2015年7月25日土曜日

高次(光)とは取引できない


自滅の木
その枝にあるのは、空虚感、疎外感、無関心、人間関係のいざこざ、etc.
その根にあるのは、恐れ、不安、怒り、嫉妬、不信、敵意、罪悪感、自己憐憫

自己認識の木
その枝にあるのは、生きがい、健康、喜び、やる気、満足、寛容さ、実行力、創造力
その根にあるのは、慈愛、友愛、ゆるし、愛、感謝、親切、温かさ、信頼

     
     by The Book of Peace / Mother Teresa




thanks to: 清水紀子(訳)/メトロポリタン出版

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「もう少し状況がこうなったら、〜できるんだけど」
「周りがもっとこうなってくれたら、〜を始めよう」
「〜が整ったら、実行するべく動き出します」

人はとかくそう思いがちですが、状況が変わるのをただ待っていて、それが自分が動き出さない理由だと思い込んでいたら、いつまで経っても何も変化はおきない。適当な時期やタイミング、時流や各人の運気のようなものは確かにある。けれど、外側で何かが変わるまで、自分から準備することをせずに居たら、いつまでもずっと、今ある世界と仲良し。

時期を、タイミングを見る・・・のであれば、
その間、せっせと準備をする。自分磨き、環境や、人間関係。知性や体力、生活力、責任感、大人としての自立。すべて、創造のために必要な要素。活力を養うために、食や日々の生活を見直す必要があるかもしれないし、知性が足りないと思えば磨くのは今の時代は簡単。

住環境の持っている波動が、自分が他者と会った時に醸し出す空気感となる。
本に囲まれている人は知的な感じがするし、花や動植物を愛でている人は優しい印象を与える。

日々、環境や自分を磨いていくことは出来る。
読書をすれば、自分が深まるし、落ちついた空気が生まれる。
ネット検索ばかりでは、周波数の高い知性は身に付かない。

もし・・・

『恐れ、不安、怒り、嫉妬、不信、敵意、罪悪感、自己憐憫』

が自分の中にあるのなら、それを解放していくことに意識を向けよう。
そのためのツール、メソッドを習い、習ったら毎日実践。

自分が放っているものを、宇宙は還す。
創造、顕現のトリニティ。
そこに計算の狂いはなく、現実・外見(容姿の形態の善し悪しではなく)・日々の心や身体に、数字が現れる。そこから自分を知り、見つめていくことを厭わず。変えていくことを恐れず。

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高次(光の側)とは、取引、駆け引きは出来ない。
あるものを鏡で還すだけ。

もし、取引や駆け引きが、成り立ったかのように現実が自分の思うように動いたなら、その「高次」は光ではない可能性が高い。「高次」は、地球の三次元よりも高い次元というだけで、それがイコール「光」とは限らない。あなたの中に住むエンティティや、浮かばれないご先祖からの負の「三位一体」もあり得る。あなた自身の「ハイヤーセルフ」=高次の自己も同じくで、必ずしも善だけではない、カルマをもった揺れ動く存在であることも考えられる。

創造は、自分の心がスタートを切る。
他者や、状況が整うのを待つのではなく。
取引、駆け引き、待機は無意味であり、かえってカルマを産む。負のスパイラルの始まり。

マザーの言う「自己認識の木」がすべてを物語る。
創造は、まさにそんな根っこから始まり、そんな枝として具現化する。

見てみれば分かる。
自分に何が足りていないかを。何を足せば、自分が幸せになれるか。

高次(光)はすべてを見透かす正確で狂いのないコンピューターシステム。
根っこと、枝と・・・心と頭の中にある、「取引/駆け引き・感」をたまに見直してみよう。
幸せを実感でき、感謝とともに生きられるように。

「あなたはあるがままで」
「もう修行は必要ない」
「あなたはそのままで完璧」

・・・という言葉が、スピリチュアル界に満ちていることこそ、光に向かわせないためのトラップです。あるがまま、そのまま、それも自由意志だから良いでしょう。ただ自分が幸せであれば。。。皆、苦しいからスピリチュアルを求める。ならば、「そのままで」良い訳では無い。変化を起こさなくちゃ。そのためには、自分から動きだし、自分で気づき、自分で責任を持ち、収穫する。

「自己認識の木」





Love and Grace,