ひと息ごと、ひと足ごとに
スピリットに従うことに全力を注いでいる
ライトワーカーのみなさん
そして地上で天国を生き、その神聖さを具現することにつくしている人々
奉仕を楽しみ、熱烈な全体生と完璧性、コズミックジョークに人生をかける人々
簡単かつ優雅で至福に満ちた超高速のお楽しみ、地球のアセンションのヴィジョンを
いただきつづける人々に。(「この本を捧げます」)
(ライトボディの目覚め・前書きのdedicated 文章より)
「聖なる流れ」への祈り
アイアム、「わたし」は宇宙 自分自身を構築する
アイアム、「わたし」は宇宙
わたしからわたしを通じ、わたしへと流れて
わたしが見るものすべてを創造する
アイアム、
わたしは「すべてなるもの」の「聖なる流れ」
豊かさはわたしの動き
アイアム、「わたし」は宇宙
自分自身を再構築する
豊かさに満ちるように
(ライトボディの目覚め/ナチュラルスピリットより)
台風前の気圧もあるのでしょうが、と〜っても不思議なくらいの、高まりを感じています。それゆえの危うさという言い方も出来るし、ただ本当に上の「祈り」のような「聖なる流れ」に自分のチャンネルを合わせている人は、かなり心地よいエネルギーの高揚になっていますネ、きっと。普通にしていて気が遠くなるような、心地よい上昇感を感じます。こういう時ってきっと、意図や意識の現実化、物質化が著しいので、いつも以上に自分のチャンネルをどこに合わせるか、大事だと思います。
下手をすると、足下をすくわれるかもしれない。
上手にやりすごせば、かなり心地よく過ごせます。現実化、現象化も。
波乗りしましょう〜。色々浮上してくる空気ですが、痛みは遮血だと思って。経験は気づきへの促しだと汲み取って、チューニングをよりよい高さへ。グラウンディングはもちろんのこと、下ろす錨はより深く。確実に。落ちついて過ごしましょう。
11日レコンデイ〜昨日13日のグレースデイまで、アルガンザの瞑想3デイズは、ちょうど時勢的なことと重なったのでしょうけれども、非常にハイエナジーで、その日ごとにまた違う高まりを感じていました。今日、14日もただ事ではない空と太陽ですが、これは台風前の気圧の関係もあるのでしょうね。我が家でもこの3日は、小さいですが不思議なことが続いています。別次元と混じり合うような空気が、現象化していると言ったらいいのかな。。
去年この時期、私は確かホスティングエンジェルを終えて、不思議な現象に見舞われていた時でした。その流れもまた、仲間に誘われとある聖地に行き、その場のエネルギーにイニシエーションを受ける形になり、帰宅してから不思議な時期がたしか2週間くらい。とても密度が濃い日々でした。今年も然りですネ。皆さんも、濃縮されたような光、あるいはそれゆえの闇の浮上を体験しているかもしれません。うまいこと、統合へ持っていきましょう。
つくづく思うのは、外から何かやって来ても、自分の中で何が騒ぎ出しても、感情があたふたすることなければ平常心を保てるし、恐らくそこの壁を越えると、肉体も安定してくると思います。外側のオーラや、感覚器的な部分で何か、時期的なエナジーや地球全体の変容指数、魂から降りてくるものを感知したとしても、感情反応しなくて済むようになると本当に楽で、安定していられる。
とある瞑想家の本によると、悟りとは脳波が一定になり高い周波数をキープすることであると。意識状態が変わり、結果見えている世界や認識の方法が変わり、人間とこの現象界の自然法則から、現象化する目に見える物質的表現も変る。また、脳波が落ちつけばマインドの質も洗練されてくるでしょうし。。地上に居ながらにして、確かに禅定、ニルヴァーナ・・という事になるのでしょうネ。
歓び・・だって感情だから、「感情が無いなんて私はいや」という人も居るけれど、ジワっと魂からにじみ出るような歓びは、喜怒哀楽のアップダウンする感情反応よりも深いところに、ちゃんと鎮座していると思うのです。私はやっぱり、マインドを巻き込んで互いに不調和、分離、争いなどの非生産的な働きへと人類を引っ張っていく感情活動って、抜けていきたいと自分で思うし、それが世界が変るとういことなんじゃないかなと思っています。
最近、ヒーラー人生?を振り返り、もっとも自分が「ヒーラー向いてないな」と思う瞬間でもある、感情反応について気づいたことがあり、こういうのってマル秘にしておいたほうが良さそうでもあるけれど、でも、いっそオープンにしてしまったら、「向いてない」と痛む経験もなくなるかもしれないし、何しろ皆さんの心の解放にも役立つかもしれないと思うので、今日は書いてしまいます。
エナジーヒーラーって元々、波動に敏感な人がやっていることが多いと思うので、どなたも同じ様な事が言えるかもしれませんが、エンパス気味でもある私は、お客さんが自覚するより前に、どちらかというと潜在意識の波長を感じていることが多い。それは色の微妙なトーンのようなものだけれど。感情って、何と表現したらいいか、やっぱり水ものというか、アストラル体の中をひたひたっと液体のようにあるいはガスのように広がったり移動したりして、掴みどころがない。一方で、潜在意識は和音のようだったり、色のグラデーションのような感じがする。
更に言えば、思考は「波動」の性質が強く、電気の信号のようなイメージ。電流でピピっと。だから受信しやすい。人によるでしょうが、感情よりも掴み易いと感じます。離れていても、テレパシーのように受信する。それが、感情や潜在意識と連動している場合もあるし、人によって状況によってバラバラのこともある。「空気を読む」というのは、それらの複合的なもの、漂っているまさに気流のようなものを読むと、言いたいのでしょうネ。
普段のセッションでは、お客さんたちはコミットメントして、安くは無いお代を払って、自ら来て下さるので大概はそういうことは起きないのですが、それでもたまに、かなり通い慣れた方が大きな深いテーマが浮上して来た時などは例外で。カレッジや、参加型の何かの場合はより頻発しますが、嬉しいはずの、楽しみなはずのサロンへの足が重たくなり、出来れば行きたくない・・ような、感情反応に足を引っ張られる事が、たまに起きる。それを乗り越えて・・「来れて良かったね」というケースが殆どで、過ぎてしまえば笑い話なのですが、
困ったことに、独りの人間として私は、「来たく無かった」と言われると、或は言葉じゃなくても状況や思考波からそれを感じると、傷んでしまうんですよね。それが、「 Amari さんに会いたくなかったという意味ではない」ことはよく分かっているんだけど、何と言うか・・ハートを巡る人々の葛藤・・・の、メカニズムは良く分かっているつもりでも、サロン主として、そういう立ち場であることが切ないというか。だいぶ薄まりましたが、まだ在ります。人間ですから、たくさんの色んなエネルギーを魂レベルから肉体レベルまで持ち合わせていて、確実に解放を促せるサロンの周波数をキープできているからこそ、浮上した時に足をひっぱるエゴセルフが、「やだな」という感情反応へと糸を引くことも分かっている。私自身も個人の場で、たくさん経験してきたからわかっているはず。
言っても仕方ない、解決法のない切なさというか。自分も一緒に人間らしくもっと簡単に「好き嫌い」でそのときどき選択していけたら、という人間側の自分の呟きもあるのかもしれない。ただこういう仕事をする立ち場で、自分は絶対に宇宙のフロー、愛の根源への流れの方向性から降りてはいけないと思っている(降りる時は仕事を辞める時だと思っている)ので、プロフェッショナルとして看板を上げている者は、ひとつしかないその方向性を、ずっと見つけ続けていなくてはならないと思っていて。
気持ちよく色々な場面で感動や、笑顔を分ち合える素晴らしい仕事ですが、共有しているサロンの周波数という舞台から、お客さんがエゴセルフや、もっと深刻なシャドウセルフによる感情反応、そこに引っ張られた思考波とともにするっと降りてしまうような時、ハートのレベルで傷むことが、うっすらですが、まだちょいちょい在ります。。(笑)。。まだ、これには慣れません。たぶんずっと慣れないと思うのです。それを越えたような境地はきっと、『キリスト意識』なんだろうとも、思っています。
たまに、そういう傷みを味わわなくて良い立ち場にもうなりたいと思うことが。シングルマザーじゃなければ、ほんと辞めていたかもしれない(笑)し、何か別の理由を生み出して、途中で投げ出したかも。続けるしか無い・・どころではなく、息をつく間もなかったら、走り続けてこれたのでしょう。自営業者としての物理的な責任のみならず、エネルギーの場を保持する者としての責任。それゆえの孤独と切なさのようなものが、滲むことは今でもあります。以前よりずっと軽くはなりましたよ^^
そうかと言って、その現象を私の立ち場で深く分析することは、あえてしなかったのですが、最近なんとなくピ〜ンと繋がったのでした。書いてみるとな〜んだそんなこと当たり前、という感じかもしれませんが・・・(笑)
まず、「なんか嫌だな」と、出かけるにあたって私も思うことがあります。それは何故かと考えると、シンプルに「波動、周波数のギャップ」ゆえなんですね。私のプライベートの中では宇宙エナジーに日頃つかっているため、三次元バリバリの周波に合わせないといけない現実の用事の前にその「やだな」を感じます。カルナやセイキム、スピリットレイキなどで武装して出かけると大丈夫です(笑)
きっと、それと同じなんだろうと、思うわけです。エナジーヒーリングのサロンとして、たくさんの石たちと、宇宙エナジーとともに『聖地』あるいは『パワースポット』であることを自認して、管理人の積もりで居ますが、場所のエナジーも然り、またそこで提供するワークのエナジーも然り、私自身のエネルギー状態も・・・その周波数に対して、お客さんがギャップを感じる・・のはもちろん必然で、むしろそのギャップゆえに、来て下さっている訳ですが、
殆どのお客さんはワクワクして来て下さるのですが、それは波動のギャップを、アルガンザサロンでのひと時や、ワークによって埋める・・ご自身が上に引き上げられることへ、コミットしている時の、状態なんだと思います。事前にご自身のエナジーが低下したり、荒れてしまったり、シャドウセルフが足を引っ張ったり、波動間ギャップが大きく開いて(落ちて)しまっていて、更には「上がりたく無い」と思っているとき、かなりそのエゴの抵抗の声が強くなり、時にインナーチャイルドがだだをこねるように暴れてしまい、「いや〜」となるのだろう。。。
ギャップは当たり前。むしろだからこそサロンの「聖地」としての存在意義がある。そこに、チャンネルを合わせて光を取り入れることにコミットしていない時は、きっと、イヤイヤになるんだろうと。色々浮上して、感情的に嵐が起きたとしても、殆どの場合はそれをエゴの声として越えて変容、新たな周波数へのチューニングを望んで皆さんスケジュールしている訳なので、頑張って調整してくる。そして受けとれて、また気持ちよく帰っていかれる・・・それが普段の展開。
だからどう、何が言いたいという事ではないのだけど、このメカニズムをはっきりさせたことで、私はだいぶ癒されました(笑)。以前は「ずぶとい、良い意味でオバチャンになることで傷まないようになるだろう」と思ってみたけどそれは無理で(笑)、また、『キリスト意識』はあまりにも日常的スローガンとしてはハードルが高い(笑)。アリスベイリーとの出会いで様々なことの整合性がとれて楽になったのと同じように、このメカニズムをはっきりと意識化したことは、大きな一歩になりそう。
そんな報告。
クライアントさんの側も、「イヤイヤ〜」が出て来た時に自分のその反応を責めなくても良い、ヒント、自己受容になれば幸いです・・・が、メカニズムが分かれば、出来ればそれをなるべく自覚して自分の中で収めて、「聖地」やサロンに足を向けるのが良いかもしれません(笑/お願いしているのか?)。無理矢理連れていかれるのがイヤ、というシャドウセルフの声があったとしても、スピリットと、潜在意識と、貴方自身の三位一体で、独りの人間として決めた事をやり抜くために。
「もう「止める」な」という歌詞が、少し前に紹介したももクロちゃんの『DNAラブソディ』にあるのですが、地球を巡る高次は今、本当にそれがいいたいようです。ある意味、つきつけられているような感じです。ライトワーカーたち、本当にやれるのか、やるのか・・・と。14万4000人の魂たちは、少なくとも、取りこぼし無く目覚め、自分で決めてコミットした筈のエネルギーを、今の地球というプロジェクトに注ぐことに、本気で向かっていく時なのでしょう。
台風に気を付けて過ごしましょう。
そしてメタフィジ筋で、このちょっと地球的に厳しい季節を乗り切りましょう。
Love and Grace,
Amari