2015年9月13日日曜日

鏡開き・岩戸開き -- 地震で割れたもの、2つ。



12日早朝の、東京震源の地震。ここ、サロンと自宅のある横浜市青葉区は確か震度4でした。サロンには昨日は行けなかったので、今日13日、カレッジ日曜クラスのために出向いて・・

殆どあまり、心配していなかったのですが・・

そういえば、とても揺れる物件なんですよね。前も震度3でも「震度5か!」というくらいに揺れて棚から石たちが落ちたことが何度かあった・・けれど呑気なので平常心で向かうと。

一階の石たちも幾らか、乱れていました。棚の上で端に寄っていたり、大きめの石は、器を満たしたサザレがこぼれていて傾いていたり、中には床に落ちているものも。う~ん、なかなかだわ、と思い乍らロフトへの梯子を昇ると、なんとなんと、高いところに置いてあったイタリア、シチリア島の美しいサルファー結晶原石が落下して粉々に砕けていました。

この仕事と立ち場が長くなるほどに、石たちの意志というか、宇宙のフローに委ねる気持ちがサロン運営に浸透していて、あまりそこにエゴセルフの感情が動かないというか、あるがままの流れを受け入れる度合いが年々、強くなっていることもあり(もちろん昔はそればかりではなく、もう少し物質としての石たちへの愛着があったのですが...)。この、粉々になって散乱しているサルファーを見ても、「んまあ!」と驚いたり、「きゃあ~高額の石が!」と思うこともなく(笑)。

ちょうど、なるほど~と思うようなことが、同じ今朝に起きていたので、高次の私自身のセルフや、石や、サロンの世界が伝えようとしていること、アースワーク的流れからも、とても納得する気持ちが、瞬時にして湧いて来ました。この状況が意味するところを、よく理解出来たのです。

全体像は、メインの「木影」ブログにこれkら書くだろう最後の記事の中で垣間見えてくるか、または私の一人よがりなワールドとして伝わってしまうかもしれませんが・・・でも少なくとも、この

「シチリアのサルファーが割れる」
という現象に、ピンと来る仲間は何人か居ます。

これと、今朝、このサルファーで繋がる仲間の一人とやりとりしていた事と合わせて、更に見えてきたことは・・・

「創世記」的なアースワーク、つまり2013年秋に始まったアルガンザのアースワークの波が、「そろそろ終わりかな」と書いたりしている私自身の呟き、感覚が、「本当にそうなんだ」という答えが、次々と来ている感じです。このサルファーも然りでした。

「それでよろしい。。」のサインであると、感じました。

ああ、本当に終るんだなあ。と。

破片たちを集めてお皿に入れたら、どこからともなく合流した?白い羽毛。まだダウンの季節じゃないし(笑)、一階ならばセッション用の羽毛フトンがあるけれど、それがロフトに居ることすら不思議だし・・物理的な由来はどうであれ、この場に不意に姿を見せる純白の羽毛にもまた、サインを感じ取った私です。

それにしても、くだけてもなお、サルファーの破片たちの輝きの美しいこと!

そして、割れたものがもうひとつ。




ディスプレイに置いてある、古道具屋さん由来の「窓」。バシンと床に倒れたようで、ガラスが割れて散らばっていました。(これはガラスをすべて取り除いた後に写した写真)

日曜クラスが終ったあと、片付け作業をしていたのですが、いつも何か自宅でも割れるたびに感じるのは、「悪いことではない」という感覚。まさに鏡開きのよう。「割れる」「割る」という表現をさけるべく「開く」という言葉を使う日本の古い習慣のようですが、平安時代の宴の席で陶器の杯を投げ割るという習慣もあるというし、私の本能的に、「割れる」というのは寧ろ、新たな始まりを予感させ、めでたいこと。

増して、サロンの右奥の角あたりというと、アースワーク系の祭壇脇で、「沈んだ次元存在」つまり春あたりに話題に昇っていた聖書に出てくる堕天使たちの関連した石を、それらの癒しを行なうリラの母性エナジーの象徴である母なるストーンたちと「めあわせ」て、配置しているエリアでした。その「沈んだ」存在たちの象徴ストーンは、先日から書いているサロンの配置換えの流れで既に撤去してあり・・・

9日から、大規模なアースワークの「まとめ」のような動きが別次元の有り様と連動して垣間見える形で動き、10日、11日とつづき。パーソナルなことも、オフィシャルな(アルガンザのアースワークネットワークに関係する)ことも、過去生パラレル、多次元に響きながら区切りと統合の潮流が来ていたところだったので、12日早朝の地震にも「ふうむ。なるほど。」という感覚を得たのでした。

そして明けて13日、カレッジのために何気なく訪れたサロンにて。これらが「割れていた」=「開いていた」ことにもまた、「ふうむ。なるほど。」と感じました。とても分かり易い、高次からの「答え」がやって来たのでした。

鏡開きは、岩戸開き。あらたな光の始まり。

昨日、12日は面白いことに、とある場所で、「アマテラスの岩戸開き」の絵を見た直後に、巨大な「ホルスの目」を見るという体験もしていました(笑)そして今日もまた、日曜クラスでふたたび、ホルスの目と出逢いました^^ 

折しも、「貴方に目をお返しします」と言われた(先日からこのブログでも書いている)エピソードの意味を、思索していたところでした。でもきっとそれは、ここ数日の動きの中で、流れの中で、既に答えを貰っていることのようでもあります。その全体像はもうすこし、時間をかけて綴ったほうが良い気がする。




そんなフローの最中で、中級課題の発表、三期生のみなさんありがとうございました!

「ちょっぴり理系」・・をコンセプトにした今期の中級課題。皆さんの知性と頑張りは、本当に感動的でした。清々しさに、心洗われる思いです。CD も頑張って製作して、良かった。。。

松果体と脳下垂体、量子物理学とヒーリング、アーススターチャクラの課題、オーラチャクラと生活環境。

皆さんそれぞれ、本当に素晴らしい視点観点、考察力、私のほうが本当に勉強になりました!

ありがとうございます。
アドバンスも頑張っていきましょう。


割れれば、次が生まれる。
開けば、光が生まれる。


光は 生まれ直すたびに 強くなり 透明度を増し 創造の力を増していく。

Love and Grace,

Amari

2015年9月10日木曜日

『創世記』エピローグとして。




生まれて間もない人類=ホルス が 母イシスの首をはねた=天の血筋に背いた時

  イシス=シリウスの存在たち、人類の産みの親である母系のヒューマノイドたちは

  人類に失望し、またホルスの父系ヒューマノイドのDNA の影響による
  予測できなかったその堕落を収束させるべく

  父系DNA を封印し、無効にしようと試みた

  が、さらにそれも事態を複雑にし、失敗に終る。

  その歪みを狙って 別のヒューマノイド種族が自分たちのDNA を吹き込む
  また、未来の人類に通じる人々もまた、事態の改善を試みた

  ホルスが暴走するよりは・・と、母系種族の「神々」は、
  恐れを人類に植え付けコントロールしようとする宇宙存在たちの試みを静観した。
  人類の暴走・・・未知の事態であるために「神々」は危惧していたのだ。

  結果として、母である神を裏切り 父である神を失った人類は
  どこからともなく照射される「恐れ」というコントロールの支配下で数千年を
  生きることになる。

  かすかな愛の響きを、その胸で感じながら。

  哀しみや 嘆きに 守られながら。


  ホルスの攻撃はイシスの左首、左肩に傷を残した

  母なる遺伝子への 侵害と攻撃の証

  オリオン=オシリスと 光の統合を計ったイシスたちは
  プロジェクトの危機の中で 永遠の傷を負った

  ホルス=人類 の時代が始まり 神々は息をひそめる

  父と母の愛と叡智を継承しながら

  人々は「恐れ」の中に生きる

  眠ったように 争いながら。 わずかに 喜びながら。


イシスにより生み出されたホルスは 母を傷つけた

  シリウスの試みと染色体により生み出された人類は 自ら軌道を外れた

  見かねた宇宙の視点は、テクノロジーにより、短い生涯を生きる新たな人類の
  転生システムを考案した。その経由点は、アルクトゥルス。

  (『首をはねられたイシスに、トートが代わりに牛の首を置いた』とはそのこと)

  見守る愛は、ハトホル。=金星の先達文明。



分断され、イシスの手で復活されたのちに冥界に堕ちたオシリス(オリオン)は
  息子ホルス、つまり人類の中で自らのDNA が光を見た時に、真に復活する

  それが光と闇の融合

  人類はもはや そのような 宇宙存在にとっても稀に見る 偶然と必然の奇跡の
  可能性をもった受け皿となった。

  ホルス、エルフ、ケンタウロス、ニンフ、その他数知れずの試みの中で

  地球物質界でプロジェクトとして淘汰されず続いているのは

  人類のみである。

  END



  

2015年8月30日日曜日

終っていくこと、続いていくこと、再会するもの。



昨日、29日はお客様がいらっしゃる1時間以上前にサロン入り。自宅からこのようなカゴと、引き出しを、大きなカバンに入れて(何とか入った!)バスに乗り、運んでいました。引き出しはだいぶ前に古道具屋さんで買った、アンティークという程ではないけど日本の古いものをフレンシチックにお店の方がアレンジしたもので、奈良のサロンに置いていたのを、最近は自宅用になっていて。

それが、なぜって。。
ただいま、サロンはちょこっとした改装中です。リニューアル!と言いたい所だけど、いらっしゃっている方はご存知の通り、なにしろスペースに限りがある。だから、「大々的な」とは言えないまでも、出来る範囲で、変化を感じられるようにしたいと思っています。

前記事からの流れとしては・・
こちらのダイヤリーの20日の記事のあと、メインブログに25日に書いていますので、宜しければそれもお読みください。その後・・26日のこと。夕方、家の用事の帰りにフラっとサロンに寄りました。植木の水やりや、ちょこっとしたワークでもしようかなと思って。すると・・・

サロンに入った瞬間の空気は、とても良かった。
「あれ?私、昨日とか、自宅から遠隔で何か(サロンに向けて)やっていたっけ?」と思うくらい、精妙でハイエナジーになっていて。軽く驚くくらいの変化でした。

すると・・・数秒後、
「ああ、ダメだ!」と、急に怒濤のように、サロンにある石たちや見えない情報、大きく育った植物たちなどから飛び交って交錯する電波が、急に不快に感じられて、これまで、今のサロンを2012年1月に移してから初めて、その混乱振りを正面から受けとめて自分も混乱したというか、何とかしなくちゃと思い立ちました。

実は・・ディーザのヨリシロ、マザースカルが来てからでしょうか、少し情報過多、エネルギー過多な感じはしていました。とはいえ、以後も大きな石が増えたり、自宅から更に本を運び込んだり、繋がるエネルギー源が増え、コネクションが増えて、この夏はとくに8月に入ってからの私自身のシステムの変遷、新たな回線が増えたことによるシフト、ヴァージョンアップはかなり進みました。極めつけが恐らく、20日と22日のセイキムセミナーだったのでしょう。

メインブログの記事で書いていたように、今回のセイキムはイレギュラーで急に決めて設定していましたが、それにより、昨年12月のセイキム初セミナー前日にあった「イシス瞑想会」で開いたもの-- まあ、これをミッションとか任務とか言ってもいいのかもしれません -- が、無事に終わったようだと、知らされた様でした。それゆえなのでしょう、「目をお返しします」と言われたあとの、エネルギーの日々の流入が凄くて、これは、イシスと呼んでいるエネルギーですネ。。

その前に繋がってワーク化した、ハトホルとは違い、またディーザも時折、更新されるようで今年に入ってからヴァージョンアップの波がもう何度か来ていますが、それとも違い。。。ヴァイブレーションの強い独特の波長は、何だろうかと記憶を辿っていくと、去年の12/23、チャージされて、そのまま、初セイキムを乗り切った時に起きていた、「イシス降臨」状態の、まさにそれであると気づきました。今回は、セイキムセミナー中は、どちらかというとむしろハトホルでした。が、「目をお返しします」と言われ、ミッションが終了した所で以来ずっと、続いている流入は、イシスのエナジー。この先どう落ちつくのかな。。

イシスのギンギン状態が始まったのが、26日の夜でしたが、先だってその日の夕方にサロンに行った日、感じたのが上記の通りの変化でした。部屋はなにか凄~くハイエナジーになっている。でもそれによって、石たちや植物たち、他の宇宙エナジーが交錯して落ちつかず、混線状態。これは何とかしなくちゃ。。。と。

そして、始まりました。リニューアル大作戦。(笑)

27日(木)と、29日(土)に時間を取れたのですが、続いて今日の作業で下の階はだいぶ、落ちついたところです。エネルギーも整理されたよう。石たち、エヴァちゃん(エヴァーフレッシュの巨木)もお手入れし、落ちつきました。今回じつは、「石を減らしたい」と思う珍しい現象でした。それも「1/2、いや、1/3にしたい」とさえ感じたのですが、増やすよりも、減らすのって難しい。。(途中経過として、現時点ではそんなに減らせてはいません)

心を込めて・・でも頭をカラッポにして、受信体制で手と目だけを動かして作業していると、どうすれば空間や石や植物たち、そしてここに踏み入る人々が心地よく感じるのかが、見えてくる。粒子の流れが導いてくれる。そして、目と手が勝手に動く。思惑や思考ではなく、ひたすらにエナジーの粒子、周波数、バランス、モノとモノが奏でるシンフォニーの結果生み出される共振の、心地よさ。違う時は「これは違う」と目が感じる。そして無心で手を動かしていると、出来上がっていく。。。

二階のロフト。「宇宙船」と呼び称される、下の階よりも更にハイオクターブな不思議空間・・のハズなのですが、今回、どうにもこうにも、居たたまれないような気持ちになって「減らそう」「片付けよう」と、初めて思ったのは、これまでとても大事なものとしてグリッディングしていた日本の石たちによる、アースワークの祭壇でした。何が起きているのでしょう。「卒業」「もう終わり」・・・これは、『古代の扉』以来の、日本のあれこれ、少なくとも私がそこに関わる「課題」はもう合格、そして卒業、なのでしょうか。自分でも意外な、びっくりな感覚でした。

今日、そのグリッドを片付けて来ました。
四元素の祭壇、まん中には、ディーザのマザースカル、そして、ライトワーカーのネットワークの象徴であるロシレムマザーを、三つ、どんどんどん、と並べて。元々そこにあった日本の聖地からの石たちをすべて片付けました。さらには、「創世記」シーズンに配置していた「堕ちた次元存在(アルクトゥルス由来の巨神系存在)」を象徴する石たちも、もう「終った」と空間が醸し出していたので、片付けました。

セイリオスを改編しようと試みた6月。実際にそれで動き始めた7月以降。そして8月のセイキム直前の「ハトホル」、さらにセイキム。これで本当にひとつ区切られて、6月に感じて試みたことが、全体に染み渡った。もしかすると私が意図したことが、根っこや枝葉など全体に渡り、広がって、具現化・現実化した。その結果としての、「卒業」であり「目をお返し」であり、直後からのイシスエナジーの連続した流入・・ サロンも生まれ変わる必要性、という流れなのかも。




さらに象徴的なことがひとつ。

サロンリニューアルの余波を受けて、自宅でも本棚や押し入れなどで整理をしていると、2年前にこつ然と消えたメテオライトのリングが、目の前に現れました。

これにもびっくり。
昨日の午前中の出来事でしたが、さっそくこれを指に通してサロンへいき、模様替えの続きをしていると、午後からセミナーにいらっしゃるカレッジ生の方が、「電車が止まってしまって、バスでいくので遅れます」と連絡を下さり。。拡げてしまったものを片付けるのに、ちょっと時間が足りないかなと思っていたところ、これも天の計らいかしら?と。お陰さまで、同じくなペースで淡々と作業を続けて、ちょうど終った、片付いた、という所へNさんがいらっしゃいました。

セミナーで色々とお話をしていると、
「ちょうどバスの中で、このお部屋の情報を Amari さんが整理しているという感じがしていた」とのこと。。。『ええ、していたんです、実際に!』と私(笑)。いや、Nさん凄いですねとお話していました。おまけに彼女もメテオライトリングを身に付けていました。。(笑!)

Nさんとおしゃべりする中で、私がこのところ考えている、新たなメタフィジカルの在り方、ヒーリングというジャンルの具体的なメカニズムの整理、情報を別ジャンル、とくに科学的な視点と繋げていくべしという見解、同じようなものを彼女も持っている(言ってみればカレッジ3期は、共通してそういったテーマを共有しているように勝手乍らに感じています)という部分で、お話にも熱が入りました。

別の学問や、古いけれど宇宙の真理がつまったインド哲学などと照合していくことで、フワフワしたヒーリングというジャンルを、地に近づけたい。単に地上的にすることは簡単なんです。でも、人間に近づけるために下へと引き下ろすつもりはなく、我々が宇宙のシステムの一部であるという目線、神智学と同じような目線を使って、システムをリアルなものへと翻訳し、地上で活用したい、するべし、という気持ち。

それは、アナログ地上波から、BSデジタルハイヴィジョン、くらいの違いになるはず。

以前からジワジワと感じつつあった、増え過ぎてしまったサロンの情報波。
今回は、トドメにもなったようで、どうにもこうにも堪らん・・という急激に襲われた感覚のもと、手を入れ始めました。ロフトのほうは、まだ少し時間がかかりそう。オーダーしたものもあるので、今週一杯かかるかな、早ければ土曜日、または日曜日に完成できるかも。

感覚のまま手を動かした結果、見えてきたものは何なのか。
並んだ石たちの奏でる新たなシンフォニーから、今後のアルンガンザの何が見えて来たか・・は、完成してから、書けるところは書きたいと思います。メインブログのほうかな。

プラス、石巫女クラブですが・・
今回、石の配置をして行った結果、最初は、「もう新しい体制に入るから石巫女もなくなるということかな」と頭で考えながら整理を始めましたが、出来上がっていくものを見て、「これはきっと石巫女をするための、やりやすいための配置でもあるかも」と、感じられて来ました。増やすのではなく、むしろ減らすことで、それぞれの個としての石に集中するワーク、学びが、浮かび上がってくる感覚がありました。アースワーク要素が、サロンの中で行き交わなくなるのも、意味するところが大きそう。

石や、肉体、人間の脳や科学的な視点などと、エネルギーワークをうまく繋げていきたい、というのが、今年の始めに感じていたことでしたが、ここでようやく、昨年末からのイシスプロジェクト、創世記、アトランティス~エジプトのライトワーカーたちの集合意識、直結するグループソウルのカルマ・・などが「任務完了!」となり、前に進めるのではないか。その流れの中に、石巫女もあるのであろ~ウ。と、爽やかに感じられました。

すると、クラスを移っても大丈夫、とのご連絡が一件はいりました。
どうやら、その流れかな。
少なくとも、ひとクラスは4名で成立できそう。

とてもとても、爽やかで、感謝でいっぱいの夏の終わりです。

ひとつひとつ、出来ることを、前に進めながら、踏み固めていきます。

Love and Grace,

Amari

2015年8月13日木曜日

ハトホル・ホワイトピラミッドヒーリング

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3期生のみなさん、中級修了課題がんばってください。瞑想CDはこのお休み期間中、2日ほど作業できそうな日がありますので、私も頑張ります。録音して・・その先初めてなのでまだちょっと不安はありますが、きっと大丈夫でしょう。


何の気なしに、糸魚川の碧翡翠をちょうど、並べてワークしていたのですが・・そこにも繋がりました。古代日本うんぬんは、エジプト展に出かけた翌日になぜか怒濤の情報が来ていて、創作のソースになるようだし、執筆は来年を予定していますが、ずっと続くのだろうと思います。私は生まれも育ちも新潟ですが、カレッジは一期から毎年おひとり、新潟から。3期はお二人です(。コシの国は、けっこう大事なキーなのかも。イイトヨさん、「青皇女(あおのひめみこ)」のなせる技かもしれません。


さてさて。今回セイリオスのヴァージョンアップ瞑想で、ハトホルのヒーリングを行なうことになったという流れは、前回の記事で触れていましたが、実際にインスピレーションをもとにメソッドが決まり、当日行なってみて、本当に素晴らしい・・というと明らかに自画自賛なのですが、こちらも誘導していてそのヴィジョンとエネルギーと世界に、呑み込まれながら圧倒されながら、恩恵を受けとっているような状態でした。今回はエジプト展に出かけた翌日に起きたエネルギーの流入から、セイリオスでのワーク化を促されましたが、それ以前に予告していたように、やはりハイウェアに加えたいと思います。近日、upしますのでぜひ覗いてください。


現時点で少し、シェアさせて頂きますと・・

乳海撹拌のページに詳細が載っていますが、乳海とシャンバラの白い山が聳える世界。その乳海の上に、巨大な純白のピラミッドを出現させます。その中に入り、ハトホルエナジーの到来を受けて、お腹の中に誰もが持っているカルマの歴史が刻まれたディスクへ、癒しと解放のエナジーが入っていきます。地球人類の歴史はもとより、その前文明といわれる金星でのヒューマノイド(シリウス系)の歴史、水星や、太陽の文明などを「知り尽くしている」愛の集合意識フィールドである『ハトホル』は、今回セイリオスの直前に、アルクトゥルスとも関係が深い事が分かりました。

アルクの原型ステーションによる、アストラルフィクセーションも、今回即興でワークの後半に入りました。皆さん、前回セイリオスに参加していた方も多かったのですが、「乳海のライトグリーンの光線」(こんど乳海撹拌ワークの、3本立ての2つめとしてupします『顕現のトリニティ』)で、ヴァージョンアップ、シフトアップのエネルギーが入ったことにより、現実のリバウンドというか自分の潜在意識やチャクラのアンバランスが見せてくる「心地よく無い現象」で、すこし疲れた、大変だった、というシェアを事前に頂いていたのですが、それが今回のハトホルで、癒されるという流れだったようです。本当に、いつもながらよく出来ているなあと思います。


結局は、なにか抵抗のような形で家族や周りの出来事として出てくる不快要素は、「反動」というよりも、自分自身の「変容に着いて行ききれていない」自分の一部が、自己主張をしてきているに過ぎないのですよね。だから、問題は家族や現象ではない。自分自身のどこに何があるか。そこでセルフワークをすれば、あっさりと解消されることもあるし、根深いものが隠れて抵抗しているのならば、そこに特化したワークが必要な場合もあるかもしれない。


そんなわけで、委ねの中で自然と今回のメニューとして決まった「ハトホル」は、癒しであることは間違いないけど一体何をしてくれるのか?と思っていたらば、
当日の即興の誘導の中で、私、こんなことを口にしていました。『あなたの歴史を癒します』

ディーザはいま、アースワークでとても大事なソースで、創世記で出てきたような「沈んでしまった次元存在」のような巨大な、本来人間である私たちには手に負えない様な大きな神様的な存在が堕ちてしまったものに対して・・またその沈んだ力にひっぱられて起きた歴史時代の人間たちのあれこれのまとまった事象に対して、ディーザという創造の源のエナジーで癒しが可能であることが、今年に入って教えられたことでしたが、
ハトホルは、個々の人間のカルマデータ、つまり歴史そのものを癒すようです。それは、原型ステーションに通じる部分があるからこそ、なのだということも今回分かりました。が、たとえば「ソウルインテグレーション」ならば、アルクのステーションの『再生の部屋』に皆さんを転送し、文字通りソウルシステムのインテグレーション、統合を行なう訳で「統合」が目的ですが、

ハトホルの場合は、より感情や感性や肉体、地上でのパーソナリティに根ざしたヒーリングが起きる。過去のカルマデータから今生に影響されて起きていた、最近の傷みや、今現在の感情的な傷みや、そこから来ている肉体的傷み。母性と愛の集合意識のネットワークにアクセスし、更に一段高い、ネットワークである「マイトレーヤ」にも関係しているような気が、今回していました。マイトレーヤは恐らく未来であり、ハトホルは過去なんです。過去から・・引いて現在の私たちに響いているカルマの歴史と、そこからくる傷み。

マイトレーヤはまだまだ遠く、ハトホルの一部であるというより、連結した存在感を感じるアンドロメダの愛の源という感じですが、それが直で癒してくれるという段階には、人類はまだ至っていなくて、マイトレーヤのアチューンメントもハイウェアで検討中ですが、むしろ目覚め、宇宙DNAの活性などのワークをしてくれるようです)


特に、信仰や宗教や呪術など、ライトワーカーの人々が転生のたびに関わってきたカルマ的な攻防、せめぎ合い、人類のためと言い乍らも自らが背負ってしまった「光と闇」に関わる争いによる、ダメージと傷み。それが刻まれたカルマデータを、お腹のみぞおちにアプローチし、ディスクにアクセスし、癒しを起こします。今回ほんとにビックリしましたが、自分自身が「リリスリリース」を始めるきっかけとなったものが色々と出てきた時に、浮上していたものの原型がエジプトの過去生にあることが分かりました。リリスとニンフのサージェリーのワークも、みぞおちからデーターを取り出すので、なるほど納得でした。ハートシードとも言われるこのスポットは、各人のカルマデータが内蔵されているようです。


急にヴィジョンが降りてきて採用することにした、「乳海に浮かぶ純白のピラミッド」は、本当に、荘厳さと神聖さに圧倒されるほど。ホワイトピラミッドの中で、ハトホルのヒーリングの流れで自然に、レストレーションとなった経緯は、その場での私の即興的なことでしたが、実は先だって、ハトホルもやはり、アルクトゥルスの原型アーキテクノロジーから始まっていると感じていたのです。。。牛の耳、ですからね、同女神は。

そして、今回はエジプト展に出かけたことが契機となって、エネルギーの流入もあり、示唆がたくさん降りてきて、以前からあったものと次々と繋がっていったのですが、「イシス、オシリス」神話は後々からとくにギリシャ〜ローマ人によって栄えて広まったことで力を持ったようで、二神の子供であるとされている「ホルス」さえ、独立した別系統であるという気がしてきたところです。ホルスは本来の名前が天空を意味する「ヘル」で、英語では同じ発音で地獄を意味しているのが面白いですが・・・ハトホルは、「フウトヘル」が語源で、ヘル、つまりホルス神の「住うところ」なんだそうです。

まだ何とも言い切れませんが、ナチュラルスピリットさんの「ハトホルの書」は、刊行された頃に一度だけ読んで、チャネリング本は他も殆どそうであるように、一度だけイニシエーションのように読み、以後はずっと手をつけずにいる大事な本のひとつですが、同書で言うように、金星なのでしょうね、やっぱり。ホルス神=ヘル神が、金星由来の存在であるという事かもしれません。イシスとオシリスはやっぱり、作られた存在であり、もしかすると宇宙エネルギーや、DNAの系統や、当時(アトランティス)で行なわれたDNA交配やそれを巡るプロジェクト色々の、シンボルなのではないかと、今回あらためて思いました。やはりイシスはシリウス、オシリスはオリオンでしょう。


エジプト神話は、日本神話以上に、「おばけ」だと思います。日本神話、日本古代史を「おばけだ」と、どなたか作家の方が言っていたのを思いだしたのですが・・・栄えていた期間が長い分だけ、どんどん変転し、日本神話どころではなく(日本も相当ですが)、煙に巻かれるというか、もうお手上げという感じです。アースワークや歴史探究についてよく(私が)使う表現ですが、『ミイラとりがミイラになる』・・エジプトだけにリアリティを増します。(笑)深入りしません。

文明としてより古い、メソポタミアに影響も受けていますし、途中からはグレコローマン(ギリシャとローマ)な人々に、好みに変えた形で重用され、イシスなどはその時代から大きな存在になったよう。イシスの原型を求めていると、結局、ハトホルなんですよね。重複することがたくさん。ハトホルは「ラー(太陽)の娘」とも言われていますが、実際は壮大な、太陽系のアセンドした集合エネルギーフィールドが発する、愛とヒーリングのネットワークなのだろうと、個人としてはここ数日で帰結しました。

ハイウェアでのご提供を始めます。おすすめな活用法としては、ヒーリングやとくにアクティベーションや現実創造系、大きな作用を産むようなセッションを受けた後や、個人的なエネルギーの流入で起きた「変換点」などに、肉体や周囲の現象、自身の感情的な反応としての摩擦や抵抗や傷みなどがある時のヒーリングとしておすすめします。単にヒーリングではなく、個々人のカルマデータにアクセスし、なぜその抵抗が起きているのかを踏まえた上で、その部分に癒しが入るようです。関連する最近や、少し前の出来事、などの傷みをも癒します。

ハトホルの淡紫のエネルギーには、マゼンタと言うより正確には「ブライトピンク」と言ったらいいか、凄く明るい光を含んだ濃いめのピンク、の光が混ざり切らずにゆらめいて共存しています。それが未来のヒューマノイドがいきつく、アンドロメダの源、つまりマイトレーヤではないかと思っています。そしてこの紫とピンクの光は常に、アルクトゥルスの青い気配と対になっています。高次の世界のシステムを言葉にするのは難しいですが、アルクトゥルスのすべての魂が生み出される原型ステーション、そして未来の銀河であるアンドロメダとも、常に共にある。我々のソウルの歴史をすべて知っているカルマシステムのシード、そのディスクが埋め込まれたハートシードチャクラにアクセスし、肉体とオーラ層にある関連情報を癒してくれるようです。 今日はこのくらいで。。。

Love and Grace,
Amari

2015年8月7日金曜日

エンライトメント 何度でも。


これは6日(木)の空。
先日書いた記事の期間中、普段に比べてかなりサロンデイが続いていて、お店仕事がなかなか時間がとれない中、カレッジのための瞑想CDの(まずは楽曲の)録音なども(まだ完成していませン。。)あり、その連続サロン仕事の山の終盤は、土日連続して、午前と午後のセッションないしセミナーが立て続いていたせいか、月曜日のお客様のスカイプセッションを終えたあと、しばらくぼう~っとして、サロンのエネルギーの中で7月後半を振り返ったり、石を抱えて横になったりしていました。

さすがに、フィジカルな疲れ・・(これが数年前からまったく自覚的に出てこないようになって、エネルギーワークのお陰なのですが。厳密にいうと世間一般の『疲れ』とは違うのですが)・・のようなもの、身体が重いとかどこかが痛いなどは無いのですが、「はあ~・・ちょっと空白の時間を持ちたい」という声が、自分の中から聞こえてくるかのように感じて、あえてぼ~っとしてみました。

30分くらいかな。


いつもはお客様に座って頂いている白いソファにずぶっと深く座って、サロンのまだ明るい空間を見上げていると、キラキラした白銀の粒子が流れたり、白い閃光があったり。そうだよねえ、いつも一緒に居てくれる。私独りでやっている仕事では到底ない・・7月後半はひとつの山を越えたような感じだったけれど、それによってまたブレイクスルーがあったよう。意識の層が変った気がする。そんな変化をいつも、ガイドたちが見つめてくれて、導いてくれているンだ。。うんうん。

言葉にならない所で納得すると、気づけばまたチャージされていて、お腹の奥だけが何となく疲れが取れない。ハートシードかな。(←これは後日すっかりよくなったのですがまた触れますね)

よっしゃ、の顔を自分撮りしたくなった。(笑)
そしてこのあと、目下課題となっている瞑想用CDの、私自身の声の録音。慣れない機械でやってみると、まあ何とかすこしずつ出来た・・・そうこうしているうちに、夜の9時!

エネルギーと、スケジュールのピークを抜けた後のフワフワ感も相俟って、よろよろっとしながら帰宅。翌日は、我が家では「ママday」と呼ばれている、「娘がお休みの日で私がサロン仕事のない日」(=家で事務仕事、発送や撮影などはするので決して「お休み」とは言えない)の、なんと5月の連休以来3か月振りの貴重な1日。。。。以前は「2週間に一度」と決めていたのに最近はそんな状況になっていて、娘はかなり楽しみにしていル。

「さすがのママも疲れているようだから、明日は出かけられるかどうか・・」と呟いておく。「うん、わかった」と娘。けれど、翌朝(火曜日)起きたら素晴らしい快調な目覚め~~~ あら、これなら遠い上野までも出かけられるワ。ということで、エジプト展に行った所からは、メインブログ「世界樹の木影で」で触れたところです。

そんな訳で、また新たなサイクル。を引っ張っていくための新たなエネルギーの流入。精妙でパワフル、愛のミストが密度濃く細流で流れ込むような。そこから展開した翌日の自己ヒーリングは、上述の、お腹の奥にあった普段はまったく自覚していない疲れのようなものを奥から引っぱり出して癒すような事が起きていました。水曜日の夕方、お客さんセッションの後に30分ほど横になって石を乗っけてワークでしたが、それがまた凄~ク聞いて、フィジカルは自覚が無かったのですが恐らくエネルギーの滞りを霧散してくれた感じだったし、翌日からの現象化が、7月までとはガラっと変ったようで、、びっくりする程でした。入ってくる情報も。

大事な部分はまた、メインブログやエネクリとも連動しながら整理していきます。カレッジは、日曜クラスと木曜クラスが、中級の講座を終えました。明日は最後の土曜クラス。

今日、金曜日も、「エジプト展」以来 来ているエネルギーに押されるように瞑想の時間をとりました。石たちも、何か急におしゃべりし始めたような。けれど、パタっとシーズンが変ったというよりも、山の傾斜をずっと昇り続けて来て、ピークを越えたらまだ山は続くけれど見える景色が変ったような。あくまでも続いている流れで、これまでの日々の上に重なっていくような感じ。



急に今年の後半と、来年のことまで見えて来た。。。

そう、ちょうど2年前になる2013年夏ころの、激しめの出来事の重なり合うポイントがあったのですが、お腹の奥やその周辺から出て来たのはその時のエネルギーでした。でも、癒しや解放が起きたというのとは少し違う。そして結局、エジプトの過去生にも通じていった。。。(そういう流れか、まさかの)そしてとても、楽になりました。別の世界に感じられるほどに。

別の世界なんだよ、と知らせるような情報が、たくさん流れ込んで来ました。

もう、世界は多次元の折り重なり合うフィールドであると、科学も気づき始めたら、それは人々の生きるツールとしての知恵に、変っていくのでしょう。うまく説明していけるかな。Arganza の新しいワークや講座、カレッジの今後、セイリオス、石巫女、読書会、執筆活動・・・色々な角度から試していけるかな。



Love and Grace,

Amari

2015年8月1日土曜日

空と光の向こう側


アルガンザ『石巫女クラブ』11月開講(~3月まで)

せっかくのネーミング。和のテイストにこだわり?たいと思っています。石に宿るスピリット「いしだま」と語らい、その世界と天地、人の世界をつなぐ。きっと私たちが過去生で?やっていたであろうシャーマン道を想い出しながら。。。




なかなかに濃密だった、この一週間のダイヤリーを、毎日みとれるほど美しかった夕空の写真とともに綴ろうかな。すべてサロンのあるビルの玄関テラスから。(スマホで撮影)


前記事を書いたのは23日木曜日か。。
土曜日、25日に『エネクリ』を、27日には本家ブログ『世界樹の木影で』を更新していますので、良かったら合わせてご覧ください。

これらのブログにも書いているように、目下、メンタル体の進化期なのだと自覚している日々ですが、先日書いたような哀切や虚しさへ通じる静かな悲しみみたいなものって割と自分のかなり古い時代からずっと持っているものでもあります。転生ソウルたちの記憶だと思いますが・・「普通の人」として生きたことが多分ほとんど・・きっと数えられる程しか、「無い」ようなので(笑)今生、ヒーラーをしていて、その立ち場としてのあれこれという所に、恐らくソウルたちの記憶も直結しているのかもしれない。「ハピ」「ガイアナ」などの主人公の巫女姫などもまったくそういう所を源にしているのだろうなあ。

そうそう、先日、カレッジ生でヒーラーさんをしている方のオリジナルワークをモニタリングさせていただく機会がありました。人様のセッションを受けるというのもたまには良いですよネ。そのときにリーディングして頂いた中に、とても興味深いものがありました。

過去生の私と思われる女性シャーマン、コンビを組んでいる男性シャーマンが、ともにアースワークのようなことをしている中で、男性のほうが「龍に取り込まれてしまった」・・そのまま呑み込まれたか、龍に変ってしまったようなヴィジョンだったようですが、その龍を私が岩戸のようなところへ封印したというお話でした。

その方も、男性が『龍に呑み込まれて龍に変った』というヴィジョンは「エネルギー的なことなのかも」とも仰っていましたが、何となく記憶が開くように私も、それは「逆の力に取り込まれてしまった」ということではないかなと感じ、何かとても深い所へ、響いていくような気がしました。そして文学的に頭の中で物語を巡らせてしまったのですが(笑)・・(空想におつきあい下さい)

パートナーシップで動いていた相方を、(あえて表現するならば)闇の力に囚われてしまったという理由で、自ら封印することを選択したら、それはそれは、思い残すだろうし、後悔や自責や悲壮感も残るのではないかな。ましてその相方の魂は、人の転生にその後戻っただろうけれど、まだ拾いあげなくてはならない断片のように、その場に記憶を残しているかもしれない。古代の日本かな、という感じでその場では聞いていたけれど、レムリア系のエネルギーだったし、よりエネルギーがダイナミックに実在していたような気がするので、日本は日本でもレムリア期かもしれないな。。と。きっと、自分の側のその時の記憶、とくに最近浮上していた悲壮感のようなものを、癒して頂いたように思います。A さんありがとう!

超古日本のあれこれも自分にあるのだろうし、現実でここ2週間くらいかな、行き交っていたエネルギーは、思えば7月始めの読書会での、私以外のメンバー四人で急に起きていた瞑想ワークから、一連の数珠だったのかもしれない。そんな呟きでしたが、アースワークは迫られた時には動きますが、最終的には執筆の中に(自動書記によるチャネリングで)真実を求めていこう。



26日(日)は、午前は3期生の方、午後は卒業生の方が来てくださいました。ソウルインテグレーション、レコンセクレーション。「木影」の記事にもすこし書きましたが・・生き生きとした姿に、むしろ私が元気を貰った様な感じでした。ありがとう~。


そして28日(火)、29日(水)には例の・・レコーディングinサロン。の筈でしたが、作曲をその場でしてもらう所までで時間切れ。さああ~大変。私の声をかぶせる所までいかず、CDとして完成するまでまだまだ、ハードルが幾つか。夏休みになるべく食い込まずに3期生の皆さんにお渡しできると良いのだけど~~~ 頑張ります。



私自身の7月終盤の「集大成」をひとつ。。。仏典に出てくるシャカの過去生のひとつとしてのエピソード。『捨身飼虎』(しゃしんしこ)

飢えたトラの親子のために、自分を食べなさいと身を供するお話。

そんなことは勿論、する必要ないのですが・・神智学的な視点・タマシイ論として語るならば、おそらく、愛の究極の体現であることから、神智学でいう「第四イニシエーション」(自己犠牲、キリストの十字架的なレベルの自己犠牲)により、恐らくそれで人類への転生を卒業するような秘教的イニシエーションであると言えるのかもしれません。

多分これは大げさな話ではなく、その時に発する意志と精神のエネルギー周波数を思えば、人類を卒業するための課題として、尤もだと思う。先日、あるカレッジのクラスで話題に出ていたスペインの映画「パンズラビリンス」も、そういえば、一言でいったらそうなのかもしれず。アセンションとは何かを、違う角度から考えることに通じるかもしれない。

「自己犠牲はもういりません」と、この世界ではよく耳にします。それは、シャーマンや巫女や聖職者、異端者などの転生が多いであろうライトワーカーの人たちの合い言葉のようにもなっていて、確かに、そういう過去生を現世ではもう、繰り返す必要はないから、そのような分身の自分からくる、過去の記憶を手放し、自分らしく生きながらライトワーカーをしていこうという、ポジティブなキャッチコピーなんだと思います。

私自身もそのレベルでいえば、尤もだと思うし、これまで沢山手放して解放し、更新して来たと思う。地球創世に関わるアンドロ天使の集合的な解放も一段落し、そこに関わった、あるいはそこから長く引きずったスピリット、ソウルにとっての様々な記憶のエネルギーを、もう手放しましょうという局面がこの春に展開し、深い所でとても楽になっていました。ですが・・・

非常に分かりにくい所で、自分自身にさえ気付かれないように、この『捨身飼虎』(しゃしんしこ)の精神が潜在意識で働いていたんだということを、初めて自覚。それは、かつてそういった(神智学の表現でいうと)『神聖なる犠牲』を通じて、アセンドし、高次へと遷移したスピリットの記憶から来ていたのではないかと、思う。それをすることが、自分のアイデンティティの一つのようであるかのように、三次元パーソナリティどころか、転生ソウルのレベルでさえ恐らく、ごく自然な自分の一部のように馴染んでいたのだろうと。

分かりにくい「犠牲」意識。自分を供してもいい、それで相手がより魂の世界に近づけるのなら。

そのために必要なドラマ、アストラルフォースの関わり合いの中に、自分を投じる。

これは、自分がそこを立ち去ろうと本気で、深い所から、「今なんだ」と深く刺さるように決意するまでは、何となく自覚していてもどうかしようとは、どうにかなるとは思わなかった不思議。立ち去り始めた時こそ、今迄居た場所が何だったのか、客観的に分析できるようになる。

気づいたことは、それを解放することで人の世に混じり生きていくためではなくて、
気づいたことで、自分はそうだったと寧ろ、スピリットの意識により比重を預けていく方向性。

だから、最近あちこちのブログで書くように、
解放する・手放すではなく、

「受け入れて、越えていく」

人間である生身の中に、その『必要性』をインストールする。そこでじゃまになる、摩擦を生み出す「パーソナリティ側の傷み』が、作動しないように・・そちらを、外して行く。

ようやく到達した、意外な、気づきとイニシエーションでした。

折しも満月を越えて、今日から8月です。



Love and Gratitude,
Amari

2015年7月27日月曜日

創造は天地の間を吹く風

15julyshiiregdn

アルガンザの徒然

止まることのない、流れ続けるような近年の状況、エネルギーにもかなり慣れてきました。エネルギーワークで日々、エネルギー補給が出来ていると、それに合わないものはどんどん剥がれて外れて生活の中から消えていくし(食生活や行動など)、エネルギーワークがちゃんとその人の肉体、エーテル、アストラル・・・と、影響を着実に拡げていけていれば、生活も現実も良いほうへ変り続ける。体質も変る。自分自身の気づきが促されるから、それにより選ぶものも変るし、意識も広がり、世界も広がっていく。。。

レイキ(臼井)などはカジュアルに流布し過ぎてしまい、興味本位で受ける人も居るのかもしれませんね。なのでたまに「伝授は受けたけど全く使えていない」という人が居て、レイキから人生が変ったような人にとってはそれは驚きだったりもする。エナジーワークは、エネルギー存在である私たちのすべてにアプローチする直接的な方法で、そのメソッドを身に付け乍ら、肉体(健康面)、感情やメンタル(生きやすさ)、現実の変化という形で結果を実感していくもの。それが、伝わり切れていないのが現状かもしれません。

でも・・時代の流れでよりよい気づきへ、多くの人が向かうのだろうと思う。もう8年くらい前かな、すこしだけお世話になった方が、

「エネルギーワークは一番早い。本人が身に付けて実践していける点でもいい。エネルギーから変えていくのだから、究極。」と仰っていました。その方はもともと医療関係者から、現代医療にうんざりしてしまい(薬の多用など)ホリスティックの道へ。アロマのトリートメントなどボディワークや、ヨガ、アーユルヴェーダ、そしてレイキをされていました。

ちなみにヨガやアーユルベーダというインドの伝統は、私はやっぱり、行き着く先だなあと思っています。というのは、エネルギーの世界、ニューエイジ思想・・を辿っていったら神智学へ行き着き、それを紐解くと、やはり地上に既に昔から降りていてそのまま残っている、「神智学に近いもの」はインド思想、インド哲学やその一部であるヨガやアーユルヴェーダ等々なんですもの。。。

その方の言葉は、「・・ただ、今の時代、とつぜんエネルギーでヒーリングしませんか、といっても受け入れられない人々も沢山いる。だから私は、それ以外の癒しを行なっているんです」と。。。続きます。それは尤もですね。同じ頃、エナジーワークでとてもお世話になった先生とは、

「これからの時代、今たくさんあるヒーリングも淘汰されて、本当に未来の人類に必要なものだけが残る。」と語り合っていました。それからもう大分たちますが、そのような変化変動がこれから来るのだろうと思います。同時に、エネルギーワークの広まり方、実践の仕方も、見直しが必要で、より実直に誠実に、伝わるよう整理されないといけない。

特別なワーク・・・ではなく、人間がエネルギー存在であることを思えば、きっとこれはレムリアとか、多次元的な世界に在ればごく自然な「身体と心の健康」にまつわる知恵だったろうと思うのです。そういった事だけではなく、いつも感じるのは、「頭の柔らかさ」が必要であるということ。本質にピピっと意識を開けるような。でもそれが最初から不思議なほど出来ている人たちも居て、経験上、そういう人たちは『自然派』の方が多い。

そういう方々だから、自然なものに囲まれていたいと考えてライフスタイルが変るのかもしれないし、その逆かもしれない。現代の風潮とか、時代から受けとって埋め込まれているようなものを飛び越えて、ススっと本質に入っていける。。そういう頭と感性の柔らかさも必要だなあと思います。

さてさて。。仕事をしながらそんなことを感じている今日この頃ですが、カレッジでは出来る限り、神智学という高次目線の人間&宇宙論から、それを分かり易く地上の言葉に変えたニューエイジ思想を中心に、地上的な要素と結合させながら、皆さんの肉体にそれが根付き、多次元オーラ体にそれが響き、アドバンスでは意識が広がり世界が変るように、イメージし、進めています。

現在進行中の3期も、もう残す所1回の講座で中級課程が終わり夏休みに入ります。3期の皆さんは真面目で誠実な空気が最初からとてもありました。そして爽やか。宿題の基礎トレを「次回までに3回はやりましょうね」と遠慮がちにいつも言っているのですが、最近になると『毎日やっています』という方がとても多くて、私がありがたくもびっくり!そして影響されて、私も日々のワーク時間が増えました(笑)。基礎をしっかりと実践して感じていけるのはとても大事なこと。

「楽しくて仕方ない」「楽しみでワーク時間に入る」・・そういう言葉を聞いて、私もかつてを思いだしました。そうだった、そうだった、生活スタイルから以前はそれが出来たというのもあるけれど、たぶん最初の頃は、2時間くらいは毎日、瞑想を中心としたワーク時間をとっていました。純粋にエネルギーが気持ちよくて、身体もどんどん変っていくし、精神的な気づきも、霊的なインピレーションもそこから来るので、楽しくて仕方なかった。。。それを思いだしていました。そして改めて感じたのは、日々エネルギーを動かす時間をとっている人は、やっぱり安定感がある。

遠慮がちに日頃は言っていますが、本心から言うと、

『エネルギーワークをやっています、という自覚のある人は、毎日一時間はワークしましょう』

実は・・というかみんな分かっているかもしれないけれど、楽器の練習やバレエなどで『一日さぼれば3日遅れる』という言葉があるじゃないですか。。そこまでは言わないけど(強迫観念はよくないけれど)そもそも私たちが、仕組みの違う3次元世界で日々を生き、ストレス==満員電車や電波、電磁波などの物理的および、精神的==に晒され乍らの環境に居る訳なので、それを外すことでまずは一手間、そして高次のエナジーを迎え入れること、更には自分を良い状態に保つこと、というテーマがありますので、毎日ワークをしていたほうがアップダウンが少なく、自分が楽なのです。

いつも言うような「メタフィジ筋」を付けていく・・というプラスを加算していくことを考えると、やはり毎日・・が良いと思います。気づきであっさりと問題が解決することも多いし、体調もよくなる。実践あるのみ。せっかくのツールですから。

そして、もちろん、生活全体をエネルギー的に良い環境、良い質に変えていくことで自分とのエネルギー作用をさらに気持ち良いものへ変えていくことが大切で、とくに、空間。清潔さは勿論のこと、エネルギーの通りが良いような住空間づくり。クリスタルはそこで力を貸してくれるし、セージの薫香や、音をうまく使ったり、植物や、天然素材など。

レイキやエナジーワークは『自然療法』なので、自分や家族、生活全般、食や健康などすべてを変えてくれる知恵でありメソッドです。余りに分かり切った気分でいて、普段こういう話はそういえば余り書いていませんが、そういうものを自分のベースにして生活や健康や人生に響かせて行った先の、魂の深遠な世界、創世記、アースワーク・・・ということです。アルガンザでは今年はとにかく、基礎を再びお伝えしたり、提供したりしながら、らしさを更に伸ばして拡げて、多次元ワークを充実させて。

カレッジは中級で肉体とオーラ体づくり。上級ではそれを続けつつも意識を拡げていけるよう構成していますが、3期アドバンスにはまた違うまとめの盛り上がりが来そうな気がしています。そして石巫女は、これから準備しますが、クリスタルヒーリングではないです・・まったく新しい事をしたいと思っています。まさに石の巫女・・という。

そうだ、セイリオス先月の勉強会も、とても良かったと自画自賛しています。エントリーしていたけどやっぱり今回は・・というご連絡が直前に4件あり、変って数日前に、そして当日にも「出ます!」という方がいらっしゃって、相変わらずセイリオスは、直前まで分からないなあ(結果、当日は参加者5名で実施)。瞑想については今回から、こちらで事前に用意しての1時間の「ヴァージョンアップ瞑想」。なので、流動性がワークの時間に持ち込まれることはなく、私としてはとても安心感があります。ワークの前後の時間を使って、参加者がそれぞれのアースワークな話を報告してくれました。このバランス感はとても良くて、ようやく・・という感じ。

ただ、やっぱり大きなエネルギー同士が集まってくるような所は、どうしてもアースワークゆえにあるし、寧ろそれは必要なことだろうと思うので(大きなものを対処にワークしている集まりゆえに)、心構え的なもの、そして私自身に言い聞かせるためにも、『セイリオスのための祈り』のようなものをさっそく作りました。次回はその言葉とエネルギーとともに、実践したいと思います。後半の盛り上がりの、アチューンメント的な要素を毎回、変えて行きますが、今回は「乳海撹拌」の以前遠隔グループで提供した『ライトグリーン』を使いました。

当時よりも今回は意味がわかり、とても良かったと思います。スピリットとオーヴァソウルとの三位一体、現象化のシステムの奥にあるものへの「魂の栄養」としてのライトグリーンの光。現実と霊の次元のギャップを埋める潤滑油として、ワーカーをヴァージョンアップさせるワークになったと思います。自分にもとても効いて、理解も深まったので、これを『顕現のトリニティ』として、『乳海撹拌』のメニューに加えることにします。『豊穣のラクシュミ』と『天地創造』の間に受けて頂く形。これにて、乳海ワークは、豊穣・顕現・創造  と、創造性のラインがビシっと揃った感じがしています。

現象界の裏からの顕現の仕組み・・は、まだ、やっとこれから時代が追いついてくるのかもしれない。今後の時代の変化で、やって下さる方々の下地が出来てくるタイミングもあるのかもしれない。その時にはまた、伝授コースを整理しますね。

話は変わりますが、今回の石の仕入れのテーマの一つが、虹・・レインボーでした。
虹が大好きな人もいますが、私はまあそんなに、レインボーだからと仕入れでこだわる事はこれまで無かったのですが、何か明らかに今回は、無意識層からそれが来ていました。深読みすると、アルクトゥルスかな?と。虹の出現にはアルクが関係しているとリサ・ロイヤルさんが仰っているし、チャクラの七色も、ヒトのエネルギーの原型としてやはりアルクトゥルスでデザインされたのではないかな。

透明と虹の組み合わせは、アルクの気配を感じます。レインボーが!といって手にとり、選んできたクリスタルが幾つかあるので、リュミエールでご紹介していきます。

アルクといえば、ハイウェアとしてスタートした「アルクトゥルス・アストラルレストレーション」。これ、私自身も2つ、パターンを伝えてゴロっと30分横になる、という形で自分にやってみたのですが、振り返るとそれで感情的なものが浮上していた、そしてどうやらスッキリ越えてしまったという事に気づきました。特に最近のひとつは、先週、なぜか古い出来事を思い出すような刺激が数日に渡って起きていて、浸っていたのですが・・・夕方、カレッジの後に入っていたハイウェア枠で、スカイプでお客さんと話したら、まあ、まったく同じ。自分と同じだな〜と言う事を語られました。凄いタイミング。

お客さんにワークさせて頂いた後、自分もゴロっとロフトで横になり(何となく)30分したら「ハタ!」と目が醒めたんですね。起きたとき「ここはどこ?」という感じで、自分がヴァンダームへトランスミットしていたんだと気づいて。そうしたらば、スッキリ。変に現実味を帯びて浮上していた、ヒーラーをする中で新たにシミシミと出来て蓄積されていた感情作用が、消えていました。おお、ありがたや。自分のワークとはいえ、貪欲にどんどん使おうという訳にはいかないので(笑・上から来た時だけ受けとります)また流れがあれば・・と。

昨日はソウルインテグレーション、レコンの2本立てでした。アルク系ワークのエナジーは本当に独特で、とくに私に降りてくる通常の形はアルテミスの波長のようです。これまで、エネルギーの状態がとても良くてなおかつ必要な時にしか、セッション時以外はアルテミス(アポロンも)は流れ込んで来なかったのですが、ここ2週間くらいでしょうか、それが日常的な流入になっている。精妙な細流のようで、意識を拡げてくれるようで、「すっきり爽やか」なパーソナリティに移行を促してくれる感じ。アルク系は本当にそうなのでしょうね。7次元だから、5〜6次元の法則的なものから更に自由なのでしょう。

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今月下旬はカレッジ卒業生の方とサロンでお会いする事が多くなっています。そして横の繋がりが動いていたり、ネットワーク、グループエナジーが動いている時期なのかな。昨日は、アルガンザのセッションを初めて体験することになる卒業生の方がいらっしゃいました。お元気かな?と思っていたのですが、卒業式後にまた大きな変換点があったようで、雰囲気がとても変っていて驚きました。同じクラスのヒーラーさんをしている方のセッションを受けたそうで、それが大きな脱皮になったようにお見受けしました。そしてご本人にいわく、それがアルガンザセッションを受けるための、前段階として必要なプロセスだったと。

本当にそんな感じがしました。本源的な部分、今生ずっと自分の中にあった引っ張る力を、認めて受けとめて解放したようなプロセスがあったのか、エネルギーが自分自身に無駄のない、引き締まったようなセンタリングでお顔立ちまで変ったような感じがしていましたが、昨日のセッションでそれが更に縦軸の構築と、「では・・次はソウルの記憶やカルマを手放し、スピリットとの統合へ向かって行きましょう」という、境界を越えていくようなイニシエーションを感じました。

とても嬉しく有り難かったのは、その方から、「生きている限り進化成長しつづけたいとようやく最近、固まった」という言葉を聞きました。「生ききりたい」とも。。素敵。そして私もいつもそう思っていまして、そのスタンスを共有できるものとして、サロンやカレッジをやっています。それでも、人として社会や他者と共存する時間の中で揺れもありますし、アップダウンもあり、自問してしまう事だってあると思うのですが・・そういう言葉をはっきり聞けるのは、とても嬉しく、安堵感と感謝が湧いて来ます。「生きている限り進化」これはまさに、アルガンザの周波数なんです。

卒業生の皆さん、1期生も、2期生も、コミットメントと、本当に?本気ですか?貴方はスピリットで生きるのでしょうか、それとも地上人類のレベルに残りますか?というテーマを感じておられる方が多くて、すでに越えている方、越えようと奮闘中の方、現実との擦り合わせの中で葛藤している方、まだ勇気が出せないかも・・という方もいらっしゃるかもしれません。これはきっと全体に言えることでしょうね。

そしてもう、こういう言葉をブログに綴らなくても良い時代が来るような気がしています^^ 越えるとか越えないとか。自然に別れていく、一瞬一瞬が選択であり、その都度世界が別れていく気がする。自分が放っているオーラ、チャクラの輝きや、思考や感情のエネルギー、魂の光・・・意識の指数。それらが現実化現象化するスピードもとても速い。みんなが乗っている潮流の、流れがとても早くなっている気がします。

とはいえ、焦っても逆効果。グラウンディング。センタリングして自分に『静かに』集中。「がんばろう」と言ってしまうと、何か苦しいようなイメージを持ってしまう人が居るようで、「苦しむ必要ないよ」ということになってしまうのですが・・・(日本のスピリチュアル独特の風潮だと思います)・・・苦しむ、つまり摩擦を生み出しているのは自分のエゴセルフの声や感覚であり、それを手放してしまえば苦しいことなんて何もなく。でもそうして葛藤するのは、人間が人間であるからなので。

それを、良いとか悪いとかジャッジすることなく、ただ受け入れる。摩擦があれば苦しい時もあるかもしれない。でもそれさえ自分の一部。そもそも、どうして生きているの?地球で生きることってつまり何だろうか?変化変容し愛に帰っていくことは、魂にとって喜びではないだろうか。魂が歓べば、自分も幸せが顕現する。深くからの安堵感でいつも存在していられる。「葛藤する」こと自体、もう越えていこうよ。。。。。

そしてこういう言葉を、きっと今後はもう、ブログに書かなくて良くなる。
そんなことを感じながらの、2015年の夏なのである。

エネルギー状態が健全で、なおかつ人に良い波動を振りまく事が出来て、天と地のバランスがとれている人は、「朗らかなオープンさ、清々しい輝き」と「清潔感」が溢れています。よく「透明感」と言いますが、透明感ってたとえば凄く繊細で純粋な若い少年少女なんかも醸し出していますが、ただ透明なだけではポキっと折れてしまうのですよね。清々しい風が吹いているようで、魂の生命力がしっかりと輝いている、そのためには、現実世界でどんな風に生き、自分の力を使っているかもとても大切な要素、その人の強さということになります。自分自身の力を地上でちゃんと動かし、天と地と繋がって、オープンかつセンタリングして(オープン過ぎずに)生きる。何かに寄りかかったりせず、自分の足で大地に立つ。人としての在り方の上に初めて、高次の光との共鳴が起こります。そんなヒトを目指していきたいものですね。

Love and Grace, 
Amari

2015年7月25日土曜日

高次(光)とは取引できない


自滅の木
その枝にあるのは、空虚感、疎外感、無関心、人間関係のいざこざ、etc.
その根にあるのは、恐れ、不安、怒り、嫉妬、不信、敵意、罪悪感、自己憐憫

自己認識の木
その枝にあるのは、生きがい、健康、喜び、やる気、満足、寛容さ、実行力、創造力
その根にあるのは、慈愛、友愛、ゆるし、愛、感謝、親切、温かさ、信頼

     
     by The Book of Peace / Mother Teresa




thanks to: 清水紀子(訳)/メトロポリタン出版

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「もう少し状況がこうなったら、〜できるんだけど」
「周りがもっとこうなってくれたら、〜を始めよう」
「〜が整ったら、実行するべく動き出します」

人はとかくそう思いがちですが、状況が変わるのをただ待っていて、それが自分が動き出さない理由だと思い込んでいたら、いつまで経っても何も変化はおきない。適当な時期やタイミング、時流や各人の運気のようなものは確かにある。けれど、外側で何かが変わるまで、自分から準備することをせずに居たら、いつまでもずっと、今ある世界と仲良し。

時期を、タイミングを見る・・・のであれば、
その間、せっせと準備をする。自分磨き、環境や、人間関係。知性や体力、生活力、責任感、大人としての自立。すべて、創造のために必要な要素。活力を養うために、食や日々の生活を見直す必要があるかもしれないし、知性が足りないと思えば磨くのは今の時代は簡単。

住環境の持っている波動が、自分が他者と会った時に醸し出す空気感となる。
本に囲まれている人は知的な感じがするし、花や動植物を愛でている人は優しい印象を与える。

日々、環境や自分を磨いていくことは出来る。
読書をすれば、自分が深まるし、落ちついた空気が生まれる。
ネット検索ばかりでは、周波数の高い知性は身に付かない。

もし・・・

『恐れ、不安、怒り、嫉妬、不信、敵意、罪悪感、自己憐憫』

が自分の中にあるのなら、それを解放していくことに意識を向けよう。
そのためのツール、メソッドを習い、習ったら毎日実践。

自分が放っているものを、宇宙は還す。
創造、顕現のトリニティ。
そこに計算の狂いはなく、現実・外見(容姿の形態の善し悪しではなく)・日々の心や身体に、数字が現れる。そこから自分を知り、見つめていくことを厭わず。変えていくことを恐れず。

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高次(光の側)とは、取引、駆け引きは出来ない。
あるものを鏡で還すだけ。

もし、取引や駆け引きが、成り立ったかのように現実が自分の思うように動いたなら、その「高次」は光ではない可能性が高い。「高次」は、地球の三次元よりも高い次元というだけで、それがイコール「光」とは限らない。あなたの中に住むエンティティや、浮かばれないご先祖からの負の「三位一体」もあり得る。あなた自身の「ハイヤーセルフ」=高次の自己も同じくで、必ずしも善だけではない、カルマをもった揺れ動く存在であることも考えられる。

創造は、自分の心がスタートを切る。
他者や、状況が整うのを待つのではなく。
取引、駆け引き、待機は無意味であり、かえってカルマを産む。負のスパイラルの始まり。

マザーの言う「自己認識の木」がすべてを物語る。
創造は、まさにそんな根っこから始まり、そんな枝として具現化する。

見てみれば分かる。
自分に何が足りていないかを。何を足せば、自分が幸せになれるか。

高次(光)はすべてを見透かす正確で狂いのないコンピューターシステム。
根っこと、枝と・・・心と頭の中にある、「取引/駆け引き・感」をたまに見直してみよう。
幸せを実感でき、感謝とともに生きられるように。

「あなたはあるがままで」
「もう修行は必要ない」
「あなたはそのままで完璧」

・・・という言葉が、スピリチュアル界に満ちていることこそ、光に向かわせないためのトラップです。あるがまま、そのまま、それも自由意志だから良いでしょう。ただ自分が幸せであれば。。。皆、苦しいからスピリチュアルを求める。ならば、「そのままで」良い訳では無い。変化を起こさなくちゃ。そのためには、自分から動きだし、自分で気づき、自分で責任を持ち、収穫する。

「自己認識の木」





Love and Grace,