒメの袖が流れてきた」とか、「同ヒメの櫛が流れついたから祀った」という神社があったりと、タチバナヒメ伝承はあちこちに、それも海にまつわる形であるのですが、独りの姫ではないでしょうと考えるのが、すっきりすると以前から思っていました。たくさんの「ヒメ」が流されたとすれば、あちこちに袖や櫛や、遺品などが流れ着いていることでしょう。地元の人々は丁重に祀った筈ですし、征服者側も、女神系の神社を立てて鎮魂したことでしょう。(よくある怨霊封じによる神社建立。ちなみに当時『神社』という形式はまだ無かったとは思いますが、なんらかの祭事場として)

このアジサイの写真は、奇麗だったので何気に、奥津宮の前の一画を写しました。昨日、後半のワークの瞑想で見えた「板に載せられた三人の女性」は、まさにアジサイカラーの装束を来ていました。ブルーと紫とマゼンタのような。ちょっと古代的ではないので、何か意味が込められたシンボルかしらと思っていたのですが、今日になって写真の加工をしていてピンと来ました。奥津宮はまさに、そういった犠牲になった巫女たちを祀ることから、始まった聖所という事なのでしょう。

そう、私はもともと「宗像三女神」信仰は、こういった巫女さんたちの鎮魂なのではないかと思ったりもしています。

20150624eno10_3

そして更に昨日、カレッジが終って頭を整理していたら、思い出したことがありました。

去年の9月、「裏」ワークで出向いた際に、稚児が淵の波打ち際あたりをウロウロしていると、今回「気になっていた」表側から見たらちょうど右手の沿岸部になりますが、小さな岩場のような所に姿を見せている、女性体が・・とても古そうな、その姿が白黒というか、セピアカラーのように見えるやせ細った人魚のような女性たちが、たくさん居るのが見えました。私は普段は肉眼のヴィジョナリーではないのですが(だから助かっています)、セッション中や瞑想中などエネルギーが高まった時には肉眼でも浮かび上がるものが見えることは割とあり、江ノ島に行くとどうも、インナーヴィジョンも含め比較的よく見えてしまいます。

この時に見たものは、仲間内では「太古の人魚かな」と言っていたのですが、(それもありだとは思いますが)今回を終えてみると、江ノ島から流された少なからずの縄文系女性シャーマンたちの、地縛している姿だったのだろうと思いました。

歴史探究、日本古代史探求を始めたそれこそ20年以上前からの頭の中の探求はひきつづきありつつも、アースワークに関しては、私があちこち聖地に興味を持っていたのもまた20年前のことで、今は「宇宙エネルギー層担当ですから・・・」と、上層部受け持ちを自認していたのですが、今回はまさかの歴史の1ページ、女性たちの悲劇にダイレクトに共感し、鳥肌と涙を禁じ得ないひと時でした。

「(この繋がり具合、進展具合は)目の前に当事者の方が居て、前日、江ノ島にいって来たからね。。」と昨日話していましたが、見えたビジョンの中ではY さんが当事者だったとしても、18年前の「負のスイッチ」を思うと、そして神奈川へ戻ってきて、多角的に多層的に江ノ島ワークをしてきたことを思うと、私も他人事とは言えませんネ。。。(電車で泣いていましたし/笑)

それにしても、本当に良かったなと思ったのは、
昨日、江ノ島がらみでこんな風に展開するよりも前に、「Yさんの様子が今迄と違う」「なんか軽やかで爽やかで、キラキラしているよ」「変りましたね〜〜」と、クラスメイトの方ともども、言っていた所でした。その後、こんな風に展開してみると、彼女も大きな・・重たくて悲しかった記憶とエネルギーを、解放することが出来たのかもしれません。

少し前から私に江ノ島の話題を何度かふっていた彼女は、そんな自分について
「催促していたのかもしれませんね〜」と、笑っていました。

そうなのかな? ふふふ・・・
すべて繋がっているのでしょうね。

これまでも、色々な方々が江ノ島ワークして来ただろうし、アルガンザとなんらかの魂の繋がりがある方が限定かもしれませんが、、、全国の縄文系巫女であったかもしれない人々、ソウルが、ディーザによって癒され、地縛エナジーを自らの中にリトリーバルし、江ノ島や近辺の海にまつわる悲しい記憶をもう、自分自身の中で許してあげられたらいいな。Y さんのように、キラキラして急に軽やかになったという人が、他にも居るかもしれませんネ。

20140624enoamari2

2015062418_3

わたしの20年来の「江ノ島問題」もこれで終るかしら。。
いやきっと、これからが本番というか。(笑)

昨日のカレッジを終えて、Yさんの過去生の風景を振り返っていた時、こういう女性たちが本当に居たということが実証されれば、江ノ島に慰霊碑みたいなものが立つかしら。と。。。いや、そんな物はいらない。物語を編み上げればいいのかもしれないと思いました。

そうなんです、じつは、「ハピ」や「ガイアナ」よりも先に構想していた日本古代史の700年間くらいの歴史を描いた超シリーズでまとめようという歴史ファンタジー小説。時間さえあればいつでも書けますというくらいの、情報とエネルギーは入っているつもり。

まるで人ごとのように「老後の楽しみ」とごまかしているけれど、来年あたり書こうかな。それが何よりの「慰霊碑」になるのではないか。
と思ったりもしました。

こうしてみると、「シーキャンドル」もある意味で鎮魂のキャンドルと思えてくる。

少し調べてみましたら、
縄文人の人口は、晩期に寒冷化で激減しつつも、また稲作の伝来で増加して、弥生時代には60万人居たそうです。(ナショジオ日本版より)60万人が幾つの部族あるいはクニに分かれていたのか。そこには女性シャーマン(何も女性限定ではないのですが、主に当時の聖職者は女性であったと思われるので)がどのくらい居たのか。考えると、結構な人数なのではないかしら。数百人、数千人?

それらが、「ヒメ」という名称で独りの女性として語られたりしているのかも。色々な物語のヒメ、色々な神社に祀られるヒメ。そう、ヒメという言葉はもともと「ヒルメ」から来ていて、ヒミコと言われる女王が「オオヒルメ」という別名であったことはよく知られている。男性は「ヒルコ」これが後に「ヒコ」(〜彦)になります。

「ヒ」という音のルーツは色々と考えられますが、火であり日(太陽)である他に霊(ヒ)であるというのが、一番自然かもしれません。というより、火や日が、霊(ヒ)から来ているとも考えられる。そしてこれはそのまま「宇宙エネルギーである」と、私は思っています。ですから、

「ヒミコ」「火・巫女」「日・巫女」とは・・・「宇宙エナジー(神のエネルギー)を扱う女性」たち。日本全国にはたくさんの「ヒミコ」が居たはず。そして古くからの神々から預かった聖所を守ろうと、身体を張って役目に着いていたのでしょう。。。。。

Love and Grace,
Amari